「辺獄のシュヴェスタ」6巻(完) - 頭の上にミカンをのせる

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「辺獄のシュヴェスタ」6巻(完)

作品評価★★(個人的評価★★★★★)

類似作品
ベルセルク    ★★★★★
風の谷のナウシカ ★★★★★
狂死郎2030     ★★★★★
グリザイアの楽園 ★★★
約束のネバーランド ★★★

作品を構造的に見ると「ベルセルクにおいて、グリフィスという存在をきちんと描ききること無くガッツが倒してしまった」みたいな展開であり、明らかに未完成作品だ。この人のデビュー作である「地の底の天上」を見ても、絶対に「ベルセルク」がやりたかったはずだと確信しているが、それは結局達成できずに終わってしまった感じがある。それはよくわかっているのだが、この作品のことがメッチャクチャ好きです。

この作品については3巻まで出た時に一度感想を書いたことがあった。その時点では2つ期待していた点があって、一つはサバイバル・復讐譚。もう一つが、エーデルガルドとエラという傑出した二人の人物の対決、という部分だった。しかし、実際にはこの作品ではそのどちらも描かれてはいるものの、本当のテーマはそのどちらでもなく、本当のテーマは、作品タイトルの通り「辺獄のシュヴェスタ(姉妹)」だった。

辺獄は、洗礼を受けずに死んだものの行き着く地。罪もないが赦しもない。これは地獄の辺り、辺獄じゃ。

神を信じる視点からみれば、神を信じないというのはイコール地獄のようなものなのだろうが、実際は修道院に染まることを拒否し、彼女たちが押し付けてくる「神」を信じることを拒否し、「姉妹」を信じて戦い続けた少女たちは、苦しい戦いの中でも笑顔だった。

あまりにも残酷な世界において、彼女たちの友情は奇跡なようなものであり、とても美しく、(彼女たちにとっては酷な話では有るけれど)この友情が紡がれる姿をもっと長く見続けていたかった。それだけ魅力的な作品でした。

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(1)脱獄劇 / 復讐譚としての本作品 =「ベルセルク」「狂死郎2030」

復讐譚は最初の物語の駆動要素であり、3巻までひたすら脱獄と復讐譚をあわせたパワフルな展開でシンプルな面白さだった。しかしこの方向性は途中で挫折する。

彼女は母親の復讐のためにエーデルガルドを頃すと決意したわけだが、復讐のためなら手段を選ばない、という生き方を選ぶには、彼女の母親が善良すぎた。彼女の母親の教えがそれを許さなかった。そのために、彼女はただでさえ大変な復讐の際に、彼女が倒していく存在そのすべてを背負うハメになる。終盤に否定されている。彼女が復讐のためになしてきたことの後始末についても、結局エラというキャラが強すぎてイマイチ「罪と罰」という展開にはならない。

もしも神がそこにいるなら、ひとつだけ聞いて欲しい。
これから行う殺害に、もしも1片でも正しい意味が、善い結果があるのなら、
それは私が殺した人々の栄光としてください。
そして、その残りはすべて、私の所業。
復讐とは受けた傷を返すこと。ならばこれは復讐ではない。
受け取れエーデルガルト。お前に与えるのは、私の意思で行使する、私自身の暴力だ

3巻までのエラ無双に対し、4巻から先のエラが抱えてしまった葛藤は重たすぎて、ここで作品が失速した感じはある。しかし、エラがこういうキャラだったからこそ私はこの作品が大好きである。


(2)エラとエーデルガルドの思想的対立としての本作品 =「風の谷のナウシカ」

また、エラとエーデエルガルドの思想的対立という側面。これについて、結局二人は同じ土俵で対決するというところまで進むことは結局なかった。読者はある程度エーデルガルドのことを知ることができるが、二人の間にはラストでの会話以外にやり取りがなく、お互いにお互いを知ること無く終わってしまった。 作品中でどちらかがどちらかを明確に否定するという形にはならなかった。 思想的にはお互いは平行線のままである。これはとても残念である。

「お前は、私の母さんを、無実の母さんを殺した。」
「よいでしょう。ここまできたあなたの意気に免じて、そのそしりは受けましょう。ではきくが、エラ。私を殺せば、私が救うはずの未来、何億何兆の人々の幸福な生を、貴方一人のために奪うことになる。あなはたそれを大罪だとは思わないのか?」
「もし本当に、あんたが永遠の、幸福な未来を作り出せるとして、
 そんなものをありがたく受け取るほど、人間がいつまでも恥知らずだと思うなよ……」

悔い改めるな。お前のような人間は、ただ、思い知れ

このあたりをガチでやろうとすると、本当に「風の谷のナウシカ」をやることになると思うのだけれど、それだと、エラは仲間を犠牲にして一人脱出し、そこから力をつけて……という冗長な展開にせざるを得なかっただろう。本作品ではあえてそれをやらずに、お互いがお互いの道を突き進もうとした結果両者は相手の考えなど知ること無くぶつかり、結果として片方がわがまま(目的)を通す、という展開になっている。これはこれで納得行く形ではあるが、「ダイジェスト」で飛ばされた1年半の間に、あれだけ「考えることをやめるな」といい続けていたエラがエーデルガルドのことを何も知ろうとすることなく、というのは強い違和感があり、どうしてもこの部分には不満は残る。


(3)仲間が力を合わせて困難と立ち向かう話としての本作品 =「グリザイアの楽園」

結局のところ、最後に残ったものは「エラ」という少女及び、彼女と関わった人たちの生き様という部分になる。この作品は、舞台こそ狭いものの、「ジョジョの奇妙な冒険第三部」のような読後感を味わわせてくれる。

「花京院! イギー! アヴドゥル! 終わったよ……」

エラの目的は最初はただ一人、ただ母の仇を頃すことだけの話だった。しかし、長い修道院生活の中で彼女はいろんなものを背負って戦うことになった。彼女一人なら(1)や(2)の物語に展開することができたかもしれない。しかし彼女はいろんな人間を背負おうとして、その重みによってあまり高く飛べなくなった。終盤にいけばいくほど割りと普通の人間になってしまっている。それでいて、普通の人間では耐えられない行為を続けていたのだから、はっきり言って限界だっただろう。

その代わりに、最初は彼女に遠く及ばなかった少女たちが、彼女に追いつき、独自のやり方でエラを助けようとする。彼女たちがエラを助け、成し遂げるという展開であれば、これはこれで美しい物語になっていただろう。しかし、最後の最後でエラは一人でエーデルガルドと対峙することになる。その点でも物語の構造的には美しくない。

お話として美しくはないが、だからこそこの作品に登場するキャラたちがとても好きになれる

しかし、私はこんな風にエラが葛藤して迷走し、それでも最後に一人で目的を成し遂げ、その後を周りの人間が助ける、という展開は美しくないからこそ人間味があってとても好きです。

極限状況において信じるもの、頼るべきもの、それは何かという問に対して、少なくともエラやその周りの人間は、この作品においては、明確に「神に祈る」のではなく「苦節をともにした姉妹(仲間)」だという答えを得ている。

修道院からの「脱獄」や「総長を倒す」という目的そのものよりも、この時代に神に頼らない、という決断を下すことはとても困難であったと思われるけれど、それを成し遂げるくらい強く結ばれた「友情」が描かれているこの作品は、読んでいて本当に胸が熱くなる。



余談ですが、この作品の最初に出てくる「ローマ劫略」はかなりイベント的に重要で、このあたりを知っておくとこの作品がより楽しめると思います。