人にやさしい車両を目指す。都営バスの100年の歴史とこれから
時代の変化とともに歩んだ100年
都営バスが誕生したのは、今から100年前。1923年9月に起きた関東大震災で大打撃を受けた市電(当時は東京市)の代替手段として、市民の足を確保するため自動車の運行が発案されたのがきっかけだ。そして車両や運転手の確保、試運転などを経て、震災から4カ月後の1924年1月に市営バスが開業。これが現在の都営バスである。
いわば応急処置として生まれた都営バスだが、100年たった今でも都民に親しまれているのは、時代の変化に柔軟に対応してきたことが大きいという。
「戦後、東京の発展にとって輸送力の確保がとにかく必要でした。当初は都電で賄っていたのですが、道路事情や渋滞などから廃線が続いてしまったのです。それを都営バスが担うことになり、バス事業が急激に拡大していきました」
こうして都電の代替としての役割を果たすが、1960年代に入ると地下鉄が発達。それに伴い、都営バスの乗車人数が減少し、事業縮小を余儀なくされる。
「最盛期には1日130万人ほどの乗車人員だったのに対し、一時期は55万人程度にまで落ち込みました。そういった変動に合わせて都営バスでは、営業所の数や路線、ダイヤを見直して対応してきました」
環境への負荷を減らし、バリアフリー化も推進
限られた車両と人員を使い、時代に合わせた対応をしてきた都営バス。多言語表記やバスの位置情報がわかるロケーションシステムの導入など、先進的な取組も多く行っている。とくにCO2をはじめとする環境負荷物質の排出がない燃料電池バスの導入は2017年と、バス業界の中でも最も早い。そして現在では車両のバリアフリー化を進めている。
「『ひとにやさしい車両』を目指し、どなたでも乗り降りしやすいようにと、車両のノンステップ化を進め、2013年には全車両がノンステップバスとなりました。さらにバリアフリーを追求するため、通路段差を解消したフルフラットバスの運行を2018年にスタート。現在は29両が運行しています」
海外からも注目。乗務員の制服の秘密
海外視点で見ると、都営バスには注目点がまだいくつかある。帽子や手袋といった乗務員の服装もその一つだ。
「帽子については正式な記録がないのですが、開業時の写真を見るとその当時からかぶっているようです。元々都電の乗務員が帽子をかぶっていたことから、公共交通機関の制服として、当然のように帽子をかぶるようになったのではないかと推測します」
そして手袋。着用のルールは存在しないと担当者は語る。
「手袋をする乗務員の割合は高いですが、着用するかどうかは個人の判断に委ねられています。それでもなぜ着用するのか。それはハンドルの滑り止めや、後続車への合図といった機能性の面ももちろんありますが、プロ運転士の象徴と認識している面もあるからだと思います」
都営バスの運行ダイヤの正確さもまた、海外から称賛されることが多い。それは蓄積されたデータを解析し、都度柔軟に対応しているためだ。
「各車両が始発から停留所、終点まで、どのくらいの時間を要しているか。秒単位で実績データを取り、それを元にダイヤを作成しています。運行ルートの中に大きな施設ができたり、季節によって大きなイベントが開催されたり、そういった状況を踏まえてその都度改善するようにしています」
これからの100年も、安全安心に東京を走る
いつの時代も都民の足となってきた都営バス。現在は、100周年を記念した特別ラッピングバスが東京の街を走っている。歴代のデザインが復刻されたバスやオリジナルデザインのラッピングバスが運行するなかで、最も反響が大きいのは黄緑色をイメージづけた1982年に登場した車両だ。
「都営バスは1951年に全車のカラーが統一されました。それを復刻した車両もありますが、皆さまからの反響が大きいのは1982年に採用されたグリーンとクリーム色の車両。このグリーンカラーが今の都営バスの元になっていることから、それを懐かしんでくださったり、親しんでくださったり。世代によって思い思いに楽しんでいただいています」
今年7月で就任25周年を迎えた都営バスのマスコットキャラクター「みんくる」もまた、車両に負けずとも劣らない人気ぶりを見せているという。
1924年に開業した都営バスは、今年で100周年。担当者は次の100年に向け、その先の未来を見つめる。
「全国的に乗務員確保が課題となるなど、バス業界としては決して明るい状況ではありません。これからも、都営バスはさまざまな時代の変化に柔軟に対応していきますが、環境に負荷をかけずに『安全安心に東京を走る』ということは変わらずに大切にしていきたいです」