冒険心くすぐるカヌー、
散策ツアーを提供
11万年前の大噴火でできた窪地に水がたまってできた、国内3番目に大きいカルデラ湖・洞爺湖。どこまでも広がる青い空の下、中島を眺めながら真っ青な湖にカヌーでこぎ出す。ウォーキングを通して火山の恵みを全身で感じる。そんな自然を満喫できるツアーを提供する会社があります。
2002年に発足した洞爺ガイドセンターは、カヌーツーリングや中島自然ガイド、有珠山火山ガイドなどを手がける専門会社です。代表を務める小川裕司さんは、アメリカで修行を積んだガイドのプロフェッショナルで、洞爺湖有珠山ジオパークにとっても欠かせない人材です。真冬でも日焼け顔。長身でワイルドな印象ながら柔らかな表情で、おおらかに来訪者を迎え入れてくれます。
小川さんは、なぜ洞爺湖に移住することになったのでしょう。そこにはたくさんの人との出会いと幸運がありました。
アメリカに憧れた釣り好き少年
小川さんは新潟県出身。幼少期は釣りに熱中し、熟練の釣り師たちと難敵ヘラブナに挑んでいたとか。小学1年生の頃、一本の映画に衝撃を受けます。「アメリカン・グラフィティ」。古き良き60年代の青春映画で、田舎の高校を卒業し、別のまちの大学に出発する若者の最後の一夜を描いた作品。ちょっぴり背伸びのやんちゃ盛り。夜に布団をかぶってテレビで観たといいます。
その思いは強く、「アメリカに行く」と小一で英会話を習いはじめます。高校卒業後、日本にあるアメリカの大学の日本校を経て、そのまま本校ではなく、自らコロラド州立大学を改めて受験し進学します。当時のスクールカウンセラーから、自然を学ぶことを勧められたことが大きいそうです。
大学を卒業後、現地でアウトドア専門のツアーガイドをしている日本人を訪ね、西部劇やフライフィシングが盛んなモンタナ州で、住み込みでガイドを経験。25歳の頃でした。帰国後、自然と関わる仕事を探しましたが、時代は就職氷河期。派遣の仕事で道内のリゾート地で歩くスキーなどを教え、サマーキャンプの運営など幅広いアウトドアの知識を習得します。
「やるならその分野で一番になれ。仕事は自分でつくるもの」。モンタナ時代、ガイドの代表が放った言葉が心に残り、独立を決意。知人の勧めもあり洞爺湖を訪れます。「澄み切った青空が果てしなく大きく、空と湖の青さが心に残った」。2002年7月、洞爺村洞爺町(現洞爺湖町洞爺町)に洞爺ガイドセンターを設立します。
当時は2000年有珠山噴火の爪痕がまだ生々しく残っていました。泥流に飲み込まれ、すぐ近くに二つの噴火口が開いた洞爺湖温泉街は、住民が復興に向け立ち上がったばかりでした。そこに三つの偶然が重なります。温泉街と洞爺湖の中島を結ぶ遊覧船を活用した体験型観光を実践する人材が求められていたこと。世界の富裕層が訪れる地元のハイクラスホテルが、訪日客を案内するアウトフィッターを必要としていたこと。そして、洞爺村のカヌー事業者が後継者を探していたことです。
その人に合った最高のメニューを提案
洞爺ガイドセンターが提供する体験には「サマーメニュー」と「ウインターメニュー」があります(事前予約制)。サマーメニューは、早朝や夕暮れにこぎ出すサンライズ、サンセットカヌーのほか、写真スポットをめぐるツアー、カヌー体験などの希望を伝えると、可能な限りかなえてくれる「プライベートツアー」も用意しています。
中でも人気は、洞爺湖の湖面に立てる、通称・ゼロポイントを目指す「洞爺湖カヌーショートツーリング」。人物と洞爺湖の中島が一枚に、見切れずに収まるアングルで写真を撮ってもらえます。新型コロナ禍で披露宴ができなかった夫婦が、これだけは絶対やりたいと小川さんに連絡。「北海道に来る目的が洞爺湖メインとのことでした。かなえることができてうれしかった」という逸話もある、幸せいっぱいの体験メニューです。
ウインターメニューは、雪の積もった洞爺湖畔や近隣の森に出かける「洞爺湖スノーシューツアー」が人気。希望を伝えるとオリジナルのツアーを組んでもらえる「プライベートツアー」、雪原、洞爺湖を望む高台、湖畔を訪ねる「冬の洞爺・絶景を巡る」を用意しています。
いずれも、実際に歩くことで、野鳥のさえずりを聞き、湖の青さを感じ、四季の移ろいや森の香りを楽しむことができます。参加する人の体力や都合に合わせて、長い歳月をかけて変動を続けてきた大地の姿を堪能できます。
メニューの満足度を高めているは、事前の聞き取りを重視している点。参加者の体力、時間に合わせてめいっぱい楽しんでもらいたいからです。四季折々の最も輝くスポットへといざない、ありのままの自然を伝える「壮大な借景」。それが小川流の最高のおもてなしです。
ガイドの専門家として人材育成に力
開業以来、危機も経験しています。訪日外国人が増えてきた中で2008年、リーマンショックが襲いました。洞爺湖サミットが開かれた年でもありますが、観光業は大きな打撃を受けます。しかし翌2009年、洞爺湖有珠山ジオパークが世界ジオパークの認定を受け、再び希望の光が差し込みます。
小川さんには信念があります。安全にツアーを行うことです。「面倒だと言われます。それでも妥協はしません。気軽に楽しめることとのバランスが難しい」といいます。これまでのガイドの経験に根ざした安全管理面の知見を生かし、人材育成も続けています。ジオパークを案内する火山マイスターや、北海道アウトドアガイド資格講習などで専門家として厳しい目を向けています。
「世界ジオパークになり、地域の中でもこの洞爺湖周辺地域の成り立ちを意識する人が増えた。外からも人が来るようになった」。だからこそ、ジオパークを題材にした環境教育に欠かせない、安全に案内するガイドの大切さを訴えます。
次の世代の育成では、虻田高校の生徒へのガイド講習の講師も続けています。洞爺湖汽船の遊覧船で、生徒たちが、修学旅行などで訪れる他校の学生をガイドする取り組みの支援です。「自分たちの言葉で、地域のことを話せる人を一人でも増やしたい」という思いがあります。
2020年、今度は世界をパンデミックが襲いました。新型コロナウイルスの感染拡大でインバウンドの来訪は途絶え、ツアーの予約はすべてキャンセルになりました。
しかし「コロナになっても雪は降り、草は生えます。忙しい業種もあります。自分の視野が狭かった」といい、基幹産業の農業や漁業など、人手を必要としている仕事を手伝うようになりました。地域や自然を改めて知る機会になり、ガイドとしての幅が広がったと実感しています。
コロナ禍で個人旅行のさらなる細分化が進む中、小川さんは新しいプランを考えています。SNSを活用して「雪が降ってきて外は真っ白ですが、今からテントを張ります。チーズとパンを焼きますよ。一緒に楽しみませんか?と募るような、ガイドの価値観を前面に打ち出したプランができないか」という試みです。
この地で結婚した小川さんは、1人の女の子に恵まれました。その娘も、2023年春には小学生。アメリカの青春映画に魅せられた幼少期の自分と同じ年齢に。親同士の交流を通してこの地に一層根付く中で、地域を元気にする方法を今も考え続けています。
「洞爺湖をぶらぶら歩く人、前より増えたと思いませんか?」。かつて掲げた目標への手応えを感じながら、ガイド人生の第二章が始まりました。
北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町193-8
0142-82-5002