こんにちは、齋藤吐夢です。
東京国立博物館で行なわれていた『禅展』を観に行きました。
いまだに鑑賞したときの静かな感動が押し寄せてきます。”禅”ってなんだろう、という疑問も鑑賞のきっかけでしたが、それを知れたこと以上に、穏やかな日本の文化を知ることができたことに感動しました。
もし「禅ってなんぞや」「禅の体験してみたいな〜」という気持ちがあるのならば、私が禅展の物販コーナーで発掘した『禅と食』という本をぜひとも読んでいただきたい。
目次
『禅と食』で”禅”を知る
禅のやりかたを知りたいという方に。結論から言ってしまえば、普段過ごしている日常そのものの捉え方を変えればいいだけです。特別な準備や寺へ入り修行をする、といった必要もありません。
禅の教えは丁寧で平等な教え。
だからこそ本当に、特別なものは何もいらない。それを知ることができます。
日常生活そのものが修行である
”禅”と聞くと、何が浮かびますか?
かつての私は、坐禅や読経、写経といった、いわゆる修行めいたもの浮かびました。私自身、高野山の宿坊に泊まり、瞑想や写経体験をした経験があります。これこそが”禅”だと思っていました。
しかし禅宗では、このような修行だけではなく、日常生活も修行の一環であるという考えがあります。
“禅では行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(歩くこと、とどまること、座ること、寝ること)が修行と考えられています。つまり、みなさんが日常生活を送るなかでおこなっているすべてのこと、あらゆるふるまいが自分を高めるための、自分を輝かせるための修行なのです。”
当たり前のように行っていること、その全てが自分のための修行になるという考え方。だから禅のやりかたを知りたいのであれば、まず日頃の行いを正す、それが禅の始まりとも言えるんです。
枡野 俊明さんの書く本は、どれも読みやすいんですよね。
食事も修行の一環である
そのため食事においても、つくることも食べることも片づけることも全て修行につながると考えられています。そしてこの本の中で一貫して説かれているのが、
選り好みをしないことです。
これを日常生活において分かりやすく述べると、
- 食材を対等に扱って料理を行う
- 作る時は心を込めてつくる
- 手抜きはしない
- 片づけまでが料理とする
となります。高級食材だろうと安価な食材だろうと、心を込めて丁寧につくり、つくる→食べる→片付けるまでを丁寧に行なうこと、これが”禅”となるのです。
『禅と食』を読んで、心穏やか体験!
そんな日常における”禅”修行が書かれた本ですが、心を穏やかにするという点においては、こんな活用方法もあります。ちょっと心が疲れちゃったな、という人はぜひ実践してみてください。オススメです。
章の目録から、今日のひとことを選んでみる
章の目録は以下のようになっています。
- 食事をつくることは心を整えること
- 人生を深める食事作法
- 毎日が輝きはじめる丁寧な食習慣
- 贅沢な粗食のすすめ
この章に収録されている目録を、一文字一文字丁寧に読み込むだけでも心が穏やかになります。今日のひとことを選び、その言葉に従って一日を過ごしてみるのもオススメです。
例:一口食べたら箸を置く
この言葉は、食材を味わうために箸を置くという行いだけでなく、人が受ける印象にも関わってくる作法のひとつでもあります。
口に物が入っているのに、箸を持ったまま次の食事に手を出そうとするのはあまりにも落ち着きがない。この本では、がっつくようにして食べる人がそう印象づけられることを指摘しています。
食事の習慣としての観点だけでなく、所作・ふるまいを正すという面でも役立つ言葉なのではないでしょうか。
”一日一禅”なんて素敵な取り組みじゃあありませんか!
食事と日常生活を整えよう
日々の出来事への接し方、それそのものが”禅”だと知ることができました。生活の全てを禅の教えにのっとって過ごすのは、このご時世、少々難しいかもしれません。
でも、食事と日常生活を整えることはできるはず!
何でもかんでも一生懸命取り組み過ぎても疲れてしまいますが、ごく当たり前のことに丁寧に向き合うだけで、”禅”の本質は見えてきます。ぜひに。
では。
◆本日の一冊◆