大阪松竹座の歴史

歌舞伎・演劇の世界

大阪松竹座の歴史

大正12(1923)年5月、江戸時代から続く芝居街・道頓堀に関西初の本格的な洋式劇場として建築・開場された大阪松竹座は、令和5(2023)年に開場100周年を迎えました。

大阪松竹座の歩み~



大正12(1923)年創建時の外観
大正12(1923)年創建時の外観
左:開場初日の客席
右:松竹楽劇部による『アルルの女』初日の舞台より
大正時代、映画やステージ、音楽などの芸術文化の人気が高まり、芸術文化への憧れ、モダンな都会、消費生活の活況など世の中の急速な変化が劇場文化へ多大な影響を与え、新しい時代の劇場が求められました。

松竹の創業者である白井松次郎によって大阪・道頓堀に建築された大阪松竹座は、日本最初の鉄筋コンクリート造りの活動写真館として優秀映画を上映するだけでなく、新しい時代の舞台芸術の実演と映画上映を兼ね備えるスタイルの劇場を目指しました。「民衆芸術の第一殿堂たる純欧風劇場」という当時の見出しの通り、開場以来、劇場専属の松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)や二世市川猿之助、六世市川壽美蔵などの意欲的な歌舞伎、新劇、新派の公演、管弦楽団等によるクラシックコンサートや曲芸、そして海外から招待した第一級の舞踊団やアーティストによる時代の先駆けとなる公演を取り上げ、これら実演舞台と優秀映画の封切上映を組み合わせた興行スタイルは大いに評判を呼び、日本を代表する文化の殿堂としての役割を担いました。

昭和27(1952)年9月「風と共に去りぬ」を上映中の外観。この年の7月より洋画封切館として再発足
昭和27(1952)年9月「風と共に去りぬ」を上映中の外観。この年の7月より洋画封切館として再発足
道頓堀五座の櫓が灰燼に帰した大阪空襲にも耐えた大阪松竹座は、昭和20(1945)年8月には映画興行を再開。戦後は主に洋画邦画の封切館として名作・大作を上映し多くの映画ファンとともに歩んだ映画館としての役割を終え、平成6(1994)年5月をもって建替え工事に入りました。

平成9(1997)年2月新築開場式「古式顔寄せ手打ち式」の様子
平成9(1997)年2月新築開場式「古式顔寄せ手打ち式」の様子
“道頓堀の凱旋門”とも呼ばれ長年親しまれたネオ・ルネッサンス様式の特徴的な正面ファサードをそのまま保存し、新しい時代の演劇に対応できる劇場として、平成9(1997)年3月に新築再開場。21世紀の舞台芸術を牽引すべく、歌舞伎、現代劇、喜劇公演はもとより、スーパー歌舞伎、レビュー、ミュージカル、コンサート、落語会等、年間を通して多彩で豊かなコンテンツを国内外へ発信し、幅広い世代、ファン層にご愛顧いただいております。

【歴史】差し込み画像
(左)大阪松座開場100周年アニバーサリーロゴタイプ
(右)大阪松情座公式キャラクター「しょーちまる」
そして、令和5(2023)年、大阪松竹座は開場 100 周年を迎えました。それを記念して、大阪芸術大学との産学連携プロジェクトを始動し、新たに「100 周年アニバーサリーロゴタイプ」と公式キャラクターの「しょーちまる」が誕生いたしました。また、「オリジナルショートムービー」も共同制作。世代を越えた大阪松竹座での思い出が家族を繋ぐ、エモーショナルムービーです。皆様の思い出と重ね合わせて、是非ご覧ください。

道頓堀の凱旋門”とも呼ばれ創建時のまま一世紀に亘って愛されてきたネオルネサンス様式の正面ファサードのアーチ
“道頓堀の凱旋門”とも呼ばれ創建時のまま一世紀に亘って愛されてきたネオルネサンス様式の正面ファサードのアーチ
大阪松竹座は、年間を通して多彩で豪華な公演をお届けして参りますので、是非ともご期待いただき、今後とも大阪松竹座へ倍旧のご愛顧ご支援を賜りますようお願い申し上げます。