確定している連続文化講演事業の今後の日程と講師、演題は次の通り。
第2回 2017年4月22日
櫻井よしこさん(ジャーナリスト)「私と日本の心」
第3回 2017年9月2日
中村 哲さん(医師・ペシャワール会代表)「私の中の日本人~アフガニスタンを緑の大地に導いて」
<問い合わせ先など>
問い合わせは山参会事務局の下堂園さん(電話)090(8418)7118か、高千穂あまてらす鉄道(電話)0982(72)3216へ。
「高千穂で考える日本と世界」連続文化講演 特別対談の記事は
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「高千穂で考える日本と世界」を基調テーマにした、高千穂町のNPO法人・山参会(高山文彦理事長)主催の連続文化講演会が11月27日、同町の国民宿舎ホテル高千穂で盛大に開幕した。第1回の講師を務めた京都市在住の宗教学者山折哲雄さん(85)は、聴衆約180人を前に「天孫降臨神話に学ぶ未来への知恵と希望」と題し、日本神話の神々の特徴、万葉集や天孫降臨神話から見えてくる「死と再生」や老人尊重の思想などについて分かりやすく語った。講演に先立ち、作家の高山理事長(58)があいさつの中で連続文化講演会の趣旨に言及した。次回は来年4月22日に在京のジャーナリスト櫻井よしこさんを講師に迎えて開催する。今回の講演と山折さんへのインタビュー、高山理事長のあいさつの各要旨を掲載する。(外前田孝)
「和」の心を追求 山参会・高山理事長あいさつ
山参会主催の連続文化講演会の趣旨などを説明する高山文彦理事長
山参会は休眠していたが、今年4月に復活した。私たちはこれから山林の復興活動に当たっていくと同時に、何かできることはないかと考えたとき、この連続文化講演を思いついた。高千穂は天孫降臨神話の地であり、文学の原点が存在するかもしれない。私は文学の世界で生きてきて、たくさんの方と交流してきたが、その方たちを招いて、年に1回とか2回、多いときは5回とか講演会を開催していきたい。「高千穂で考える日本と世界」という大風呂敷を広げて、私自身が学び直したいと思っている。
世界は米国大統領がトランプ氏に代わるなど、日本はこれから闘争的な国々と関係していかないといけない。そこで「和をもって尊しとなす」という日本の心が大事になる。この言葉は神話伝説の中にその秘密がある。神様たちはしょっちゅう会議を開いて「和」というものを追求されたのではないか。そう考えて、第1回の講師は山折哲雄先生にお願いした。
高山文彦さんあいさつ 動画は
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日本神話の特徴・本質について分かりやすく話す山折哲雄さん
やまおり・てつお 1931(昭和6)年、米国サンフランシスコ生まれ。6歳で東京に転居。東北大卒。69年、春秋社に入社。76年、駒澤大文学部助教授に。東北大文学部助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任。専門は宗教史、思想史。著書は「日本人と浄土」「親鸞をよむ」「往生の極意」など100冊以上。近著は「『ひとり』の哲学」。京都市在住。
インタビュー「義理と人情」世の中動かす
-日本神話の神々と今のIT社会には共通性があるという話が面白かったです。その点をもっと敷衍(ふえん)して話してください。
山折 日本神話の神々の世界も、電子や遺伝子の世界も目に見えない。ITや遺伝子の世界は目に見えないから、そこでは実在する物を必ずしも恐れることなく、思いの深さがないものを機械的に操作したり、組み替えたりしている。これに対し神々の世界は目に見えないけれども、ものの世界を尊ぶ。そこが決定的に違う。今日の電子社会にも、神々に対する思いの深さをもたらさないといけない。
-「死と再生」を本質とする日本神話を、どう具体的に社会に生かしていけばいいのでしょうか。
山折 人間も死ぬように神々も死ぬ。同時に自然も生と死を繰り返す。自然というものも永続的に存在するわけではない。自然も死ぬ。どう自然に対すればいいのかを考えないと、今のままでは砂漠化が一段と進む。
-山折さんは「義理と人情」というものを大事にすべきだとおっしゃいます。その思想の起源はどこにあり、なぜ大事なのでしょう。
山折 江戸近世の近松門左衛門から言葉として定着したが、その原型は「義」と「情」。義は正義で、いろんな社会関係の中でやらなければならないことを命を懸けて引き受ける覚悟のこと。情は大いなるものに包まれている状態。それを支えているのは人間の思いの深さだ。それがなければ世の中は動かない。命を懸けてやらなければいけない義の世界と、そういう矛盾やジレンマの中を生きていかなければいけない世界を支えているのが情。これは縄文の時代から存在していたと思う。近松の浄瑠璃も最後は人間の情が単なる義理に勝つ。義理を果たすために心中する。情が深いですよ。
(聞き手 総合メディア局次長兼データベース部長・外前田孝)
【講演要旨】 天孫降臨神話に学ぶ
神の特徴IT社会に通じる 日本の信仰「生と死は一体」
日本の八百万(やおよろず)の神々の世界は、多神教の世界といわれる。けれども私はこれが誤解の元と思っている。
多神教の世界には二つのタイプがあると考えているからだ。一つは「目に見える多神教」。例えば、ギリシャ・ローマ神話の神々の世界は、ゼウスが老人神、アポロンは青年神、キューピッドは子どもの神と言うように、みんな個性を持ち、肉体を持ち、性別がある。それが最大の特徴だ。インドのヒンズー教や中国の道教の神々もそうだ。
目に見えない神
もう一つが、日本の神話に現れる「目に見えない多神教」。日本神話の神々は男性か女性か分からない。個体性も肉体性も持ち合わせていない。その特色の違いが、世界の人々に知ってもらう上で障害になっている。
日本神話の神々は「目に見えない多神教」ゆえに、逆にいろんな性格が付与されている。
(1)まず、神々の名前を記号化している。つまり、それぞれの神々はフルネームを持っているのに、必ずしもそのフルネームで呼ばない。例えば伊勢神宮の主神もアマテラスは内宮、トヨウケは外宮と呼び、内・外の記号で済ましている。
(2)神々の多くは特定の場所と深く結び付いている。「います」とは、「坐す」「鎮座する」こと。例えば、日本の企業は工場を建てる場合、外国でもどこでも必ず地鎮祭を行う。大地・場所には神々が鎮座している。その「場所」が人間存在を深いところで支えている。自分と他者が統合されているところがその「場所」である。いま、人間が生かされているのは大地のおかげだ、ということに世界がようやく気づき始めた。
(3)日本の神にはいくら分割しても無くならない「無限分割性」がある。例えば、日本で一番古い八幡神は日本列島の至る所に祭られている。えたいの知れない神であり、朝鮮からやってきたともいう。その総本山は大分県の宇佐八幡宮で、やがて奈良に東大寺が造られるとき、手向山(たむけやま)に八幡の神霊を分割して勧請(かんじょう)した。平安時代になると石清水八幡宮が、そして鎌倉時代には鶴岡八幡宮にさらに分割し祭られた。その分割性はお稲荷さんにも、天神さんにもみられる。
(4)日本の神々は無限の憑着(ひょうちゃく)性がある。一瞬にして千里、万里を飛んで憑着する。その点、肉体性を持つ多神教の神々は不自由だ。
以上見てきたように、日本の神々は目に見えない存在だからこそさまざまなイマジネーションが膨らむ。神の特徴を無限分割性や記号として捉えると、今のIT社会と似てきて、電子の世界ともぴたっと一致し、そこに妙な先進性が見えてくるだろう。それにもかかわらず、その場所や人にとりついた神を敬うことを怠るとただちにたたりをなすと信じられ、怖がられてきた。このような信仰は西欧では従来から人類の一番未開段階であるシャーマニズムとか、アニミズムと捉えられてきた。
しかしそのような考えは間違いだと思う。日本のように、自然を大切なものと受け取り、あらゆる自然に命が宿ると考えるのは原始的で未開だと見られがちだが、いまやそれを逆転させる必要がある。
神話と歴史連続
では、高千穂神話はどんな特色を示すのか。
古事記、日本書紀に現れる神々には二種類があることに光を当てなくてはならない。一つは、「死ぬことのない神々」である。「天つ神」がそうで、「お隠れになる」。それは死を意味するのではなく、一時的に姿を消すこと。必要とあらば、また出没する。天岩戸神話のアマテラスはお隠れになったが、再び現れる。
もう一つが、天孫降臨以降の「死ぬ神々」である。例えば、ニニギは地上でその生涯を終えて、「日向(ひむか)の可愛山陵(えのみささぎ)」に葬られる。その子のヒコホホデミ(ホオリ、山幸彦)は死んで「高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)」に、またその子のウガヤフキアエズは死んで「吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)」に葬られた。またその子の神武天皇は橿原(かしはら)に葬られている。このように死んで葬られる神々は全て「国つ神」と呼ばれている。
「死」を媒介として神々の世界と人間の世界が連続しているわけだが、この「神話」と「歴史」の連続性をどう考えるか。ここが大切なところだ。実はヨーロッパのギリシャ・ローマ神話の場合、神話と歴史は断絶したものとして語られてきた。人間の歴史と神話は別個のものと考えられてきたわけだ。
戦後のわが国の歴史教育は、そのような西欧流の考え方をそっくりそのまま無反省に日本にも当てはめてきた。つまり戦前の皇国史観が日本神話をあまりにも偏った形で解釈し、かえって日本神話の本来の構造をゆがめたため、神話そのものまで否定してしまい、中学・高校ではもうほとんど教えられていない。
人間が死ぬように神も死ぬということは、一神教の世界ではありえないことだ。ここが大切なところだ。
もがりと死生観
現代の高齢化社会では、人間はどのように死ぬか、どう死を受け止めるかという問題が重要かつ最大の課題になっている。
日本の神々が一面で死ぬ運命にあるというのは、もしかするとわが古代人における英知の発露なのではないのか。
例えば遷宮(せんぐう)とは、神社の本殿の造営、修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移す20年ごとの儀式を言うが、これは神の死と再生の儀式であると私は見ている。旧神殿は20年もたつと草が生えてボロボロになる造りになっている。これで神が死ぬのを実感した後、鶏鳴とともに遷宮が始まる。古い神が死んで新しい神が誕生するのである。
日本の神の問題には死というものが横たわっている。それを近代の日本人は見て見ぬふりをしてきた。
7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた万葉集は日本最古の歌集だが、愛の歌(相聞歌)と死者を悼む挽歌(ばんか)がほぼ同数収められている。いや挽歌の方がやや多いかもしれない。なのに、戦後の日本の教育は相聞歌一本やりだった。
今年8月8日に天皇陛下が生前退位についてお気持ちを述べられたが、その後半は天皇の終焉(しゅうえん)と「もがり」についてのお言葉だった。もがりとは、古代の日本人の死生観に関わるものだ。万葉集の挽歌にあるように、人間が亡くなると、遺体を山の麓に持って行き、3日とか5日とか1週間そこに放置し、再び魂が戻ってこないことを確認してから、遺体を処理した。遺体から離脱した魂は山に上って、山頂に達して神になる。それがもがりだ。
万葉集、日本神話と結びつけているのは、神の死、天皇の死、人間の死であり、それを抜きに日本人の神信仰はありえない。そこには生と死は一体という考え方がある。
老人尊重の思想
さて、日本の神々の伝統は、仏教が入って変容する。仏教は6世紀に入ってくるが、それは巨大な仏像を造った。同時に釈迦誕生仏のような小さな仏像も造った。その大小の仏の造営は日本の神道からモデルを借りてきている。創世神話ではオオクニヌシの大きな神と、スクナヒコの小さな神のパートナーシップで国造りをしているが、それに倣った。
仏教と神話は水と油の関係ではなく、土着の神道は外来文化から栄養分をくみ取ろうとした。それが神仏習合という独特の信仰を生み出す。神道の側でも仏教の影響を受けて神像を造り、恒久的社殿を造った。
日本に入って来た仏像は若々しい姿をしているのに対し、神像は老いている。天孫降臨のニニギを迎えた国つ神のシオツチノオジ(塩土老翁)が老人の姿をしていたことと関係している。神に一番近い人間のライフステージはどこか? それは神になる直前の段階、つまり老人のライフステージだ。成熟した大人である老人の姿を思い浮かべたのだ。そこから日本の老人尊重の思想も生まれてくる。しかし、近代になって西洋の福祉思想が入ってくると、老人は救済されるべき対象になり、主役の座を引きずり下ろされる。
15世紀の世阿弥が確立した能における翁(おきな)は優しくて豊かで深い表情をしている。その原点は日本神話の中にある。老人をこれほど尊重する文化は、世界の中で日本にしかない。そのことをわれわれは再評価しないといけない。