かな書の美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 08:46 UTC 版)
『源氏物語』末摘花の巻の中で、「手は、さすがに文字つよう、中さだのすぢにて、上下ひとしく書い給へり。みるかひなう、うちおき給ふ。」と、行の長さや高さをそろえて書いた手紙を時代後れとしているように、10世紀後半には日常の手紙でも散らし書きが使われていた。 まっすぐに並んだものや大きさを揃えたものは、統一感のある美をもたらす。それゆえ、文字の大きさを揃え、書き出しの位置を揃え、文字の間隔を揃え、まっすぐに1行を書き、行の間隔を揃えるために苦心する。ところが三色紙はその苦心を嘲笑うかのように不揃いであり一定しない。高村光太郎は『書の深淵』の中で、「わたくしはまだ、一行の平安朝仮字書きの美に匹敵する外国人の抽象的線美を見たことがない。」と、平安朝の「かな書」を絶賛しているが、なぜこのような不揃いの「かな書」が美しいと感じられるのだろうか。石川九楊は次のように述べている。 戦後のいわゆる「かな書家」が、「散らし書き」・「連綿遊糸の美」・「余白の美」・「濃淡の美」等と「かな書の美」をモザイク的に分類しているが、ほとんど解答を得られない。それらの結果をもたらした所以にまで溯らねばならないのだ。
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