いまは多くの会社で、年一回は「情報セキュリティ教育」をしていると思います。
「情報セキュリティ教育」が普及した背景は、2005年に施行された「個人情報保護法」と、JIPDECによる「プライバシーマーク制度(Pマーク)」の関係です。
企業が取得した Pマークを維持するためには、少なくとも年1回は、情報セキュリティ教育をおこなうことが定められています。
Pマークは、JIS Q 15001:2017 の規格に沿ってます。
JIS Q 15001:2017で定義されている教育の対象者は、「雇用関係にある従業員(正社員、契約社員、嘱託社員、パート社員、アルバイト社員など)だけでなく、雇用関係にない従業者(取締役、執行役、理事、監査役、監事、派遣社員など)も含まれる。」としています。
社長も派遣会社から送られた人材も教育の対象です。
Pマークの制度自体は、1990年代からありますが、取得企業が爆発的に増えたのは「個人情報保護法」が施行された2005年です。
~プライバシーマーク付与事業者情報(JIPDEC)より
当時、わたしが勤務していた会社も、Pマークを取得するため、2005年から「情報セキュリティ教育」を行うようになりました。
あの頃は「Pマークを取得していない会社は、取引が出来なくなる。」といった、やや誇張した噂が企業社会全体に回ってました。
ちなみに「個人情報保護法」では、基本方針をつくることが定められ、個人情報を取得した事業者は「本人に利用目的を通知又は公表しなければならない」としてます。
Pマークは、「個人情報保護法」よりも細かな、個人情報保護方針をつくることを定め、個人情報を取得した場合は「手渡し、郵送、メール、Webサイトの入力フォーム」などの同意手段まで明記してます。
個人情報保護法を「より具体的に、より厳しく」規定したのが、Pマークと捉えられます。
「情報セキュリティ教育」の影響でしょうか!?
学生時代の同期や、社外の知人と飲みにいく機会がたまにあるのですが、酒を飲んでいる最中も、自分の会社の話をあまりしなくなりました。
業務を遂行する上で知り得た個人情報や機密情報を必要のない場面で漏らさないことは守秘義務です。
頭は酔っぱらっても、口は「言わざる」です。
仕事で得た情報を発信することの規制は強くなりました。ただ、ビジネスにおけるコミニュケーション手段は各段に進歩しました。
わたしが会社員になったのは1990年です。
その時代、会社のパソコンはスタンドアロンでした。パソコンに保管した情報を別なパソコンに送るには、フロッピーディスクに情報を落とす必要がありました。
別な事業所には社内便を使ってフロッピーディスクを送っていました。相手にまとまった情報を伝えるには、少なくとも丸一日かかりました。
また、事業所によっては エアシューター なるものがありました。
これは、カプセルに紙の情報(レシートなどの軽い紙限定)を入れて、専用の管のなかにいれると、空気の力でピューンと相手に届けるシステムです。
ある意味、画期的な通信手段だと思うのですが、いまも現役で エアシューター を使う施設はあるのでしょうか!?
コミュニケーションが進化する転機は 1995年 です。
Microsoft が Windows95を発売しました。社員ひとりひとりにノートパソコンが支給されました。
パソコンはネットワークでつながりました。
わたしが、はじめて仕事で電子メール(MS Mail 3.5)を使ったのも、1995年です。
翌年には MS Exchange Server を全社に導入するプロジェクトのリーダーになりました。社員にグループウエアの活用を浸透させました。
グループウエアには、電子掲示板と電子会議室という部屋をつくりました。そこに各部門が共有したい情報を格納したり、問い合わせを可能にする仕組みを設けました。
1998年にはインターネットプロトコル(TCP/IP)が普及します。イントラネット、エクストラネットとして、ブラウザ経由で社内情報を共有する取り組みをはじめました。
2000年代になると、外に出る機会の多い営業を中心に会社は、携帯電話を支給しました。
2010年代になると、携帯はスマホにとって代わります。スマホにビジネスチャットをインストールして、電車で移動している間も気軽に情報交換をすることが出来るようになりました。
そして、2020年に予期せぬコロナ禍です。一気にテレワークとウェブ会議が浸透しました。
ビジネスコミニュケーションは、びっくりするほど手軽になりました。
コミニュケーションが手軽になればなるほど、情報の希少性はなくなります。
1990年代に比べて、いまは情報の価値が低下している気がします。
社外の飲み会で、自分が会社の話をあまりしなくなったのは、情報セキュリティ教育の影響ではないかもしれません。
わたし自身が、価値の低い情報を語ることに関心を失っている可能性もあります。
だとすれば、ちょっと残念な気持ちになります。