「悲劇を伝えることは、未来について考えるということ」
法学部 4年 杉本 汐音(すぎもと・しおね)
今年6月、東京2020オリンピック競技大会で静岡県の聖火ランナーを務めた杉本汐音さん。自身の生まれ育った街、静岡県焼津市を出港した遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が、1954 年に米国の水爆実験により被ばくしたという悲劇を知り、東京都立第五福竜丸展示館でボランティアとして活動しながら、核兵器の恐ろしさや平和の大切さを語り継いでいく活動に取り組んでいます。そんな杉本さんに、展示館での活動や聖火ランナーとしての思い、そして今後の展望などを聞きました。
——展示館ではどのような活動に取り組んでいるのですか?
ボランティア・スタッフとして、普段は来館者を案内したり、物品の販売をしたりしています。また、イベントの手伝いや勉強会に参加することもあります。昨年は、地元紙の静岡新聞で、「第五福竜丸展示館から 学生ボランティア・リポート」と題した11回のコラムを連載させていただきました。学生のボランティアとして活動をするにあたり、若い世代の視点から伝えていくことを意識しています。
2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で展示館が休館になる時期もありましたが、その期間には、子どもたちがステイホーム中に第五福竜丸について学ぶことができるように、絵本の読み聞かせ動画を作成しました。この動画は第五福竜丸展示館のWebサイトとYouTubeで公開されています。読み聞かせを通じて、小さな子どもたちに第五福竜丸のことを伝えていくことができればと考えています。
——平和のための活動には、中高生の頃から関わってきたそうですね。どのようなきっかけで第五福竜丸や平和への思いを抱くようになったのですか?
第五福竜丸展示館を初めて訪れたのは小学5年生のときでした。「なぜ焼津の船が東京にあるのだろう?」と疑問に思ったのを覚えています。展示館で、第五福竜丸の悲劇や、核兵器の恐ろしさや悲惨さを知り、次第に「焼津市民の一人として、第五福竜丸のことを世界に伝えていきたい」と思うようになりました。
中学生のときに「中学生平和使節団」として長崎を訪問し、原子爆弾による被害について学ぶ機会がありました。その後、高校生平和大使としてジュネーブの国連欧州本部を訪れ、第五福竜丸についてのスピーチを行いました。また、静岡で平和に関するイベントなども行っていたのですが、その中で第五福竜丸展示館の学芸員さんと知り合い、大学生になって上京したのをきっかけに展示館でボランティアを始めました。
——今年開催された東京2020オリンピック競技大会では聖火ランナーに選ばれ、焼津の街を走りました。実際にトーチを持ってみて、どんな思いがありましたか?
大会が1年延期されたということもあって、実際に走ることができるのか分からない状況でしたが、聖火ランナーに選んでいただけただけで、とても光栄なことだと思っていました。聖火リレー当日は、沿道からたくさんの人が応援してくださった光景が記憶に残っています。生涯忘れられない200メートルになりましたね。
また、聖火のともされたトーチを持って走りながら、「つなぐ」ことの意義を考えました。全国のランナーがいろいろな思いを乗せて運んできた炎をつなぐことの大切さや、手を振ってくれた焼津の方々との心のつながりも感じられました。そして、展示館の活動で出会った人たちのことを思い出しながら、平和をつなぐという思いを聖火に乗せて走りました。
——ボランティアの活動と学業を両立していますが、法学部ではどのようなことを学んでいるのですか?
法学部では医事法のゼミ(甲斐克則法学学術院教授)に所属し、医療分野における「尊厳死」や「再生医療」といった「答えの見つかりにくい問題」について考えています。一見すると「平和」とのつながりはなさそうですが、答えの見つかりにくい問題を追いかけるということは、どうすれば平和な世界を実現することができるかを考えることにもつながっていると思います。
私が早稲田大学に進学したのは、「多様な人たちに出会いたい」という思いからでした。高校生平和大使を務めていたときに国連の外交官の方々と出会ったのですが、とても多様な人たちが集まって活動をしているのを見て、多様な学生が集う環境に憧れたんです。大学では、国際学生寮WISHでRA(レジデント・アシスタント)を務めています。WISHにいると留学生をはじめ、さまざまな学生と知り合うことができて楽しいです。
写真左:WISHの送別(フェアウェル)イベントにて、企画担当のメンバーと(左から2人目が杉本さん)
写真右:2018年のWISH祭にて(最後列左から5人目、インドネシアの国旗を持っているのが杉本さん)
——4年生ということで、これから新たな目標へ進んでいくことになると思います。今後に向けた抱負や展望を教えてください。
展示館の活動を通して強く記憶に残っているのは、第五福竜丸の乗組員の一人であり、核兵器の恐ろしさを訴え続けてきた大石又七さんとお会いしたときのことです。最後に直接お話しすることができたのは、2019年12月でした。その後は新型コロナウイルス感染症の流行などもあって面会することがかなわないまま、今年3月に大石さんは亡くなられました。お会いしたとき、大石さんは私に「あなたのような若い方たちが、次の世代に伝えていってくださいね」とおっしゃいました。その言葉はずっと私のボランティア活動の原動力になっています。
大学を卒業した後は、地元のテレビ局に就職します。メディア関係の仕事を選んだのは、やはり「発信したい」という思いが強くあるからです。
展示館でのボランティア活動や聖火ランナーの経験を通じて、つなぐこと、伝え続けることの大切さを感じてきました。うまく伝えられるか分からなくても、自分なりの視点や方法を模索していくことが重要だと思います。コラムの執筆や絵本の読み聞かせでも、自分の目線から発信することで、より身近な物事として感じてもらえるように意識してきました。悲劇を伝えることは、未来について考えることだと思います。これからも第五福竜丸のことを未来に「つなぐ」ための発信方法を追い求めていきたいです。
第794回
取材・文・撮影:早稲田ウィークリーレポーター(SJC学生スタッフ)
法学部 4年 植田 将暉
【プロフィール】
静岡県出身。県立静岡高等学校卒業。早稲田大学に入学したのは、多様な人たちに出会えそうだという理由だけでなく、キャンパスを歩いたり、卒業生の書いた本を読んだりする中で面白そうな大学だと感じたからだそう。趣味は料理と散歩。WISHでも自炊をしている。散歩をしながらお気に入りの店を見つけて、ふらっと入るのが楽しいのだとか。東京2020パラリンピックでも表彰式のボランティアとして活動した。