一ファンとしての失望:YOSHIKIに感じる才能の限界と停滞する音楽活動 - トモーヌのひとりごと

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一ファンとしての失望:YOSHIKIに感じる才能の限界と停滞する音楽活動

YOSHIKI

X JAPANのYOSHIKIといえば、日本の音楽シーンを代表する天才的なアーティストとして広く知られています。しかし、近年の彼の活動を見ると、かつての輝かしい実績からは大きくかけ離れた停滞感が漂っています。本記事では、一ファンとしてYOSHIKIに対する失望や哀れみの気持ちを正直に綴りつつ、彼の音楽活動における現状を冷静に見つめていきます。

 


才能の限界か?YOSHIKIの楽曲に感じる「完成度の低さ」

仕上がりに疑問が残る楽曲

近年のYOSHIKIの楽曲には、「かつての完成度の高さが見られない」という声が増えています。その理由の一つとして、過去の名曲と似通った構造を持ちながら、それらを凌駕する新しさが感じられない点が挙げられます。例えば「Born to Be Free」は、X JAPANの代表曲である「Week End」とよく似たコード進行を採用していますが、アレンジやメロディの質において「劣化版」と評されることもあります。このような状況が続けば、「過去の自分を模倣するだけの作曲家」という印象を与えかねないでしょう。

高度な作曲への挑戦が減少?

また、YOSHIKIの楽譜を研究する中で、彼のピアノ技術に限界があるのではないか、という指摘も浮上しています。彼が得意とする楽曲には独特の美しい和音が用いられていますが、その多くが複雑さを避けたシンプルなパターンにとどまることが多いのです。このことから、「高度な作曲は可能だが、演奏技術がそれに追いつかない」という葛藤があるのではないかとも考えられます。彼自身も腱鞘炎を公言しているため、技術的な制約が曲のシンプルさに直結している可能性は否定できません。


テンポの遅い曲ばかりに傾倒する理由

疾走感の欠如がもたらす失望

かつて、YOSHIKIの音楽は「Kurenai」や「Rusty Nail」のような疾走感に満ちた楽曲で多くのファンを魅了しました。しかし近年では、テンポの遅いスローバラードが目立ち、抑揚に乏しい印象を与えています。こうした変化について、ファンの中には「新しい挑戦を放棄しているのではないか」という厳しい意見も見られます。歳を重ねたことによる変化とも取れますが、「かつての天才」の象徴であったダイナミックな作風の欠如は、古参ファンの期待を裏切っていると言えるでしょう。

ライブ演奏が物足りない理由

さらに、ライブでの演奏についても厳しい目が向けられています。YOSHIKIがステージで披露するピアノ演奏は、かつての華麗な技術やアグレッシブな表現力が感じられず、単なる伴奏に終始していると批判されています。確かに腱鞘炎という健康上の問題は考慮すべきですが、それを差し引いても、彼の演奏が観客の期待値を満たしていないと感じるファンは少なくないようです。ライブでの演奏はアーティストの「今」を象徴する場であるだけに、その質の低下が音楽家としての評価に直結しているのかもしれません。


不仲説に揺れるTOSHIとの関係

再結成後のぎくしゃくした空気

X JAPANの再結成は、ファンにとって歓喜の瞬間でした。しかし、その後のメンバー間の関係性には疑問が残ります。特に、ボーカルのTOSHIとの関係がかつてのような信頼関係に基づいているかどうか、疑問視されています。再結成後のインタビューやドキュメンタリーでの発言を見ても、TOSHIとYOSHIKIが真の意味で同じ方向を向いているのかは疑わしい場面が多々あります。

コミュニケーション不足が原因か?

一部では、YOSHIKIが中心となってプロジェクトを進める一方で、TOSHIをはじめ他のメンバーとの意思疎通が不足しているという指摘もあります。これはリーダーシップの欠如というよりも、YOSHIKI自身の「独裁的なスタイル」が原因ではないかとも考えられます。このような状態では、新しいアルバムの制作が進まないのも無理はありません。


アルバム未発表:停滞するX JAPANの音楽活動

再結成から十数年、進展なき現状

X JAPANが再結成を果たしたのは2007年。それから十数年が経過した現在も、いまだに新しいアルバムはリリースされていません。この事実に、多くのファンが深い失望を感じています。再結成当初の熱狂は、「新作が出るのではないか」「かつての名曲を超える作品が聴けるのでは」という期待感に支えられていました。しかし、その期待は裏切られ続け、今では「もう待たされるだけで、裏切りの連続だ」と嘆く声が少なくありません。

この長い停滞期間は、再結成後のX JAPANの評価に大きな影響を与えています。「過去の遺産に頼り続けるバンド」という印象が強まり、活動そのものに対する信頼感が薄れつつあるのです。ライブ活動や限定的な新曲の発表でつなぎを見せるものの、本来ファンが待ち望んでいるアルバムの形での創作は一向に実現していません。

理由なき延期と信頼の喪失

アルバム未発表の理由について、これまで具体的な説明はほとんどなされていません。YOSHIKI自身がSNSやインタビューで「アルバム制作は進行中」と語ることはあるものの、その進捗状況や明確なスケジュールは示されていないのが現状です。これまで幾度となく「リリース間近」と期待を煽る発言がされながら、その度に延期が繰り返される状況に、ファンは疲弊しています。

こうした無期限の延期が続く中で、ファンの間では「もはや本気でアルバムを完成させる気がないのではないか」という疑念すら生まれています。SNSでの活動が目立つ一方で、肝心の音楽制作が進んでいる実感が得られないこの状況は、多くの人々に「言葉だけでごまかしている」という印象を与えています。これにより、X JAPANというバンドの信用は大きく揺らいでいるのです。


HIDEの商用利用に対する疑問

故人の名声を利用する姿勢

X JAPANのギタリストであったHIDEの名声は今でも色あせることがありません。しかし、その一方で、HIDEの存在が商業的な目的で利用されているという批判の声も少なくありません。追悼イベントや関連グッズの販売はファンにとって嬉しい面もある一方で、YOSHIKIがHIDEの名を利用して利益を上げているように感じられる場面もあります。

ファン心理とのギャップ

HIDEを心から尊敬しているファンにとって、彼の名前が過剰に商用化されることは複雑な思いを抱かせます。もちろん、HIDEの存在を記憶し続けることは重要ですが、YOSHIKIのやり方が「ファンの期待を裏切っている」と感じる人も少なくありません。


SNSでの発信と音楽活動のギャップ

ファンを惑わす「言葉の先行」

YOSHIKIのSNSでの発信は、その感情的で人間味あふれる内容が多くの注目を集めています。「メロディーが降り続ける」といった詩的な表現や、睡眠不足や疲労を訴える投稿は、彼の創作活動の裏側を垣間見せるものとして一部のファンには好意的に受け取られています。しかし、その一方で、「言葉ばかりが目立ち、実際の行動が伴わない」という批判が近年増加しているのも事実です。

ファンの多くはYOSHIKIのSNS投稿を通じて音楽活動の進展を期待していますが、その期待は度々裏切られています。アルバムのリリース予定について言及しながらも進展が見られない状況や、新曲の具体的な情報がほとんどない現状は、「期待を煽るだけ」との指摘を強めています。これにより、彼の発言に対する信頼感が徐々に薄れているのです。

音楽家から「インフルエンサー化」への疑念

YOSHIKIのSNS活動が、音楽家としてではなく「インフルエンサー」としての側面を強調しているのではないか、という声もファンの間でささやかれています。彼の投稿内容は、音楽制作に関する詳細よりも、自身の日常や感情的なメッセージに偏っていることが多いのです。このスタイルが共感を呼ぶ一方で、「音楽家としての本質から離れているのではないか」という懸念も生まれています。

特に、投稿の多くがプロジェクトの進行状況ではなく、自身の健康状態やプライベートに関する内容であることが批判の対象となっています。これにより、一部のファンは「YOSHIKIはもはや音楽家ではなく、影響力のある有名人として活動している」と感じるようになりました。このような印象が広がることは、長年の音楽ファンにとって失望を与える結果となりかねません。SNSはアーティストとファンをつなぐ貴重なツールである一方、その使い方次第ではファンの信頼を損なう危険性もはらんでいるのです。


まとめ:ファンの期待に応えてほしい

YOSHIKIは、かつて多くのファンを感動させた天才的なアーティストでした。しかし、近年の活動を見る限り、彼の音楽家としての情熱が衰えつつあるように感じられます。一ファンとしては、SNSでの発信ではなく、彼が本来持っている才能を活かした「新たな音楽」に期待したいところです。アルバム制作の実現や、ファンを再び熱狂させるような活動を心から願っています。