造礁サンゴの飼育実験
サンゴは、イソギンチャクなどと同じ「刺胞動物」だ。このうち、サンゴ礁を作るタイプのものは「造礁サンゴ」と呼ばれている。
造礁サンゴはいま、環境の変化に伴い世界各地で危機に直面している。その原因は「ローカル要因」と「グローバル要因」に大別される。
サンゴを脅かす「ローカル要因」は、限られた海域で引き起こされる海の汚染や赤土流入などだ。一方、「グローバル要因」は、地球温暖化による海水温の上昇、海の酸性化、降水量の増加に伴う低塩分への暴露などが挙げられる。
近年は地球温暖化の影響で、海水温が極端に高い状態が持続する「海洋熱波」が頻発するようになり、沖縄を含む各地でサンゴの白化現象が深刻化している。大規模な白化現象は、サンゴが大量死する原因になっている。
そして、「石灰化生物」(炭酸カルシウムの骨格を作る生物)であるサンゴは、海の酸性化の進行によって将来、大きな打撃を受ける恐れがあると懸念されている。
産業技術総合研究所地質情報研究部門(茨城県つくば市)の井口亮・主任研究員(海洋生態学)は、琉球大学などと共同で、海の酸性化が造礁サンゴにどのような影響を及ぼすのか、飼育実験をベースにした研究を行っている。
たとえば、塊状に成長する「ハマサンゴ」を水槽で飼育して成長の様子を調べた実験では、興味深い結果が出た。
大気中の二酸化炭素(CO₂)濃度が現在の400ppm台よりも低い「昔の海水」(300ppm程度)を人工的に作って飼育したところ、ハマサンゴの成長率は現在と比べて1.2倍も高くなることが分かった。このことから井口さんは「海の酸性化の進行によって、サンゴの成長率はすでに低下している」と指摘する。
井口さんによると、このまま大気中のCO₂が増加して1000ppmに達した場合、ハマサンゴの成長率は現在のほぼ半分にまで減ってしまうという。海の酸性化が進んだ未来の海は、「サンゴが育たない海」になってしまうのだ。
最近、井口さんが注目しているのは、サンゴの「種内変異」だ。これは、サンゴの群体ごとに異なる「個性」のようなものである。具体的には、高い海水温にさらされたとき、同じ場所に生えている同種のサンゴでも、白化して死んでしまう群体と、生き続ける群体とがあるのだ。
井口さんらは、海水の酸性化によるストレスに対しても、こうした個性による応答の違いがあるのではないかと考え、実験を行った。
実験では、「エダコモンサンゴ」(Montipora digitata)と「ユビエダハマサンゴ」(Porites cylindrica)を材料として使い、群体から枝を切り取って水槽に入れた。CO₂濃度が1000ppm程度の海水で飼育したところ、成長率が下がるものもあれば、その一方で、ほとんど影響を受けないものもあることが明らかになった。
こうした「種内変異」は、「エダコモンサンゴ」と「ユビエダハマサンゴ」のどちらにもみられたという。井口さんらは2017年に、この研究結果を論文にまとめて発表した。
海の酸性化は確実に進みつつある。では、この研究で明らかになったような、酸性化に耐性のある「スーパー・コーラル」を選抜して増やせば、サンゴ礁を守ることになるのだろうか。
こうした考えに対して、井口さんは「スーパー・コーラルを残せばいいという発想は、やめた方がいい。サンゴの遺伝的な多様性が減ってしまうと、酸性化とは別の種類のストレスに対しては、むしろ脆弱になってしまう恐れがある」と話す。
サンゴに限らず生物は、遺伝的な多様性が高い集団ほど、さまざまなストレスに対して強いことがわかっている。もしも酸性化に強いサンゴばかりを選抜して増養殖すれば、結果としてサンゴの遺伝的多様性を減らすことになるため、そうした取り組みは避けるべきだという。
サンゴの生活史では、海中で卵が受精し、幼生を経て稚サンゴへと育つ。井口さんらは、「コユビミドリイシ」(Acropora digitifera)というサンゴを材料に、群体に育つ前の「ポリプ」と呼ばれる段階で、酸性化がどのような影響を与えるかを実験で調べ、2022年に論文を発表した。
この実験では、「コユビミドリイシ」を受精卵から育て、ポリプの骨格がどのように成長するか調べた。その結果、遠い未来の話ではなく、比較的近い将来に想定されるCO₂濃度(600ppm)でも、ポリプの骨格の成長率が約11%減ってしまうことが分かった。サンゴの‘赤ちゃん’であるポリプがうまく育たなければ、サンゴの集団が維持できなくなる恐れがあるという。
一連の研究をもとに、井口さんは「今後さまざまなCO₂の排出削減対策を進めた場合でも、海の酸性化による造礁サンゴの減少は避けられないだろう」と語る。
(科学ジャーナリスト 山本智之)