「兼光」(かねみつ)は、「備前長船派」(びぜんおさふねは)嫡流の3代目である「景光」(かげみつ)の子と伝えられています。鎌倉時代後期から南北朝時代中期頃までの長きにわたって作刀していたとされる刀工です。
元穴(下部の目釘孔)の位置から見ると磨上げ(刀身の長さを短く加工し直すこと)される前は、2尺7寸(約102.6cm)を超える豪壮な太刀姿であったと推測され、地刃共に健全かつ明るく冴えた様は、兼光の真骨頂がよく示された1振りです。
刀身には、表に「三宝荒神」(さんぽうこうじん)、裏に「大悲観世音菩薩」(だいひかんぜおんぼさつ)という文字の彫刻が施されています。
「太刀 銘 備前国長船住兼光」は、茎(なかご)の年紀より、南北朝時代前期の頃の作と見られ、元先の幅はほとんど目立たない姿で、刃文は中直刃(ちゅうすぐは)調に小互の目ごころ交じり、匂主調にわずかに小沸(こにえ)が付くなど、和やかな作柄を示しており、兼光の特色が良く現われています。
本太刀は、彫物や長さ、鎺(はばき)の特徴が黒田家文書(福岡市博物館蔵)に記載されている刀と一致しているため、黒田家に伝来する物と推測されています。