文学学術院教授・大学史資料センター所長 大日方 純夫
早稲田キャンパス正門の左脇に大きな碑がある。花崗岩の正面にはめ込まれた真鍮製の板には、「学問の独立」・「学問の活用」・「模範国民の造就」からなる教旨の全文が刻まれている。教旨そのものは、1912年の創立30周年のとき、高田早苗学長の発案で定められたものだ。記念式典で演説した大隈重信総長は、「学問の独立」「学問の活用」によって、世界に貢献する人格を養成することが必要だと力説した。
碑がつくられたのは、その25年後のことである。1937年11月3日、大学は「国旗掲揚式」と「建学之碑除幕式」を挙行した。田中穂積総長は訓話で、「学問の独立」には触れず、「一命を君国の為めに捧げる」ような「模範国民」像を強調した。日中戦争が全面化し、折から国民精神総動員運動が展開されていた時であった。
ところで、碑の文面を追っていくと、現在の教旨とは異なる箇所があることに気づく。「早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、立憲帝国の忠良なる臣民として個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。」
この文の下線の箇所は、現在の教旨にはない。1945年の敗戦後、新憲法が制定され、教育基本法と学校教育法が成立した。新しい思潮のもと、大学は教旨改訂のための委員会を設置した。委員会では、全面改訂案と、「立憲帝国の忠良なる臣民として」の14字を削除する案の2案をまとめた。1949年、大学は後者の案を新時代の教旨として採用した。
現在、この改訂からもすでに60年以上が経過している。今、早稲田大学は「模範国民の造就」について、「グローバリゼーションが進展する現代、豊かな人間性を持った『地球市民の育成』と言い換えることができる」と説明している。教旨の発案者高田が、養成すべき「模範国民」は時代によって相違すると、繰り返し主張していたことが思い起こされる。