原田 宗彦 | 国連広報センター

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国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)民政部副チーフ 原田 宗彦さん

原田 宗彦(はらだ むねひこ)
国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)民政部副チーフ

早稲田大学在学中に冷戦後の国際政治の大きな変動を目の当たりにし、漠然と安全保障における国連の役割に興味を持つ。ロンドン経済政治大学院(LSE)やジュネーブ高等国際問題研究所(HEI)等で国際関係学を学んだ後、1999年1月、JPO制度を経て国連に。2002年10月から、東ティモールのPKOで国連事務総長特別副代表補佐官を1年半経験。ジュネーブに戻った後、半年足らずのうちにコソボのPKOに政務官として参加。現地で2年半の勤務を終え、国連ニューヨーク本部PKO局に移りコソボを担当。コソボの一方的な独立宣言の対応およびEUミッションの展開に伴う国連コソボPKOの改造を見届けた後、スーダンに政務官として赴任。2011年7月の南スーダン独立後は現地で国づくり支援ミッションに参加。2013年2月より現職。

東西180キロに及ぶ緩衝地帯

日本でキプロスと言うとあまり馴染みがなく、地中海に浮かぶギリシャの島々の一つと思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか? ヨーロッパでは地中海有数のリゾート地と知られる、EU加盟のれっきとした独立国です。では、なぜそこでPKOが展開しているのかと思われるかもしれません。私も、同僚に半分羨まれながら“ビーチ・キーピング”と揶揄されることもあり、南スーダンでの1年半にわたるコンテナでの生活を経験した後だったので、「キプロスで一息つくのも悪くない」と密かに自分を説得していました。ところが、実際に来てみるとBuffer Zone(緩衝地帯)では様々なことが起こっていて、忙しい職場であることがわかりました。

キプロスの地図。青いラインで囲まれて
いるのが緩衝地帯。
緩衝地帯は、広いところで幅が約7キロ、
狭いところで約3メートル。

東西約180キロに及ぶ緩衝地帯は、キプロスとの統一を目論んだギリシャの軍事政府主導による1974年のクーデターを機に、トルコ共和国政府軍がトルコ系キプロス人の保護を名目としてキプロスに軍事介入したことを受けて設置されました。これにより、キプロス島は事実上2つの地区に分割され、南部のギリシャ系キプロス(キプロス共和国)と北部のトルコ系キプロスに分かれました。その後、1983年にトルコ系キプロス側は一方的に独立を宣言し、トルコ共和国だけに承認される「北キプロストルコ共和国」を名乗る“国家”となり、キプロス共和国の支配効力の及ばない地域となっています。現在も国連の仲介のもとキプロス統一を目指した交渉が続いています。

最も長い歴史を持つキプロスPKO

国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)の活動は伝統的なもので、緩衝地帯を挟む停戦ラインの現状維持(軍事)、同地帯内の安全と秩序の維持(警察)、そしてごく普通の市民活動ができるだけ営める環境の創出(民政)の三本柱を目的として国連の軍、警察そして民間人スタッフがそれぞれの任務に当っています。私が所属する民政部は、南側のギリシャ系キプロス政府(キプロス共和国)と北側のトルコ系キプロス“政府”の南北統一に向けての和平交渉の助けになる状況を作り出すために活動しています。2014年3月に50周年を迎えたUNFICYPは、―あまり誇れることではないですけれども―現在展開しているPKOの中で最も長い歴史を持っています。

民間人スタッフ、軍人そして警察官の
計28人で構成される民政部

緩衝地帯での衝突を忍耐強く防ぐ

私の主な任務は3つ目の柱である「民政」にあたり、ギリシャ系とトルコ系側の安全を脅かさない限りにおいて、緩衝地帯内におけるキプロス人による農工商業活動の円滑な運営を奨励、維持していくことです。このために、UNFICYP民政部では軍と警察と共に活動の査定を行い許可証を発行しています。日々、UNFICYPが緩衝地帯をパトロールすることで、軍事面の現状維持や安全面のほか、許可が下りていない市民活動もチェックし、適宜対応しています。
こうした仕事で一番苦労することは、一見些細に思われそうな問題が、キプロスの場合すぐに政治問題化してしまうことです。平和に見えるものの、ギリシャ系とトルコ系がお互いの行動を逐一監視し、緩衝地帯における小さな変化も猜疑心を持って見ているように感じます。そのため私たちは、どうにか政治問題化しないように、双方の“村長”さんと折衷し、時には“外務省”の理解を得ながら、個人や業者が通常の経済活動を営めるよう解決方法を探るよう努力しています。外部の人間からすると、両者があまりにつまらないことで頑なになっていると、フラストレーションが溜まることもありますが、忍耐強く外交的にアプローチし、問題解決に結び付けるよう心がけています。

ニコシア旧市街を分断する緩衝地帯、通称グリーン・ライン。40年前の面影をそのまま残している。国連が毎日パトロールを行っている。
国連の許可なしに緩衝地帯に建築物を建てようとするギリシャ系の地主と交渉中。すぐ後方はトルコ側の停戦ライン。(左から2人目が筆者)

同じ国連でも異なるワーク・ライフ・バランス

本部の環境で働く場合とPKOのように現場で働く場合とでは、ワーク・ライフ・バランスのあり方が異なります。ニューヨークで勤務していた時は、事務所を挙げてワーク・ライフ・バランスを奨励していたため、時間外労働時間が多い場合には月に一度金曜日に休みを取ったり、朝早く出勤した日は早く仕事を終えて帰宅したりなど、柔軟な働き方が可能でした。一方、コソボやスーダンのPKOで活動していた時は、仕事と生活の区別が基本的にありませんでした。キプロスでもPKOとして働いているものの、勤務地のカテゴリーは本部と同じ扱いなので、特に問題は感じていません。ただ、既婚者はパートナーの仕事や子どもの学校の問題があるため、異動には困難が付きまとうと思います。
治安状況があまり良くない地域のPKOでは、家族と一緒に住むことが認められていないため、2カ月に一回、5日間ほど休暇を取れる制度になっています。そこでスタッフは有給休暇と合わせて2週間ほど休み、家族に会うなどして生活のペースを整え、英気を養ってから仕事に戻ります。危険度の高い地域でのPKOは基本的に週7日24時間体制で、軍事的・政治的に緊張があるため、かなりストレスが溜まります。仕事以外の時間で会う人もほとんど同僚なので、仕事と生活の区別が全くない状況になってしまい、仕事の生産性が落ち込んでしまったり、スタッフ間のいざこざが起こったりする原因にもなりかねません。私にとっては、定期的に勤務地から離れることは、心身ともにリフレッシュする意味でかなり重要なので、休暇制度を必ず利用してきました。また、PKOでは過酷な地域で長年勤務しているスタッフも多く、こうした人々が定期的により安全な地域で勤務できるようにするためには、国連事務局の雇用政策面でのサポートも重要になってくると考えています。

緩衝地帯内のとある村長さんを訪ねて

国連に興味を持っている方々へ

国連と言うと現実味のない、遠い存在のような感じを抱く方がいるかもしれません。私も学生の頃、「将来国連で働きたい」とある人に言ったところ、あまり真剣に受け止めてもらえませんでした。しかし、希望があればその時点で可能性があるわけですから、国連に興味がある方は是非その可能性を探ってもらいたいです。日本人は、帰国子女でない限り語学力で損をしている感じがありますが、今はインターネットが発達しているので日本にいながら語学力をアップできる方法はたくさんあります。自分の専門の分野を持ち、語学力さえカバーできれば必ず道は開けるでしょう。日本は世界で洗練された文化を誇る国。自信を持って。世界はあなたを待っています。