春先になると思い出すのが、長女が就職先へ向かうのを見送った夜です。
美容専門学校を卒業して、地元の仲間たちと夜行バスで上京しました。
就職先は超ハードで、体を壊すスタッフが続出。
ウチの子の就職についてお伝えします。
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地方から都会に就職
上の子は1988年生まれ。
就職したのは20歳のときですから、15年前です。
2009年の春先ですね。
私は地元にいて欲しかったけれど、上の子は自立心が強く、就職先を自分で決定。
美容専門学校への進学も、自分で決めた娘。
ちなみに美容専門学校は当時、学費に200万円ほどかかりましたが、奨学金を利用せず、親の貯えから出しました。
「美容業界は人使いが荒いそうだから、うちの子は勤め続けられないかもしれないな」
夫はそんなことを私に話したものです。
それでも仲間たちと夜行バスに乗り込んだ娘は、夢と期待に胸がいっぱい。
見送る私に「ばいばい」と、手を振って笑顔をみせたのです。
長時間労働
15年ほど前は、ブラック労働や過労死が多く報道された時代でした。
うちの子が就職したのは大手美容店のチェーン店。
足立区竹ノ塚に勤務先があり、草加市の借り上げアパートが寮でした。
- 朝8時に出社し、夜9時過ぎまでの勤務
- 閉店後の練習
- 昼食は忙しくて毎日、午後3時過ぎ
- スタッフ同士の人間関係がギスギスしていた
1年後くらいに私たち夫婦が実際に訪ねてみると、居酒屋やパブなどがあって、庶民的な街並み。
そのとき娘はわりと元気そうでしたが、辞めるスタッフが多くて、いつも人手不足だと話したのです。
「ばっくれる人が多くて、急にやめるのよ」
「ばっくれる?」と、私。
「そうよ、飛ぶのよ」
いきなり姿を消すスタッフが少なくなったのでしょう。
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ブラック企業の相談先
4年近く働いたうちの子は、過労から蕁麻疹などに悩まされるようになりました。
それで退職したいと店長に希望を言うと、「こんなにみんなが頑張っているから、お前ももっと頑張れ」と、ぜんぜん取り合ってくれません。
店長が全く聞いてくれないので、うちの子は困って、ブラック企業の相談先だったNPO法人に相談。
そこからすんなりと、退職に至りました。
その美容チェーンは強制的にスタッフに積み立をさせていたので、退職金代わりのお金も受け取れたのです。
彼女はそのお金で、英語を学びました。
セブ島に留学し、英会話を習得。
ワーキングマザー
上の子は今も美容師として働いています。
じつは日本の美容業界に失望。
勤務地は海外です。
オルナオーガニックシリーズがお手頃です。
そうそう、娘は子連れで移住していますが、籍は関東にある配偶者の家です。
めったに会えない距離ですが、幸せならそれでいい。
まとめ
上の子が就職したときは、若者を働き潰すような職場が少なくありませんでした。
いまは理解あるパートナーと結婚し、子を儲けて、仕事も楽しく過ごしています。
それでも春が近づくと、親の私は夜行バスで見送った夜を、鮮やかに思い出すのです。
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