〜第5回〜「早稲田大学校歌」の石碑 – 早稲田ウィークリー

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コラム

〜第5回〜「早稲田大学校歌」の石碑

大学史資料センター 助教
檜皮 瑞樹

「都の西北早稲田の森に」で始まり、「ワセダ・ワセダ」のエールで終る『早稲田大学校歌』。在学生なら入学式や卒業式、その他のイベントで一度は歌った経験を持つであろう。また、『都の西北』は日本で最も有名な、そして最も歌われた大学校歌といっても過言ではない。

この校歌は1907(明治40)年の創立25周年祝典にあわせて制定され、祝典のなかで初めて披露された。校歌制定の中心的役割を担ったのは、文学科教員の坪内逍遙と島村抱月であった。当初は、学生からの懸賞募集を行ったが思うような作品が集まらなかったため、作詞を卒業生の相馬御風、作曲を雅楽家の東儀鉄笛に依頼した。

校歌が作られた過程については相馬御風がのちに詳細に回顧している。御風と鉄笛が事前に打ち合わせを行い、イギリスやアメリカなどの大学校歌を参考資料としたこと、完成後に坪内逍遙が筆を入れたが3番の歌詞の「心のふるさと」という言葉を絶賛されたこと、さらには「ワセダ・ワセダ」のエールは坪内逍遙の発案であったことなどを御風は書き残している。

▲相馬御風自筆の早稲田大学校歌

また、校歌研究会の鈴木克己氏によれば、鉄笛が作曲の参考にしたのは『OLD YALE』という曲であり、『早稲田大学校歌』との多くの共通点が確認されている。

校歌が初めて披露された創立25周年祝典では、大隈銅像(初代)の除幕式もあわせて挙行された。また、この祝典では、東京専門学校創設以来大学の公式行事に参加することのなかった大隈重信が初めて演説を行い、大学の総長に就任したこととあわせて名実ともに早稲田大学の象徴となった。祝典後は、学生・教職員・卒業生が皇居に向けて提灯行列を行い、楽隊を先頭に制定されたばかりの校歌が高らかに歌われたのであった。

校歌の碑は校歌制定90年と相馬御風生誕115年にあたる1997(平成9)年に建立された。石碑には御風の出生地である新潟県糸魚川市姫川の銘石を使用している。現在も大学正門を入って左手の木陰のなかにあり、御風直筆の歌詞が刻まれている。

▲現在の校歌の碑

1249号 2011年7月7日掲載

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