約10億年前から地球に存在しているといわれるカビ。
医学用語で真菌と呼ばれるカビの中でも健康障害の原因となる「病原真菌」を研究する槇村浩一教授。
世界的に感染拡大している新種の真菌の発見者でもあり、
デジタル顕微鏡で撮影したカビの写真集を制作するなど、
真菌研究の世界的トップランナーとして日夜カビと向き合っている。
人間の重要なパートナーであり
病気の原因にもなるカビ
地球上には数多くの真菌(カビ、酵母、キノコ)が存在する。その数は既知の菌種だけでも10万種以上、未知の菌種ともなると数100万種にもおよぶといわれている。人間から見たカビには良くないイメージもあるが、実は、地球環境および人間にとって重要なパートナーとしての役割を持っている。動植物の死骸を分解して地球環境のメンテナンスを行い、農作物を育てる土壌を健全に保ち、パンや味噌、日本酒、さらには医薬品までを作り出す。これら全ては真菌の働きによるものだ。
日本国内で病理解剖を受けた方に見られた深在性真菌症の推移
しかし、真菌の中のごく一部には人間にとって有害なものがある。真菌を原因とする疾患は真菌症とよばれる。代表的な真菌症では白癬菌による水虫、カンジダによる粘膜カンジダ症などがある。空気中に漂うカビの胞子を吸入・感染することで肺や肝臓、脳でカビが繁殖して深在性真菌症を発症する例も少なくない。そのような人間の健康障害の原因となるカビおよびカビに似た形態を持つ微生物群「医真菌」を研究対象とするのが、大学院医学研究科の槇村浩一教授だ。
「近年では、生命に影響を及ぼす深在性真菌症による死亡例も増えてきました。日本ではアスペルギルスという菌による肺真菌症でたくさんの人が亡くなっています。こうした真菌症が増えたのは、医療の発達による影響が否めません。抗がん剤や免疫抑制治療などの治療が進歩して多くの人を救えるようになった反面、免疫抑制状態の人の増加にともなって真菌症が増えたのです」(槇村教授)
世界初のパンデミック真菌症の原因菌:
カンジダ・アウリスを発見
今、世界で大勢の人の命を奪い、大きな問題となっているカンジダ・アウリスという真菌がある。カンジダ・アウリスは、アジア、ヨーロッパ、北アメリカなどで多数の感染患者を出し、敗血症により亡くなった症例も多い。タイプによっては非常に病原性が高く、抗真菌薬への耐性も出ており、真菌症として初めてパンデミック(世界的流行)を引き起こしている。この未知の菌だったカンジダ・アウリスを世界で初めて発見・命名したのが槇村教授だった。
2005年、70歳女性の耳漏の中から分離されカンジダ・アウリスを初めて見たときの槇村教授の印象は「だらしない“顔”をしていて、病原性があるとは思えない」というものだった。真菌に顔はないが、槇村教授は真菌の特徴を“顔”と呼んで捉えている。実際、日本やその後韓国で見つかったカンジダ・アウリスの病原性は低く、それほど大きな問題にはならなかった。ところが、2009年にインド等で血液からカンジダ・アウリスが分離されると、敗血症による死亡例が出て、一気に感染が拡大。薬剤耐性も見られるようになり、パンデミックが起こった。現在も沈静化には至っていない。
「私が最初に見つけた日本型のカンジダ・アウリスは低病原性であり、薬もよく効きます。ところが、アメリカでは致命率が30~40%と、高い確率で敗血症を起こします。同じ菌種であってもタイプによってそれだけの違いがあり、非常に厄介な真菌だといえます」(槇村教授)
第一発見者でもある槇村教授は、安価な機械を使って、迅速かつ高精度でカンジダ・アウリスを検出・診断できる遺伝子診断法を開発。2019年1月にはアメリカで実証試験を行い、世界的流行を食い止め、今後懸念される国内での流行に備えて実用化に向けた準備を進めているところだ。
デジタル顕微鏡の進化により
生きた真菌の姿が見えるように
もともと生き物が好きだという理由から医学部に進んだ槇村教授。「これから高齢者やがん患者が増えれば真菌感染症が問題になるに違いない」と考え、真菌研究の道に進んだ。その予想は的中し、真菌症の患者は増え続け、先述したカンジダ・アウリスの拡大や耐性菌の問題などが発生している。
そのような中、槇村教授が特に力を入れているのが「生きた真菌を見る」ことである。真菌の分類ではDNAシーケンサー等を使った遺伝子同定が進んでおり、槇村教授も数多くの真菌種を遺伝子同定し、そのための特許も取得してきた。しかし、「生きたカビを生きた状態で観察してこそ分かることがある」と考え、進歩したデジタル顕微鏡技術を駆使して試行錯誤している。
「従来は押し花のようにしてスライド上で培養した真菌を観察するスライドカルチャー法が採用されています。一方、デジタル顕微鏡を使えば生きたまま三次元像として観察できます。細胞の中で原形質流動や菌糸が伸びている様子、抗真菌薬をかけたときの変化など、生きた真菌の姿から得られることは多数あります」(槇村教授)
納得できるレベルで生きたままアスペルギルス・フラブスの美しい姿の撮影に初めて成功したのは2017年。その日からカビの姿の美しさに魅せられ、来る日も来る日もデジタル顕微鏡に向かって、さまざまな菌種の写真を撮り続けた。その成果は『医真菌100種 臨床で見逃していたカビたち』(メディカル・サイエンス・インターナショナル)という“写真集”にまとめられている。いずれは「カビ大図鑑」を作りたいという野望もある。
将来の医真菌研究のために
今自分たちにできること
「カビと人間がいるところはすべてが研究フィールド」と話す通り、槇村教授の研究領域は幅広く、宇宙環境医学では宇宙空間での真菌感染を研究対象とする。これは旧NASDA(現JAXA)の地上研究プロジェクトに始まり、今も日本初の有人宇宙計画とした国際宇宙ステーション(ISS)に設置された実験棟「きぼう」で真菌の存在を調べてコントロールすることを目的に研究が続けられている。
真菌研究の将来を見据えるとまだまだやるべきことは山積していると槇村教授は言う。さまざまな真菌種の培養株を収集・保存するカルチャーコレクションや疫学データ、それらについてのレファレンス業務など多岐にわたる。 「カンジダ・アウリスが突然現れたように、今後も新しい病原体によってパンデミックが次々と起こるでしょう。抗菌薬が効かない耐性菌の増加も課題です。そのためにも国を挙げてインフラとしての真菌研究をすべきなのですが、今の日本ではその土壌が涵養されていません。伝統ある帝京大学の医真菌研究グループがその中心的役割を担っていく必要があると思います」(槇村教授)