#03 二代目水谷八重子

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二代目水谷八重子

『日本橋』

――三越劇場の『家族はつらいよ』のカーテンコールで新派一三〇周年の挨拶がありました。ひとつの劇団で一三〇年続いたというのは、非常に稀有なことだと思います。

水谷 新派がはじまった一三〇年前は、要するに歌舞伎の「ちょんまげ」を切って人々が「ざんぎり頭」になった時代ですよね。その当時の現代を描いた明治の作品から、大正、昭和、平成までずっと来ている。
 なかでも、新派は明治、大正、昭和、そのころの日本人の生き方、情、風習なんかが大きな要素になっている。
 けれども、今はそういう昔からの振る舞いや情がどんどん失われていくじゃないですか。それを芝居の中でしっかりととどめていきたい。ここはわからないからしょうがない、ここは通じにくいから、とカットするのは簡単なんですけど、いま世の中からも演劇からも、そういう伝統的な要素がどんどんなくなってしまっている中で、新派がやっていることは明治、大正、昭和の人々の生き方の正しい「見本」を示すことだと思います。そういう意義をもった演劇ジャンルとしての「新派」を確立したいなというのが、いま一番の望みです。

『京舞』

――新派には昭和、戦後に書かれた作品も数多くあります。昭和はついこの間のように思いますが、平成も三十年たって、人々の暮らしもずいぶん変わりましたね。

水谷 ある世代より上の人は昭和の香りが懐かしくて、テレビでもほかのメディアでも「昭和」をやっている人たちは大勢いるけれども、一番正しく日本人の生活を伝えているのは新派じゃないかなと自負しています。
 お茶を入れるなんていうのは何げなくやることで、かしこまることではないけど、その手順も絶対になおざりにはしない。魔法瓶から、じゃーっということじゃない。けれども、新派の中でも、昔の先輩方と、いまの若手では感覚や雰囲気がちがってしまうということがあります。

――昔の生活感覚をどのような形で継承していきますか?

『麥秋』

水谷 わたしたちは芝居の上で生活して見せて、芝居の板の上で生きて見せること以外に、保存のしようがないですね。美術品じゃないから、博物館に展示されるものではない。 たとえて言えば、時代屋の店先に転がっている道具のようなもので、それを手に取って使わない限り、使い方が分からない。 ただね、時代が変わっても人間のものの考え方、表現の仕方というものは変わらないと思うんです。言葉は死語になっても、たとえば誰かに髪の毛を引っ張られたら、「きゃーっ」て言いますよね。その叫び声に通じる、通じないということはないでしょう。
 それが痛いきゃーなのか、ふざけてのきゃーなのか、それをつかんで表現すれば、生まれた時代がちがってもわかる。
 新派の古典作品には美しい台詞がいっぱいありますけど、あくまでも人間を伝えていくのが芝居ですから、言葉の奥の根底をつかまえることですね。
 だから「芝居に死語はない」って私は言うんです。言葉を死語にしちゃったらいけない。感情を込めて生かして伝えること。安易にほかの言葉に置き換えるのではなくて、役者の側が勉強すること。いま一番こわいことは、明治、大正、昭和の言葉が、ぜんぶ平成調になるんです。どうしても平坦になっちゃう。それは私もそうなっています、いつの間にか。時代の流れと言ってしまえばそれまでだけど、やっぱり明治時代のお芝居をやるには、明治の発音で台詞を言わなきゃいけないと思うし、大正もそうだし、昭和は戦前と戦後で大きく変わるし、やっぱりそこは新派の守備範囲としてちゃんとしたい。

つづく

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