自分の今の気持ちを伝えるためには、どうしても「CrossChannel」について一から説明する必要があります。
私はこのゲームのことが大好きで、たぶんもう知ってる人はいないと思うけど昔「適応係数17」っていうタイトルのブログでこの作品について思ったことを延々と書いてたことがあります。そのくらいに思い入れがあるゲームです。
というわけで作品への思い入れが強すぎて、残念ながら記事でちょちょっと伝えるのは難しいなと思います。
なので、せめて「Cross☨Channel」をプレイしたことがある人にだけ呼びかけます。
「がっこうぐらし!」は「Cross☨Channel」難民を救済してくれるものであるからぜひ読むべきだと。
私から言えるのはそれだけです。
がっこうぐらし! 12巻【Amazon.co.jp限定描き下ろし特典付】 (まんがタイムKRコミックス)
- 作者:海法紀光(ニトロプラス),千葉サドル
- 出版社/メーカー: 芳文社
- 発売日: 2020/01/10
- メディア: Kindle版
以下はメモ。「がっこうぐらし!」読む気がある人は、12巻をちゃんと読み終わってから読んでね。
CROSS☨CHANNELの放送
「こちら、群青学院放送部」
たとえ無駄だとわかっていても。すがりついて生きていく。力強く言葉を押し出した。
「生きている人、いますか?」「もしいるのであれば、聞いてください。今あなたがどんな状況に置かれているのか、俺は知りません。絶望しているかもしれない。「苦しい思いをしているかもしれない。あるいは・・・・死の直前であるかも知れない。そんな、全部の人に、俺は言います・・・・・・・生きてください。ただ、生きてください。居続けてくれませんか。これは単なる、俺のお願いです。もしこの声を聞いてくれる人がいるのであれば、一人ぼっちではないってことだから。聞いてる人が存在してくれるその瞬間、たとえ自覚がなくとも、俺とあなたの繋がりとなるはずだから。そう考えてます。
人は一人で生まれて、一人で死にます。誰と仲良くしても、本質的には一人です。通じ合っても、すべてを共有するわけじゃない。生きることは、寂しいことです。寂しさを、どう誤魔化すかは・・・大切なことです。そのために・・・他人がいるんじゃないかと思います。あなたには誰かとの思い出が、ありますか?それは貴重なものです。決して忘れないようにしてください。孤独と向かい合った人の、唯一の支えだからです。理想は、近くにいてくれる誰か。けど今は、そんな当たり前さえ保証されない。
けれど・・・俺はここにいます。あなたがそこにいるように」
目を閉じる。万感の思いを込めて。
「こちら、群青学院放送部。生きている人、いますか?」
-----祈った
「ではまた来週」
「こちら、群青学院放送部。今週もやってまーす。第何回だっけな、まあいいや、第5回か6回です、たぶん。相変わらず生きていますか? 元気ですか?俺は元気です・・・うまく折り合いをつけて、生きてます。なんというか・・・ほんとは必死に生きてます。最近は、いろいろなことがわかってきて・・・。昔、知りたかったことがどんどん、理解できるようになって、泣いたりべそかいたりしてます・・・・・・
最近思うことの一つに、こんなのがあります。無条件で人が好きになれたらって。
大切だとは知っていた。けど大切だとは思えなかった。理屈ではわかっていて、気持ちで納得できないのと似て・・・俺は周囲の人間を無価値なものとして、ずっと軽んじてきたんです。距離を置いて、会話せず、一人で。興味がないかのように。けど、実際は違ってた。人の愛し方を、知らなかっただけで・・・望んでいた。そう、ある人たちが教えてくれました。自分のため、誰かを好きになる。それだけで良かったんだって。そこから先のことは、考えなくてもいいんだって。そうでなかったら・・・当たり前のようにそばにいる相手を、家族を、兄弟とか、そんな理由でしか好きになれないだろうから。
理解できた時には、誰もいなくなっていました。だから俺は、こうして語りかけています。返事はなくていい。聞いていてくれれば、それだけで。だから・・・俺はここにいます。向こうにいるあなたが、誰であったとしても。俺は、確かにいます。また来週」
「おいしいごはん食べてますか、群青学院放送部です。順調に生存中。人は一人でもバッチリ生きていけるようです。生きていますか?
・・・心について、よく考えます。心は生きる機能。自分で立たないと、心の領土は決して広がらないから。だから人は、一人で生きます。だから人と人は、距離を置いて生まれてきます。他人を利用するのはいい。充実して生きるために、誰かと絆を繋ぐのは許される。けど・・・相手と同化することは、できないんです。今、この放送を聞いているあなたと俺は、触れ合うことはできないのと一緒です。
だけど弱い心は、信じたがらない。重なろうとする。依存だったり、隷属であったり、いろんな方法で、自分と誰かとの間にバイパスをもうけようとする。でもね、それ無理です。人は一人で生まれて、死ぬまで一人だから。その断絶は、絶望的な距離に思えるかもしれない。いやになるかもしれない。
でも、俺はここにいます。また来週、こうして放送することになると思います。その次も、またその次も。死ぬまで。俺はここにいるように、あなたがそこにいてくれるなら・・・俺はうれしい。生きる励みになるから。じゃあ、また来週--」
CROSS†CHANNEL -FINAL COMPLETE-
……こうやってまとめたところで、思い出して感動するのはプレイしたことがある人だけであって、このゲームプレイしてない人は、この放送をしている主人公がどういう人間かわからないから、放送されている内容だけ見たら大したこと言ってないように感じるんじゃないかな?と思ってます。 *1 そして、それは仕方がないことです。そのくらい人間って全然分かり合えない。
でも、それでも人は「通信」することはできるし、通信せずにはいられないのです。
私が今こうやってブログを書いてるのも、目の前にいない誰かに向けて伝わる可能性を信じて語らずにはいられないからです。
誰かに届く保証なんてない。誰にも届かなければ私のやってることは無意味。
それでも、誰かに届くことを祈ってメッセージを発するという行為をせずにはいられない。
「人間は、色々なことをしゃべりますけれど、本当は、二つのことしか言ってないんです。
一つは、私は、ここにいます。
そして、もう一つは。
あなたが、そこにいてよかった」
「それだけですよ。でも、何度言っても、それを言い尽くせないから、みんな、しゃべるのをやめないんです」
屋上での「通信」のシーンが私の中で「がっこうぐらし」という作品のクライマックス
当時このあたりの作品をプレイして心を掴まれた人間にとっては、
最終巻においてユキが屋上に一人でいって、
見知らぬ誰かに勇気を出して通信をする光景はたまらないだろうと思います。
もしもし聞こえますか?
こちら巡ヶ丘学院学園生活部。
聞こえてる人、いますか?(中略)
ここまで来たよ。
あなたに会うために……来たよ。
私は、ここにいるよ。こちら巡ヶ丘学院学園生活部。〇〇〇〇です。
あなたのことを教えてください。
あなたは誰ですか。どこにいますか。
さらにいうと、この作品では、その通信がちゃんとつながるんですね。
もうこの瞬間がすごいうれしくて。
この瞬間が読めただけで、その後結末がどうであれ読んでよかったって言いきれると思いました。
実際、このシーンの後は割と私の中ではどうでもいいまである。
「がっこうぐらし!」っていうタイトルだから最終話では「学校とは」って感じで語ってるけど私にとっては完全にCross☨Channelの先を描いた作品になってしまいました。
途中ちょっとダレ気味かなーって思ったけど最後に自分が見たかったシーンを描いてくれた「がっこうぐらし!」。
読んでよかったです。本当にありがとう。ありがとう。
*1:このゲーム中では、人間は決してほかの人と同化したりつながることはできないという現実をぐうの音も出ないくらいえげつない形で可視化します。ここまで「孤独」が可視化されてしまうと、人は自分が孤独であることを見て見ぬふりをすることはできない。そんな絶望の中で、それでも自殺したりせず生きるということを選んだ主人公の叫びです。どこまでそれが続けられるのかわからない、果てのない戦いをやってる姿なんですね