第23回目は、「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の山陽コース(下り)で2日目に訪れる、山口県岩国市「吉川史料館」での一幕をピックアップ。岩国藩鉄砲隊の「瑞風」歓迎演武について、皆さんのお話を交えてご紹介します。
明治以降、途絶えていた鉄砲隊を復活させて伝承。
830年以上も続く吉川家に伝わる歴史資料や美術工芸品など、約7,000点を収蔵する「吉川史料館」。国指定の重要文化財を数多く有し、鎌倉時代の太刀「狐ヶ崎」は国宝となっています。
淡路の白砂利を敷きつめた庭園の借景となっている城山には、慶長13(1608)年に創建、昭和37(1962)年に再建された岩国城の姿が。築城したのは、初代岩国藩主・吉川広家(きっかわひろいえ)。中国地方一円を治めていた戦国武将・毛利元就の孫にあたる人物です。広家は豊臣秀吉の命により天正19(1591)年、月山富田城の城主となり出雲をはじめ14万石を治めますが、慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦で従兄弟の毛利輝元が総大将を務めた西軍が敗れ、家臣約1,500名を率いて岩国3万石の領主へと移ります。そのなかに鉄砲組と言われる4組250人が当時の御家人帳に記録されていて、岩国藩鉄砲隊のルーツとなっているのです。
この鉄砲隊は平穏な江戸時代間も継がれましたが、明治以降に途絶えてしまいます。そこで歴史愛好家らが協力し、昭和62(1987)年に「岩国藩鉄砲隊保存会」を結成。創設委員の一人であり、現会長を務める村河多丸さんは語ります。
「岩国藩鉄砲隊に受け継がれているのは、石田流という、日本で最も古い流派の一つです。豊臣秀吉公の砲術指南であった、石田玄斎のもとに心得のあった家臣を遣わせて伝授されました。そんな由緒ある砲術の伝承と歴史都市・岩国のイメージアップをめざし立ち上げたのが『岩国藩鉄砲隊保存会』です。江戸時代に製作された古式銃を整備して使っています。毎年、元日に行う『初放し』や4月29日の『錦帯橋まつり』では、錦帯橋下の河原で演武を披露するほか、全国各地からお声がけいただき、大阪府堺市の『堺まつり』や山口県萩市の『萩時代まつり』など、さまざまな歴史イベントにも参加しています」(村河さん)
間近で観る火縄銃の迫力に圧倒され、驚きの声が。
「瑞風」が1泊2日の山陽コース(下り)で岩国に立ち寄るのは、2日目の午前中。日本三名橋の一つ、「錦帯橋」の見学後に、「吉川史料館」を訪ねます。史料館では、貴重な展示品を学芸員が特別に解説。その後、美しく設えられた庭で、岩国藩鉄砲隊の演武を見学します。
朝10時半を回り、「瑞風」のお客様がお庭に集まると、法螺貝や太鼓の音とともに鉄砲隊が厳かに入場。具足や旗には、吉川家の家紋「輪九曜」が描かれています。
6名の隊員が前に並ぶと、隊長の掛け声に合わせて一同礼。村河会長が、「まずは私がこの短筒でもって皆様を歓迎し、祝砲をあげます。火縄銃の音を感じとっていただきたい」と挨拶し、文字どおり火蓋を切って引き金をひくと、スパーンと気持ちのいい大きな音が鳴り響き、観客席からはどよめきが。その後、岩国藩鉄砲隊や火縄銃、保存会についてなど、会長の説明を交えながら演武が進められます。
「弾込め用意、火縄をつけ、『立ち放し斉射』、火蓋を切れー、放て!」という隊長の掛け声に合わせ、起立の状態で全員が一斉に発射。その迫力に息を呑みます。演武に使われるのは、口径13mm程度の「細筒」といわれるもの。6名の隊員が6発ずつ用意し、一人ずつ順番に素早く撃っていく「連れ早放し」や膝立ちになって撃つ「膝台放し」など、多様な形態の砲術を披露されました。
演武が終わると、会の皆さんと交流する「ふれあいタイム」へ。記念撮影や展示を見学しながらの会話が弾みます。火縄銃のレプリカを触ったり、甲冑や兜を着用してみたり、法螺貝を吹いてみたりと、とても楽しそう。最後は保存会の皆さんが見送るなか、名残惜しそうに「吉川史料館」を後にされました。
演武後のお客様との交流も楽しく、やりがいがある。
「岩国藩鉄砲隊保存会」のメンバーは2019年現在、全員で32名。そのうち5名が女性です。取材当日、演武に参加していた田口香織さんは、歴史が大好きないわゆる“歴女”。先に入隊していた友人の紹介を受け、2018年1月から訓練に参加し始めたといいます。
「もともと広島城でボランティアスタッフをしていたんですが、その際に火縄銃のイベントがあり、ぜひやってみたいなと。江戸時代につくられた銃を実際に撃てる貴重な体験ができて感慨深いです。銃が重いので、まっすぐ持ち続けるのは大変。甲冑も重いので、撃ったあとはへとへとです。だけど演武後のお客様との交流も楽しく、とてもやりがいがあります」(田口さん)
2017年6月の運行開始から2年半の間で、雨が降りテントを張ったのはたったの2回。お天気も味方になってくれています。
「歓迎の想いが天にも届いているようですよ。『瑞風』の岩国への立ち寄り観光が決まったのは、鉄砲隊の演武があってこそだと伺いました。狭いスペースで行うこともあり、実施までの準備も大変でしたが、間近でご披露できる分、迫力を感じていただけているようで、うれしいお声をたくさん頂戴しています」(村河さん)
役割分担をしながら綿密に準備を重ねて本番へ。
隊長を務めるのは、結成時から在籍する牛島正雄さん。此の地に新居を構えたタイミングで新聞の隊員募集告知を目にし、「地元に貢献したい」と申し込んだそうです。
「錦帯橋などでは20数名で一斉に撃つのですが、ここでは6名がめいっぱい。その分、多彩な演武を間近でたっぷりとお目にかけています。『瑞風』での演武が始まって以降、法螺貝もより忠実に再現しようと、担当の数名が愛知県豊川市の山寺まで習いに行ったんですよ。集合や行進など、場面に合わせていろんな吹き方があるといいます。お客様から『ありがとう』という言葉をいただいたら、また次も頑張ろうという気持ちになりますよ」(牛島さん)
事務局を担当する中倉正弘さんは、結成20周年を機に行われた追加メンバーの募集によって入会。「瑞風」で演武を行う6名の順番がうまく回るようローテーションを組み、連絡調整を行っています。
「みんなで役割分担をしながら運営しています。最初は演武だけだったんですが、幔幕(まんまく)を張ったり、展示物を並べたり、その種類を増やしたりと、展開を広げています」(中倉さん)
「瑞風」歓迎演武の評判も相まって、他県のイベントに県代表として出てもらえないかと、山口県からの依頼を受けるケースも出てきました。「トラブルなく続けられている実績のおかげで、会への信頼も厚くなっています」と中倉さん。
「安全性を守るのが大前提。そのための下準備も欠かせません。当日の準備や後片付けも大変ですが、裏方も含めて皆、朝8時過ぎに集まり、よく協力してくれていますよ。その甲斐あって感動してくださるお客様も多く、本当に光栄です」(中倉さん)
お客様に喜んでもらえることが、何より一番うれしい。
現在、展示品の調達などを担当されている潮春美さんは、「瑞風」運行開始の少し前に加入。元自衛隊員で、ご出身はまさに火縄銃が伝来した種子島です。岩国藩鉄砲隊が「第50回種子島鉄砲祭り」に参加した際には、「故郷に錦を飾った」と笑います。
「岩国へは30年も前に越してきたんですが、鉄砲隊のことは退職後に知ったんですよ。種子島の人間として参加しないわけにいかない(笑)。ぜひ入れてほしいと願い出て、今に至ります。展示を始めたのは1年ほど前から。鉄砲隊は戦のときにどういう格好をして、何を持って行ったのかなども体感していただけるよう工夫しました」(潮さん)
演武後は、ご興味のあるお客様に展示品について解説。歴史好きなお客様も多く、つい時間を忘れるほど盛り上がります。
「先ほども、法螺貝に挑戦された方がいて。普通に吹いたら音も出ないんですが、少しコツをお伝えしたらきれいに鳴ったんですよ。僕らもびっくりしてお褒めすると、本人も感激されて大喜び。お客様に喜んでもらうのが僕らも一番うれしい。そのうえでさらに感謝してくださることがもう、本当にありがたいです」(潮さん)
演武は「瑞風」に乗車されていない一般の方でも、館内からガラス越しに観られるようになっています。それを目当てに史料館へ来られるお客様も増えていて、地域活性化にもひと役かっているようです。より喜んでもらいたいと趣向を凝らし、どんどんバージョンアップしている「瑞風」の歓迎演武。鉄砲隊の活動にも相乗効果をもたらしていると村河さんは語ります。
「これまでも概ね月1回の訓練は続けてきたのですが、月2回ほどある『瑞風』での実演が良い訓練にもなっています。日曜の朝から、かなり音が響くので放送もかけられているんですが、地域の人たちも“『瑞風』が来るなら”と協力してくださっている。ありがたいことに、良いご感想が多く寄せられているようです。お客様により楽しんでいただき、より広く知っていただくためにも、長く続けていきたいですね」(村河さん)