一九九五年 明石弓乃 二十二歳
わたしの名字が明石だからアカシヤだ。
スーパーではなく、コンビニ。出入口上部の店舗看板には、アルファベットでConvenience、そのあとにカタカナでアカシヤと書かれている。
看板は白地。アルファベットは黒文字で、カタカナは黄文字。黄色は少し薄くなっているので、肝心の店名が読みづらい。
コンビニといっても、個人経営。制服はない。オリジナルのエプロンがあるだけ。それを着けていれば店員とわかる。
薄めの色だと汚れが目立つので、エプロンは紺色。胸に、アカシヤ、の文字が入っている。それも黄色。ただし、プリントなので、看板の文字同様、薄れている。
新調したのは何年も前。だから地の紺色もかなり白っぽくなってきている。こういうのヴィンテージって言うんだろ? と店長を務める父友邦は言っている。お古って言うのよ、と母清恵は言っている。何にせよダサい、とわたしは思っている。
アカシヤにレジは一つしかない。だがそれで充分。決して大きな店ではないから、会計待ちの列ができることはない。まず、お客さんが店内に五人同時にいることがない。三人でも、ないかもしれない。そんなものなのだ。田舎町の住宅地にあるコンビニなんて。
わたしはそのレジにいる。カウンターの内側にある丸イスに座っている。
こういう時間は長いのだからこのイスをもうちょっと座りやすいものにしてもいいよな、から始め。卒業研究のタイトルをどうしようかな、と考えたり、おやつ食べたいな、と考えたりしている。その二つが合わさり、人の小腹空きがもたらす経済効果についての考察、なんてタイトルはどうかな、と考えたり、コバラスキ、という言葉は何かいいな、と考えたりもしている。要するに、暇なのだ。
午後四時すぎ。やっと店のドアが開く。自動ではない。手動。押しても引いてもいけるタイプだ。そうなると、人は引かない。たいていは押し開ける。
入ってくるのは女子。見慣れた顔だ。
「泉ちゃん。いらっしゃい」と声をかける。
すぐ近くに住んでいるから名前まで知っている。お客さんというよりはご近所さんだ。
片岡泉ちゃん。小学三年生。わたしが卒業した小学校に通っている。わたしが今大学四年生だから、十三年後輩ということになる。そう考えると、わたしも歳をとった。まだ二十二歳なのに。
泉ちゃんははきはきした声で言ってくれる。
「こんにちは」
「学校は終わった?」
「終わった。帰ってきてちょっと休んで、来た」
小学校からこの辺りまでは歩いて十五分。いや、小学生の足ならもう少しかかる。
歩いて十五分強は長い。それでもまだ恵まれているほうかもしれない。本物の田舎町だと、片道三十分歩かされることもあるだろうから。
途中でJR五日市線と交差する。線路は橋の下を通っているので、あぶなくはない。踏切を渡って行く道もあるが、たぶん、泉ちゃんは橋のほうを行く。わたしも小学生のときはそうしていた。
泉ちゃんは店内を歩き、いつものようにパンの棚を見る。が、やがてレジのところへ来てわたしに言う。
「弓乃ちゃん。モサッとしたパン、ある?」
「モサッとしたパン?」
「そう」
「硬いパンてこと?」
「硬くはない。やわらかい。でも何かモサッとしてるの」
「白いの? 普通の食パンみたいに」
「白い。でもちょっと黄色い」
「耳は付いてるの? パンの耳」
「付いてる。でも硬くなくて、そのまま食べられる」
「焼かなくてもってこと?」
「そう」
だったら、デニッシュのパンみたいなものかもしれない。
「食パンより甘かったりする? クリームが入ってたりするわけではなくて。パンの生地そのものが」
「あぁ。ちょっと甘いかも」
「食パンみたいに真四角じゃなくて、細長いんじゃない?」
「うん。細長い。横長」
やはりそうだ。バターが練りこまれていて、クロワッサンのような感じもあるあれ。
「ある?」とさらに訊かれ、
「ごめんね。ウチはああいうの置いてないの」と答える。
小さな店だから、そこまでは手がまわらないのだ。置いているのは、普通の食パンが二種類。少し安めなのと少し高めなの。その四枚切りと六枚切り。高めのほうは八枚切りもある。それだけでも五種類。ウチとしては限界だ。
ほかに置いているのはバターロールやフランスパン。前者は普通のとレーズン入りの二種類。後者は一種類。あとは、各種惣菜パンや菓子パン。それだけでパンの棚はいっぱいになる。
「ああいうパン、おいしいよね。焼かなくていいから便利だし。泉ちゃんはあれが好きなの?」
「好き。給食でもたまに出る」
「へぇ。今はそうなんだ」
「パンは毎日あれでもいい」
確かに、児童は好きかもしれない。あれならおかずなしでも食べられる。マーガリンもジャムもいらない。
「このお店に入ったりは、しない?」
「うーん。ちょっと無理かなぁ。ウチはこれで手いっぱいなの。パン屋さんではないし」
「そっか」
「ごめんね」
「ううん」と泉ちゃんは首を横に振る。ポニーテールが揺れる。「おばあちゃんは普通のが好きだから、いい。これもおいしいけどおばあちゃんはいつものアカシヤのやつがいいねぇって言ってる」
確かに、中高年の人は、普通の食パンのほうが好きかもしれない。毎朝デニッシュのあれとなると、少し重いだろう。
おばあちゃんこと柴原富さん。そもそも富さんは、今年の三月まで食パン自体を買わなかった。朝食は白いご飯だったのだ。買うようになったのは、泉ちゃんがこちらへ来てから。合わせたのだと思う。おかげでその食パン分、ウチの売上は増えた。お客さん自体も増えた。こんなふうに、泉ちゃんが定期的に食パンを買いに来てくれるようになったのだ。
この辺りにはスーパーもあるが、駅の向こうなので少し遠い。歩きだと二十分、自転車でも十分弱かかる。富さんはいつも自転車で行っている。だからそこで食パンも買えるのだが。何ならそこのほうがウチより安いはずなのだが。それだけはいつも泉ちゃんが買いに来てくれる。泉ちゃんは柴原家の食パン係なのだ。
近所の人たちと顔見知りになってほしい。あいさつぐらいはするようになってほしい。そんな気持ちが富さんにあるのかもしれない。
店に来ると、泉ちゃんは、食パンのほかにあと二つ三つ、その時々に必要なものを買ってくれる。お菓子とかふりかけとか電池とか。ペットボトルの水とか。
二リットルのペットボトルともなればかなり重いが、だいじょうぶ。ここから柴原家は本当に近いのだ。歩いて一分かからない。五十メートルぐらい。あいだは空地で、家はない。だからお隣と言ってもいい。
泉ちゃんはそこで富さんと二人で暮らしている。今年の四月からそうなった。
富さんは柴原さんだが、泉ちゃんは片岡さん。富さんの長女で昔ここに住んでいた津弥子さんの娘が泉ちゃんなのだ。わたしは見たことがない泉ちゃんのお父さんが片岡さん。
津弥子さんには善英さんという弟がいる。その善英さんは今、神奈川県に住んでいる。たまには奥さんと子どもを連れて帰ってくる。その子が泉ちゃんのいとこということになる。
わたしが知っているのはそれだけ。泉ちゃんが何故今は富さんと二人で住んでいるのか。そこまでは知らない。
わたし自身は明石家の長女。兄弟はいない。一人っ子だ。
今はアルバイト店員としてここにいる。実家の手伝いということでもあるのだが、一応、お金はもらっている。
時給七百円。安い。だがちゃんとそう決まっているから、つかい道の目処は立てやすい。そのお金は、来年三月の引っ越し代にするつもりだ。
世は就職難。この何年かであっという間にそうなった。わたしが高校生のころは売り手市場だと言っていたのに、大学三年生になるときには一変していた。バブルがはじけたのだ。ツイてないとしか言いようがない。
今年はきついかもしれないよ。心してかからなきゃダメだよ。と散々脅されながら、就職活動に臨んだ。
実際どうだったかと言えば。よくわからないというのが本音だ。
まあ、厳しかったことは厳しかったのだと思う。複数の大手の会社から内定をもらうような学生は周りにいなかったから。
だがわたし自身、六月には大手の製粉会社からどうにか内定をもらえた。
製粉会社というのは、まさに粉を製造する会社だ。主に小麦粉。パスタやそれ絡みの冷凍食品もつくっている。
広く食品会社をまわるなかで、その会社へと行き着いた。社員の人たちもすごく感じがよかったので、そこに決めた。内定をもらってからもよそをまわったりはしなかった。ここなら充分。そう思えた。
勤務地がどこになるかはまだわからない。総合職なので、全国どこにでも行かされる可能性がある。そうなったらお金も必要になる。引っ越し代は会社が出してくれるはずだが、ほかにもいろいろかかるだろう。
頼めば父と母が出してくれる。それはわかっている。だがそこは自分でどうにかしたい。店は店できついのだ。父と母に余計な負担をかけたくない。
ここは東京都の西部。あきる野市。今年の九月一日に秋川市と五日市町が合併してそうなった。今は十月半ばだから、まだなったばかりだ。
ウチの最寄駅は、東秋留。旧秋川市側なのでまだ都心に近いが、そうは言っても遠い。
JRで東京二十三区の端、杉並区に行くまでには、福生市と昭島市と立川市と国立市と国分寺市と小金井市と武蔵野市と三鷹市ともう一度武蔵野市を通らなければならない。国立市と国分寺市のあいだで、一瞬、府中市も通る。それでやっと杉並区の西荻窪に着けるのだ。
大学は武蔵野市にあるので、ここからでも通えた。というか、通える大学を選んで受けた。落ちたら大変なので、真剣に勉強した。受かってよかった。わたし自身より父と母のほうがほっとしたはずだ。
配属が千代田区の本社になれば、通える。だが一時間半はかかる。乗り換えは三回。毎日それはつらい。だったら初めから職場の近くに住みたい。
大卒一年めの手取りは十五、六万円らしいからきついことはきついが、がんばるつもりでいる。せいぜい片道一時間で通えるところにはしたい。それこそ杉並区か中野区か。今からもう、賃貸住宅の情報誌を見たりはしている。
大手のコンビニとちがい、ウチは二十四時間営業ではない。その半分。朝八時から夜八時まで。わたしが小学生のころは夜十時までやっていたこともあるが、割が悪いのでやめた。田舎町の住宅地でその時間に店を開けていてもお客さんは来ないのだ。
と言いつつ、まったく来ないこともなく、開けていれば重宝はされる。だから、そう、利益よりも自分たちの負担を減らすほうを選んだ感じだ。
就職活動で中断はしたが、その前、まだ三年生のときにもわたしはここでアルバイトをしていた。ちょうどそのころ、長くパートをしてくれていた古橋恒代さんがやめることになったからだ。
恒代さんはそのときでもう六十三歳。十年以上やってくれていた。やめることになったのも、ウチで働くのがいやになったからではない。調布市に住む息子さん夫婦と同居することになったからだ。お孫さんが生まれたのでそうすることにしたらしい。
要するに世話をまかされちゃうんだけどね、と恒代さんは言っていたが、顔はうれしそうだった。初孫なのだから無理もない。富さんにとっての泉ちゃんみたいなものだ。
世話をするから孫と同居すると言っている人に、調布からここまでパートのために通ってくださいよ、とは言えない。そこでわたしに白羽の矢が立ったのだ。
弓乃、やってよ、と母が言った。吉祥寺の雑貨屋で働くなら実家のコンビニで働きなさいよ。
わたしはその前に勤めた和食屋さんをやめたところだった。次は吉祥寺のおしゃれな雑貨屋さんでバイトするよ、と言ってもいた。それを受けての母の言葉だ。
弓乃、やってくれないか? とそのときは珍しく父までもが言った。雑誌に求人広告を載せるのもお金がかかるんだよ。載せたところで応募があるとも限らないしな。
それで、あ、困ってるんだな、と思った。
そのころからもう店の終わりは見えていた。だから人を雇いづらかったのだろう。せっかく雇っても、こちらの都合でやめてもらわなければいけなくなる可能性もあるから。その意味では、恒代さんもいいタイミングでやめてくれたのかもしれない。
そんなわけで、わたしはすんなり応じ、アルバイトをすることにした。おしゃれな雑貨屋さんはあきらめて。
そして一年が過ぎた今、店は、はっきりと閉めることが決まっている。今年限り。年末の手前まででおしまい。
だから今さら新しい商品を入れたりはしないのだ。デニッシュのパンも入れられない。店をよくするための試み、のようなことはもうする必要がない。
年明けから、父は小さな運送会社で働くことになっている。店を整理する都合があるので、来年から。社長さんと知り合いだからそうしてもらえたらしい。
それは本当によかった。何よりもまず、この就職難のなか、四十八歳の父が雇ってもらえることがよかった。
扱うのは一般貨物。父は二トントラックや四トントラックを運転する。安全運転してね、それだけは気をつけてね、と母はもう今から言っている。
父はタクシー会社とどちらにするか迷い、そちらにしたらしい。タクシー会社のほうがお給料はいいようだが、母が運送会社をすすめた。四十八歳で夜勤もある仕事を始めるのはきついだろうと思ったのだ。それはわたしも賛成。四十八歳で夜勤はきつい。その歳で新たな仕事を始めることがもうきつい。五年前に亡くなった忠克おじいちゃんが始めた店を閉めたうえでのそれなのだから。
店名をアカシヤにしたのは父の代になってからだ。さすがに明石商店はもう古いだろうと、おじいちゃんの許可をとったうえで変えた。明石は残したいというおじいちゃんの意を汲んで、アカシヤ。カタカナにしたのは父自身の意向だ。これからはカタカナだろ、と言っていた。
中学生のころ、わたしは一人っ子の自分が店を継ぐのだと思っていた。いやだな、でも当たり前にそうなるのだろうな、とも思っていた。
ならなかった。
今は、よかったな、と思いつつ、でもやっぱり店がなくなるのは何かな、とも思っている。
わたしが生まれたときから、家は店だったのだ。それがもうまさに当たり前だった。
学校から帰ってきたら店にいる父や母にただいまを言い、それから奥の家に入った。
店にある商品のどれかがおやつになった。母が選んで出してくれた。賞味期限が近いものから選んでいたのだろうが、店の商品がそのまま出てくるのは贅沢だと、わたしも子どもながら思っていた。そこは友人にうらやましがられた。店のお菓子が食べ放題だなんていいなぁ、と。あくまでも仕入れ値で買えるというだけで、別に食べ放題ではないのだが。
初めて店番をしたのは中学生のときだ。確か二年生のとき。そのころはまだ、母がスーパーに買物に出る一時間とかそのくらい。
母も、普段の買物はスーパーでしていたのだ。ウチには置いていないものもあるから。
だとしてもお店の人がよそのお店で買物しちゃダメでしょ、とわたしは思っていたが、その分の時給はもらえたのでうれしかった。
そう。中学生でも、店番をすればお金はもらっていた。そのあたりは父も母もきちんとしていたのだ。店番をした時間に見合うお金をくれた。家族だからと、そしてまだ中学生だからと、お駄賃の感じでごまかしたりはしなかった。商売ってそういうことだからな、と父は言い、働くこともお勉強だからね、と母は言った。でもそれでお金もらってるなんて学校の先生に言っちゃダメよ、とも母は言っていたが。
もちろん、わたしは先生に言わなかった。が、友人には言った。そこでもまたうらやましがられた。いいなぁ、わたしもバイトさせて、と言われた。アカシヤなんかでバイトしねえよ、と言ってきた男子には、ウチもあんたなんか雇わないわよ、と言い返した。自分が店主になったようで気分がよかった。
だが高校生になり、夏休みなどに丸一日店番をさせられたときはきつかった。
一日が長いことを痛感した。午後三時半に終わってくれる学校の一日が一日でも何でもないことに気づいた。大人は毎日これをやっているのか、と感心した。しかも、長い夏休みも冬休みもない。わたしたちは短いと思ってしまう春休みさえないのだ。
ただ。いらっしゃいませ、や、ありがとうございました、をお客さんに言うのは案外気分がいいものだと知った。中学生のころはまだ父や母のまねをして言っている感じだったが、高校生のときは自分の言葉として言えるようになった。
お客さんが店に足を運んでくれる。商品を買ってくれる。それがわたしたちの利益になる。それでわたしたちは暮らしていける。そういうことが、少しは実感できた。そうなれば、自然と感謝の気持ちも湧く。ありがとうございました、が素直に口から出る。
もちろん、何度もくり返していれば、いらっしゃいませ、も、ありがとうございました、も事務的な感じにはなる。だがそれでもちゃんと気持ちは込められるのだ。
気持ちを込めて言い流せる言葉なんて、まさにそれらくらいだろう。
と、そんなようなことをぼんやり思い返していたら。
またドアが開き、店に誰かが入ってくる。
「いらっしゃいませ」とまさに事務的に言ったら。
「わたしよ」と返ってくる。
母だ。スーパーでの買物から戻った母。
「あぁ、何だ。おかえり」
母は店内を見て、言う。
「泉ちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは」
「こんにちは。買物に来てくれたの?」
「うん」
「ありがとう。おばあちゃん、元気?」
「元気。今はあっちに買物に行ってる。おばあちゃんはあっちでわたしはこっち」
「あら、そうなの。じゃ、おばさんとは入れちがいかな」
それをあっさり明かしてしまうのが泉ちゃんだ。
富さんはあまり明かされたくなかっただろう。母とわたしに隠れてこっそり他店に買物に行ったようになってしまうから。まあ、母自身も行っているわけだが。
「今日は泉ちゃんは一緒じゃないの?」
「じゃない。今日はパンの日だから、わたしはこっち」
「そうか。ありがとうね」
泉ちゃんの手前、わたしも母に言ってみる。
「お母さん。デニッシュのパンてあるじゃない」
「ん?」
「デニッシュ生地のパン。横長の」
「あぁ。ちょっと味が付いてるみたいなの?」
「うん。あれ、ウチには入らないよね?」
「どうして?」
「泉ちゃんが好きなんだって」
「あ、そうなの」そして母は言う。「うーん、ちょっと難しいかなぁ」
「だよね」とわたし。
「だいじょうぶ。おばあちゃんは普通のが好きだから」とここでも泉ちゃんが言ってくれる。
「ごめんね」と母。
「ううん」と泉ちゃんはやはり首を横に振る。やはりポニーテールが揺れる。
「じゃ、泉ちゃん、アイス食べる?」
「ん?」
「アイスクリーム」
「食べたいけど。お金ない。お釣りはおばあちゃんに返さなきゃいけないし」
「お金はいいの。パンは入れてあげられないから、そのお詫び。あと、いつも買ってくれるから、そのお礼」
「お詫びとお礼を一緒にしちゃダメでしょ」とわたし。
「いいじゃない。一石二鳥」
「その一石二鳥は、何か下品」
「固いこと言わない。とにかくね、おばさんのおごり。泉ちゃん、好きなアイス選んで」
「いいの?」
「いいよ」
「やった!」と泉ちゃんはアイスのケースに向かう。
そしてガラス越しになかを覗き、アイス選びにかかる。
子どもにしてみればこれはうれしい。店の子であるわたしでも、小学生のころはそうだった。家の冷蔵庫の冷凍室に入っているアイスを取りだすのとはちがうのだ。もう、気持ちの沸き方がちがう。
ひととおり見た泉ちゃんは、やがて言いにくそうに言う。
「雪見だいふくでも、いい?」
棒付きアイスよりちょっと高いけど、いい? ということだろう。
「いいよ。おいしいもんね、雪見だいふく。おばさんも好き」次いで母は言う。「弓乃ももういいから、泉ちゃんと散歩に行っといで。あとはお母さんが見とく」
「いいの?」
「うん」
わたしは言う。
「泉ちゃん、行く? 散歩」
「行く」
「よし」とレジカウンターから出てケースのところへ行き、アイスを選ぶ。「泉ちゃんが雪見だいふくなら、わたしはピノにしようかな。分け合って食べようよ」
「うん。わたし、ピノも好き」
「弓乃はお給料から天引きね」と母が言う。
「え? 何でよ」
「アルバイトなんだから当然でしょ。それが働くってこと」
「せめて従業員割引はしてよ」
「家族なんだから売上に貢献しなさいよ」
「そこでいきなり家族扱いはずるい」
それには応えず、母はお菓子の棚を見て言う。
「泉ちゃん、とんがりコーンは好き?」
「好き。指の先にはめて食べる」
「あ、それ、やった」とわたし。「今の子もやるんだ?」
「やるよ」と泉ちゃん。「食べるときは絶対やる」
「わかる。やらないと食べた気にならないよね」
「ならない」
「じゃ、アイスと一緒にどうぞ」と母。「それも弓乃から天引き」
「いや、だから何でよ」
「いいから。ほら、行きな。泉ちゃん、お買物は帰りでいいよね? いつもの食パンはおばさんがとっといてあげるから。六枚切りでいいよね?」
「うん」
「帰りにまた寄って」
「はい」
「おぉ。いいお返事。弓乃が泉ちゃんぐらいの歳のときには、はい、なんて言えなかったわよ」
「はいは言えてたでしょ」とそこは反論する。
「お母さんには言わなかった」
「家族だから言わなかっただけ」
「家族にもはいは言うでしょ」
「言う?」
「言う」
考えてみる。まあ、言うこともあるだろう。例えば変に緊張感のある家族なら。
ウチがそうでなくてよかった。子どもにはいという返事を強要する親でなくてよかった。
「あと、泉ちゃん、おばあちゃんにはおばさんが電話しとくね。泉ちゃんが帰ってこなかったら心配するだろうから」
「うん」と言ってから、泉ちゃんは言い直す。「じゃなくて。はい」
その言い直しについ笑う。
それには母も笑い、泉ちゃん自身も笑う。
雪見だいふくとピノととんがりコーンと手拭き用の小さな紙おしぼり二つ。それらを入れた白いレジ袋を持って、店を出る。
「じゃあ、川のほうに行こうか」とわたしが言い、
「うん」と泉ちゃんが言う。
川。多摩川だ。
この辺りでは、多摩川のこちら側も東京都。それが神奈川県との境になるのは、もう少し下流に行ってからだ。ウチでのパートをやめた恒代さんが住む調布市の辺りから。あとはもうずっと多摩川が東京都と神奈川県を分ける。
「また小学校のほうに行くことになっちゃうけど。いい?」
「いいよ」
駅より川に近い側。泉ちゃんは通ってこなかったであろう、踏切を渡るほうの道を行く。
歩道はないが、そもそも道幅が広く、車もほとんど通らないので、歩きやすい。
「アイスは溶けちゃうから、先に食べちゃおう」
「食べちゃおう」
ということで、まずは公園まで行く。が、なかには入らず、道沿いにある植込のコンクリ段に並んで座る。ここに座ってください、と言わんばかり。ちょうどいい高さなのだ。
「わたしが泉ちゃんにこんなとこでアイスを食べさせたって、おばあちゃんには言わないでね」
「だいじょうぶ。おばあちゃんも、こんなとこで一緒にアイス食べるから」
「そうなんだ。じゃあ、よかった」
雪見だいふくとピノ、それぞれに容器を開ける。
まずは泉ちゃんが雪見だいふくで、わたしがピノ。それぞれにいただきますを言って、食べる。泉ちゃんの唇に白い粉が付く。
「おいしいね」とわたし。
「おいしい」と泉ちゃん。
「こういうアイスってさ、十月の今食べてもおいしいよね」
「うん。冬に食べてもおいしい」
「寒い寒い言いながらも、食べちゃうよね」
「食べちゃう。寒いのにおいしいおいしい言っちゃう」
「世界からアイスがなくなったらつらいなぁ」
「世界からアイスがなくなること、あるの?」
「いや、ないだろうけど」
本当にないだろうか、と考えてみる。
アイスは生活必需品ではない。嗜好品。言ってみれば、贅沢品。有事の際にはなくなるかもしれない。有事。戦争。そうなったら、電気が止まったりもするだろう。電気が止まれば、冷蔵庫もつかえない。アイスは存在し得ない。
わたしが生きているあいだにそうなることはないだろうか。
これまではなかった。その手の危機を感じることさえなかった。それなのに今こんなことを考えるのは、一月に起きた阪神・淡路大震災を知ってしまったからだ。知ったといっても、わたしはテレビのニュース映像を見ただけ。あれは天災だが。凄まじかった。
あのときも、わたしは冬なのにアイスを食べていた。夕方、家に帰ってきてアイスを食べながらニュースを見たのだ。
地震が起きたのは朝。だから西のほうで大きな地震が起きたことは知っていた。そこまで被害が甚大であったことは、そのとき初めて知った。
そしてこれまた初めて、わたしはアイスを残した。食べかけのアイスをだ。
こんなことが起きているのに自分がアイスを食べていることが不思議だった。アイスを食べながらこのニュースを見てちゃダメだな、と思った。食べものを残すのもそれはそれでいやだが、このときはそうした。残りのアイスは捨ててしまった。
地震からは九ヵ月。まだまだ復興してはいない。完全にするまでには長い時間がかかるだろう。
わたしも今はこうして普通にアイスを食べる。それでも、時々考えてしまう。あの地震がこちらで起きていたらわたしはどうなっていただろう。就職はできていただろうか。アカシヤは無事だっただろうか。
泉ちゃんが雪見だいふく一個を食べ終えたところで、わたしもピノ三個を食べ終える。それぞれちょうど半分。そこで交換する。今度は泉ちゃんがピノで、わたしが雪見だいふく。
ハムッと食べる。
「あぁ。雪見だいふくもおいしい」とわたし。
「ピノもおいしい」と泉ちゃん。
「なくなってほしくないね、アイス」
「なくなってほしくない。絶対」
泉ちゃんとこんなとこで一緒にアイスを食べる富さん、を想像する。言われてみれば、わかる。泉ちゃんと一緒なら、富さんもこんなとこでアイスを食べるだろう。たぶん、にこにこして食べるはず。
ご近所さんだから、富さんと泉ちゃんのことはよく外で見かける。一緒に歩いているとき、富さんは泉ちゃんと手をつなぐ。泉ちゃんがそうしたいというよりは、富さんがそうしたいのだと思う。
そしてついこないだ気づいた。富さん、そんなふうに歩くときは、必ず泉ちゃんを道の端に寄せるのだ。つまり、車の通る側を自分が歩くのだ。付き合いだして間もないカップルのカレシがそうするみたいに。そのカレシは意識してやっているはずだが、富さんは無意識にやっているのだと思う。
アイスを食べ終えると、わたしは泉ちゃんに言う。
「行こうか」
「うん」
空の容器をレジ袋に入れて立ち上がる。散歩、再開。
すぐに前方に踏切が見えてくる。JR五日市線。昭島市の拝島とあきる野市の武蔵五日市を結んでいる。単線だ。線路は一本。だから踏切も短い。
大学の友人に単線であることを話すと、驚かれる。え、弓乃、東京だよね? と言われる。うん、あきる野市、と新市名を言っても、ぴんと来てもらえない。だから、もとの秋川市、とも言うが、それでもぴんと来てもらえない。青梅のほう? と言われたりもする。ほうではないけど、まあ、そんなようなものかな、と自分で言ってしまったりもする。知らない人は、多摩地域のことを何も知らないのだ。東京二十三区より広いのに。
その単線踏切を渡る。渡りきってすぐに電車の接近を知らせる警告音が鳴ると驚かされるものだが、そんなこともなく通過。
「泉ちゃんは船橋だよね?」
「そう」
「ここに来たとき、びっくりしなかった? 線路が一本で」
「びっくりした。電車どうやってすれちがうの? って思った」
「もう慣れた?」
「慣れた」
「学校にも?」
「うん」
「転校するのは、いやじゃなかった?」
「いやだったけど。おばあちゃんと住めるから」
「そっか。おばあちゃんも喜んでるしね。泉ちゃんと住めて」
実際、富さんは楽しそうだ。泉ちゃんといるときの顔を見ればわかる。楽しそうで、うれしそうだ。子どもは大人を若くする。
そのまま道を歩き、結局は小学校に行く。校門の側からでなく、グラウンドの側から。
ここは多摩川に近い。と、そうは言っても、三百メートルぐらいは離れている。多摩川の河川敷は広いのだ。しかもこの辺りは林のようになっているので、川そのものは見えない。見るなら、何百メートルも南下して橋の上から見るしかない。今はそこまではしない。
そんな場所にあるから、小学校のグラウンドも広い。町なかの小学校だと周りに高い緑のネットが張られていたりするが、そんなものはない。低い生垣があるだけだ。わきのこの道を歩いているだけで、グラウンドや校舎が見渡せる。
小学校のグラウンドなのに、一周四百メートルのトラックがある。だから体育の授業で走るだけで疲れてしまう。運動が苦手なわたしなどは、体操着に着替えてグラウンドに出るだけで疲れていた。校舎からそのトラックまでもそこそこ距離があるので。
そんなトラックがドーンとあっても、なお余裕。グラウンドにスペースはあり余っている。実際、こちら側から見ると、校舎が遠い。
泉ちゃんが言う。
「弓乃ちゃんもここに通ってたんでしょ?」
「うん。だから懐かしい。久しぶりに来たよ」
徒歩十五分。家からそう遠くはないが、線路を挟むので、ほとんど来ることはないのだ。
小学校のグラウンドから少し先に行ったところに市のソフトボール場がある。そこのベンチに座らせてもらう。
まずは紙おしぼりで手を拭く。そしてとんがりコーンの箱となかの袋を開ける。
いただきますを同時に言うが。まだ頂かない。泉ちゃんと二人、それぞれ左手の五本指の先にとんがりコーンをはめる。魔女の長い爪のようになったその指先を目で楽しんでから、食べる。親指から順に。これもまた懐かしい。
カリカリと心地よい音が響く。泉ちゃんの音とわたしの音。二つ。
「こうするとおいしいね」とわたしが言い、
「しなくてもおいしいけどね」と泉ちゃんが言う。
「でもしちゃうよね」
「しちゃう」
「おばあちゃん、これもする?」
「する」
「するの?」
「するよ。こんな食べ方もあるんだねって言ってた」
そうやってとんがりコーンを食べながら、小学生の感覚を思いだす。
あのころはよく、文字の線で囲まれた部分を鉛筆で塗りつぶしたりしていた。例えばひらがなの、お、とか、す、とか、ね、とか、む、とか。その囲まれて丸になった部分を黒く塗りつぶすのだ。
穴があいたとんがりコーンを指にはめるのは、あの塗りつぶす感覚に似ているような気がする。何だろう。空白の部分を埋めたくなるのだ。
二十歳の誕生日に友人と入った居酒屋でからし蓮根を食べたときも、その感覚を思いだした。熊本県の郷土料理。蓮根の穴にからし味噌を詰めこんだあれ。初めて見たときは笑ってしまった。これ、まさにあの塗りつぶし感覚だ、と思って。笑ったあとは、からし味噌が予想以上に辛くて悶絶したのだが。
「あ、指、嚙んだ」と隣で泉ちゃんが笑う。
わたしも笑う。たぶん、自ら嚙みにいったのだなと思って。
泉ちゃんはこういうところがかわいい。自分で自分を楽しめるというか、楽しみにいける感じがあるのだ。こんな子がもし孫や娘だったら、本当にかわいいだろう。
だが現状、片岡津弥子さんとそのダンナさんは、こんなにもかわいい娘の泉ちゃんと一緒に暮らしてはいない。
何故そうなのか。気になることは気になる。
とはいえ、それは二十二歳のわたしが九歳の泉ちゃんに訊いていいことでもない。もしかしたら、泉ちゃん自身、何故そうなのかをまだ正確に理解してはいないかもしれない。
泉ちゃんはこのままずっとあきる野市に住むのか。いずれは船橋市に戻るのか。ここでも船橋でもないどこかへ行くなどということもあるのか。どうなるにしても。泉ちゃんにとってベストな形になればいい。それが富さんにとってもベストだろうから。
そんなことを考えていると、泉ちゃんからいきなりこんな質問が来る。
「弓乃ちゃん、好きな子いた?」
「ん?」
「ここに通ってたとき。小学生のとき」
「あぁ。うーん。いたかなぁ」とごまかしたが。
いた。はっきりと、いた。しかもその相手とは最近までつながっていたのだ。
小学校時代からずっとそうだったわけではないが、二ヵ月前までは付き合っていた。カレシとカノジョだった。
池達彦。同い歳。わたしとはちがう大学に行っている。ここが西多摩だとすると、南多摩にある大学。そこの法学部生だ。わたし同様、大学にはここから通っている。
頭はかなりいい。昔からそうだった。中学時代の定期テストでは常に学年トップスリーに入っていたはず。法学部だが、司法試験合格を目指しているわけではない。就職は信託銀行に決めた。わたし以上にすんなり決めた印象だ。
小学校の六年間で、達彦は何度もクラス委員をやった。わたしが副委員長をやったときも、委員長は達彦だった。だからというわけでもないが、よく話した。わたし自身、親しみを感じていた。いや、好意と言っていい。
頭がいいだけではなく、達彦は運動神経もよかった。小学生のときからリレーの選手になっていたし、中学生のときは陸上部に入っていた。
中学校では一度しか同じクラスにならなかったが、その一年はやはりよく話した。
一緒だったのはそこまで。高校はちがうところに行った。
達彦が行ったのはとてもいい学校だ。わたしの学校も決して悪くはないが、そこより偏差値が五は上。
その三年間は一度も会わなかった。東秋留駅でたまたま出くわす、というようなこともなかった。達彦は高校でも陸上部に入っていて、わたしは高校でも帰宅部だった。たぶん、動く時間帯がちがったのだ。そうであれば、人はまったく会わなくなる。
だが大学に入ってあっさり再会した。そのときは会ったのだ。まさに駅で。
カフェに行き、そこであれこれ昔話をした。小学校時代の委員長副委員長のことも話した。
達彦は言った。
「おれ、何度か委員長をやらされてるけど、一番やりやすかった副委員長は明石さんだよ。中学でも、同じクラスになったとき、委員長をやらされたでしょ? そこで先生に言おうかと思った。副委員長は明石さんにしてくださいって」
それにはグッと来た。久しぶりに会った相手によく真顔でそんなことを言えるな、と感心した。
その日はそれで別れたのだが。後日、達彦から電話が来て、また会った。
自宅にかかってきたその電話には母が出た。弓乃さんと小学校で一緒だった池という者です、と達彦は名乗ったらしい。それだけで母はすんなりわたしにつないでくれた。よかった。もし父が出ていたら。小学校で一緒だったどういう池さんですか? などと訊き返していたかもしれない。
その電話で約束し、また同じカフェで会った。またあれこれ話し、また会う約束をした。父に電話に出られては困るので、何日の何時に達彦がかけてわたしが出る、とはっきり決めた。
その三度めのときに付き合ってほしいと言われ、受け入れた。小学生のころに好きだった相手。断る理由はなかったのだ。
だがその感じで付き合った二人はうまくいかない。たまたま再会し、結果、付き合っただけだから。
わたしたちもそうなった。昔から知っているという安心感はあったが、ただそれだけ。わたしたちはお互いの今を知らなかった。知ってから付き合っても遅くはなかったのだ。
どちらかが変わってしまったとかそういうことではない。単にどちらもが大人になっただけ。そうなるその時間を共有していなかっただけ。
別れを切りだしたのはわたしだ。きっかけは些細なこと。おれはこの店を継がなきゃいけないのかな、と達彦が言ったこと。この店というのはアカシヤだ。
わたしがアルバイトで店番をしていたときに達彦が来た。その日その時間ならまちがいなくわたししかいないとわかっていたから呼んだのだ。久しぶりに店を見たいと達彦が望んだので。
あぁ、懐かしいな、と達彦は言った。小学生のころは、お客さんとして何度か来店したことがあったのだ。ほかのクラスメイトたちと同じように。
あのころとほとんど変わってないね、のあとに、その言葉が来た。おれはこの店を継がなきゃいけないのかな、というそれが。
カレシだから言えたことだ。もし結婚したら、という前置は付かなかった。それでも言いたいことは伝わった。カレシとカノジョだから。
冗談は冗談。深い意味はなかった。悪気もなかったはずだ。自分は池家の長男だから明石家に入るのは無理、というようなことをそう表現しただけ。
わかってはいた。が、引っかかってしまった。継がなきゃいけない、というのがよくなかった。この店を継ぐことは、プラスかマイナスかで言えばマイナス。達彦がそうとらえていることまでもが表れてしまった。
いや、わたしも同じではあるのだ。この店を継ぐのはいやだな、とはっきり思っていたのだから。ただ、他人に言われたくはなかった。他人が言うのはちがうような気がした。そう。他人。達彦はカレシだが他人だった。わたし自身がそうとらえていた。
その場では何も言わなかった。言わないどころか、わたしは怒りさえしなかった。不快な顔も見せなかったはずだ。
だが次に会ったとき、わたしは言った。この先も一緒にいることはできないから別れよう、と。
本当の理由は言わなかった。来年の四月から働きだして、お互い環境はガラッと変わる。わたしはここを出ていくし、もしかしたら勤務地は他県になるかもしれない。それは池くんも同じ。で、そうなったら無理。なる前に別れたほうがいい。そんなふうに説明した。
そうか、と達彦はあっさり言った。まあ、そうだね。何年か後に、お互い落ちついたところでまた会えるかもしれないし。
ドラマみたいなことを言うのだな、と思ったが、そうは言わなかった。うん、とだけ言い、それで別れた。
アカシヤを閉めることがはっきり決まったのは、その少しあとだ。
達彦が店に来た時点で決まっていたら、わたしの受け止め方もちがっていたのだろうか。達彦がああ言ったときに、それはだいじょうぶ、店はもう閉めるから、とすんなり返せていたのだろうか。そう考えてみた。
店を閉めることをわたしは言わなかったのではないか。そんな気がした。そして言わないまま、達彦とは別れたはずだ。
とんがりコーンを食べながら考えることでもないよな、と思いつつ、わたしは言う。
「泉ちゃんは、好きな子いるの?」
「いるよ。二人」
「二人?」
「うん。イワマくんとアリマツくん。どっちも好き。でもどっちもわたしのこと嫌い」
「そうなの?」
「そう」
「何でわかるの?」
「そう言ったから」
「そう言ったの?」
「うん。わたしが好きって言ったら、嫌いって」
「どっちも?」
「どっちも」
それはひどい。達彦よりずっとひどい。
と思ったが。小学生。しかもまだ三年生。小三男子が女子にいきなり好きと言われたら、とまどってしまうかもしれない。ギョエ〜ッとなってしまうかもしれない。ぼくも好き、とはならないだろう。
だとしても。イワマくんとアリマツくん。もったいない。泉ちゃん、こんなにかわいいのに。
まったく。男子たち。いずれ後悔せよ。
「その子たちは照れてただけだよ」とわたしが言い、
「そうかなぁ」と泉ちゃんが言う。
「絶対そう。泉ちゃんに好きと言われて恥ずかしがってるだけ。イワマくんもアリマツくんも、泉ちゃんのこと、たぶん、好きだよ」
「好きならうれしいはずだよ」
「そうなんだけど。そこは恥ずかしがっちゃうのね。恥ずかしいからつい嫌いって言っちゃうの。男の子って、そういうとこがあるのよ。それは、まあ、女の子にもあるけど」
「ある?」
「ある、んじゃないかな」
「わたし、ない。好きなら好き。イワマくんもアリマツくんも好きだし、おばあちゃんも好き。お父さんもお母さんも好き。好きなのに嫌いなんて言わない」
おぉ、と感心する。いや、もう少し上。感動に近いレベルだ。
すぐ隣でそんなことを言いながらまた左手の指にとんがりコーンをはめだしている泉ちゃん。何だか抱きしめたくなる。わたしがイワマくんやアリマツくんならまちがいなく、ぼくも好き、と言っている。
わたしもとんがりコーンを指にはめていると、泉ちゃんがまたもいきなり言う。
「お店、なくなっちゃうの?」
「え?」
「アカシヤ。なくなっちゃうの?」
「あぁ。知ってるの?」
「おばあちゃんに聞いた」
母が富さんに話したのかもしれない。いきなり閉めたら富さんも困るだろうから。
「今は、ほら、ほかのコンビニとかも結構あるからね。お客さんも、前ほどはいないし」
「わたし、アカシヤ好き」
「ほんと?」
「ほんと。好きだから嫌いなんて言わない」
「ありがとう。わたしも、わたしのお父さんとお母さんも、泉ちゃんが好き。アカシヤが泉ちゃんを好き」
泉ちゃんはさらにこんなことも言ってくれる。
「アカシヤがないと不便」
これは小売店にとって最高のほめ言葉かもしれない。
確かにそうなのだ。最寄のスーパーまで歩いて二十分、は遠い。アカシヤが広い範囲をカバーできていたとは言えないが、近所の人たちの役に立ててはいたはず。娘のわたしにでさえその程度の思いはあるのだから、長く店を営んできた父と母はつらいだろう。
しかも母は、歩いて二十分のそのスーパーでパートをやることになるのだ。ついこないだそんなことを言っていた。あそこならいつでも募集はしてるから、と。
「でもね」とわたしは言う。「泉ちゃんがお客さんになってくれてよかったよ」
「何で?」
「だって、こんなふうに一緒にお散歩できたし、とんがりコーンも一緒に食べられたし」
「散歩は一人でもできるし、とんがりコーンは一人でも食べられるよ」
「そうだけど」
そうだけど。散歩もとんがりコーンを食べるのも、人と一緒にするほうが楽しい。富さんだってそうだろう。泉ちゃんがいるから指にとんがりコーンをはめる。一人なら、たぶん、はめない。二十二歳のわたしは、一人でもまだはめてしまうが。
逆に。達彦と二人でそうすることはないだろう。
あのまま付き合ったとして。二人でとんがりコーンを食べる機会はあったかもしれない。だが達彦がそれを指にはめることはなかったはずだ。わたしがやったとしても、乗ってくることはなかっただろう。まず、わたしも達彦の前でそれをやろうとはしなかっただろう。そんな気がする。
何にしても。
アカシヤがないと不便。
泉ちゃんからその言葉が聞けてよかった。
父と母にも直接聞かせてあげたかった。泉ちゃんがそう言ってたよ、とわたしが伝えるのでなく。泉ちゃんの声で。
*
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著者プロフィール
小野寺史宜(おのでら・ふみのり)
千葉県生まれ。2006年『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。著書に『みつばの郵便屋さん』シリーズ(全8巻)、『東京放浪』、『太郎とさくら』、『ライフ』、『天使と悪魔のシネマ』(以上、ポプラ社)、『とにもかくにもごはん』(講談社)、『タクジョ!』(実業之日本社)、『片見里荒川コネクション』(幻冬舎)、『食っちゃ寝て書いて』(KADOKAWA)、『今夜』(新潮社)、『君に光射す』(双葉社)、『ひと』(2019年本屋大賞2位)、『まち』、『いえ』(祥伝社)などがある。