ある日、 トルコ出身でイギリスで活躍している小説家・女性人権活動家のElif Shafak (エリフ・シャファック)さんの著作の一つ「The Bastard of Istanbul」が、国営放送BBC Radio4で、短くした ドラマバージョン で放送されていました。とても複雑な話で長い小説を、エッセンスを失わないようにしながら、2時間のドラマ(ラジオでさまざまな役者が声のみで演じる)にしています。
日本語訳のタイトルは、映画でも本でも、原題とはかなり違うタイトルで意味を失っていると思うことが多いのですが、この本の題名も、直訳は「イスタンブールの非嫡子」ですが、日本語訳版では全く違う「レイラの最後の10分38秒」となっているようです。
ちなみに、BBC Radio4では、Elena Ferrante(エレナ・フェッランテ)や他の小説家のよい作品も同じように短くドラマ化されていて、料理をしながら聞いたりと気軽に楽しめます。
英語が分かるというのは、楽しみを増やし、世界を広げてくれます。
このエリフさんの小説の中には、トルココーヒーを飲んだ後に、カップをソーサーにふせて、その模様で占いをする場面が出てきます。
私は毎朝、イタリア式のカッフェをつくって飲みますが、飲んだ後のカップのそこに残った模様をふと見ていました。
なんだか、オーストラリアの形のよう。。。
一緒にいた夫に、「これは何に見える?」と聞くと、じっと見た後に「ねぇ、コーヒーカップはきちんと洗ったほうがいい、ってことじゃない?」と言われました。
実際、その通りでもあるので笑ってしまいました。
夫は潔癖症に近いくらい綺麗好きで、私はイギリスの平均よりは綺麗好きだとは思いますが、掃除や洗い物には興味がなく、早いけど雑、ということで、掃除は夫任せで、料理をしたほうが洗い物もしています。なぜなら、私はよく新しいレシピにも挑戦し、料理した後は、かなりの洗い物となりがちですが、夫の場合は、料理が特に好きでもないので、最小限の器具や材料を使い、手間と工程をぎりぎりまで減らし、洗い物やごみを最小限にする料理の仕方を研究しつくしているので、私の料理の後の片づけをお願いするのは、とてもアンフェアに私が感じるからです。
私だけが家でコーヒーを飲むので、コーヒーカップの洗い方が雑なのは私の行動の結果です。
私も夫も、元ITエンジニアですが、私はもともと美学美術史を大学で学んだ後ITエンジニアになり、私の夫は今はメカニカル・エンジニアで、物事に関するアプローチはかなり違います。文化的な育った背景も、アジアの日本と、西ヨーロッパのイタリアと違うものの、笑いのツボは似ています。だからこそ20年近く一緒にいても、いつも楽しいのだと思います。
いつかこの世界に別れを告げるとき、覚えているのは結局こういう日常をふと明るくしてくれる、ふだんのジョークのやり取りや、何気ない日常の景色なのかな、と思います。
もちろん、ホリデーでのいい思い出もたくさんありますが。
ふと見まわすと、雲の絶え間なくかわる形、光の反射、鳥たちが屋根でたたずんでいたり、近所の家の屋根を走っているリス、日向ぼっこをしている隣人の猫、日常のなんでもない景色の中に気持ちを軽く、明るくしてくれるものがたくさんあります。
あなたの一日も、Content(コンテント/ハッピーとは違う、気持ちを穏やかに明るくしてくれるような気持)に思える瞬間がありますように。
[Elif Shafikさんに関してのBlog記事]