ちまたで流行りのほっこり系ごはん小説かと思いきや、スリリング。第一一回ポプラ社小説新人賞を受賞した菰野江名のデビュー作『つぎはぐ、さんかく』は、惣菜とコーヒーのお店「△」を営む三きょうだいの物語なのだが、仲のいい三人は実は血の繋がりがないことが序盤で明かされる。ならばなぜ一緒にいるのか、というよりも、なぜこんなにも一緒にいたいと願うのか。この家族には何かあるのではないか? 三人の内に潜む幾つもの秘密が明かされるたびに、読者が思い描いていたであろうそれまでの家族観が揺さぶられていく。
待望の第二作『さいわい住むと人のいう』もまた、スリリングだ。そして、既成の家族観やお仕着せの幸福観をがんがん揺さぶる。
冒頭の二ページは、ベッドに横たわる年老いた「私」のモノローグだ。彼女は妹と一緒に、大きな家に住んでいる。〈この家は、私そのものだ。/見てくればかり大きくて、偉そうで、でも中に住んでいるのは老いた女が二人だけ。/それでも他人は知らない。私たちが、何を積み上げてきたのか。この大きな家に守られるだけの力を得るために、どれほどの痛みを感じてきたのか。/そしてそこに、どれほどの幸福があったのか、私たち以外、誰にもわからない〉。
第一章「二〇二四年 青葉」は、市役所職員の青年・青葉が視点人物となって進む。地域福祉課へ異動となったばかりの彼が、土地の顔役から引き合わされたのが八〇代の香坂姉妹だった。二人は宮殿のような外観と、螺旋階段などの豪奢な内装を擁する大きな家に暮らしている。姉の桐子は元教師で、退職後も地域の人々の相談に乗ってきたという。妹の百合子は「童話に出てくるおばあさん」のようで、来訪した青葉を柔らかく受け入れてくれた。青葉の中に「なぜ?」という疑問が生じたのは、この家が建てられたのは平成一四年だと聞いた時だった。〈二二年前なら、この人はすでに六〇前後だったはずだ。そんな頃にこの家を建てたのか。姉妹で暮らすために?〉。その二週間後、香坂姉妹の訃報が届く。二人共、家で一緒に亡くなっていた。しかも、二人でベッドに横たわった状態で。香坂家の屋敷で行われた葬儀に出席した青葉は、さらなる驚きの情報を耳にする。検視の結果、姉は先に亡くなり、その翌日に妹が亡くなったと思われるというのだ。
香坂姉妹の屋敷と死の謎、二人と人生のある時期に深い交歓を得た人々が抱えてきた秘密の断片が、第一章の中に無数にちりばめられている。第二章以降は章ごとに視点人物を変えつつ、いわゆるリバース・クロニクル(逆年代記)方式を採用。二〇〇四年、一九八四年、一九六四年……と、章が進むたびに時間軸を過去へと遡っていく。
読みながら、文春砲で知られる週刊文春の老舗連載「新・家の履歴書」のことを思い出した。著名人がそれまで住んできた家の履歴を語る、というインタビュー枠だ。どの街のどんな間取りの家に、どんな物を置いて自分なりの空間をどう築いてきたか。家について語る言葉は、人生について語る言葉そのものだ。と同時に、家の記憶は往々にして、家族の記憶とも直結している。「家の履歴」は、「家族の履歴」でもあるのだ。
本作は、香坂姉妹の「家=家族」の履歴を辿る物語である。二〇〇四年の章では、香坂姉妹が自らの設計で建てた豪邸で二人暮らしを始めた頃のエピソードが、別の家族の視点から語られる。一九八四年の章でメインに取り上げられるのは、四〇代にして未婚である姉・桐子がアパートで一人暮らしをし、長野に別荘を建て不動産投資を行ないながら、必死でお金を貯めようとしている姿。一九六四年の章では若き日の妹・百合子が視点人物となり、なぜこの姉妹が大きな家を建てて一緒に暮らすという夢を抱いたのか、全ての始まりとなる「家=家族」の思い出が綴られていく。姉妹の履歴には戦後日本の制度史が如実に反映されており、この社会で女性が自由意志と自己決定の権利を持って生きることがいかに難しかったか、についての記録ともなっている。
特に驚かされたのは若き日の妹・百合子の章だ。彼女が手にすることとなった「家=家族」には、フィクションならではの過激さなど微塵も介在していないにもかかわらず、この関係を当事者目線から書くことの困難と勇気に触れて、心が震えた。リバース・クロニクルが逆回転した直後、八〇代となった現在の百合子の章で記された、自分が幸福か不幸かは他人によって決められるものではないという思いには、揺さぶられない人はいないだろう。
そうした心の振幅には、冒頭の二ページで示された〈私たち以外、誰にもわからない〉幸福を、自分は知ることができている、わかることができている、という喜びも含まれている。小説は、〈誰にもわからない〉はずの他者の家族観や幸福観と出合わせてくれる。自分を上に見せようとしたり、相手を下に見たいがための、他者との比較なんか要らない。ただ、自分という人間をより詳しく知るための他者との比較には、意義がある。菰野江名という作家はいつも、そのことを教えてくれるのだ。
◆ プロフィール
吉田大助(よしだ・だいすけ)
1977年生まれ。埼玉県出身。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説新潮」「小説現代」「週刊文春WOMAN」などで書評や作家インタビューを行う。X(@readabookreview)で書評情報を自他問わず発信中。