「この国に未来はない」なんてオトナの妄想だゾってキャッチコピー、メッセージ性強いなって思ってたけど、本編はそれ以上にメッセージ性強かった
映画「クレヨンしんちゃん」シリーズ初の全編3DCG作品『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』(以下しん次元)「クレヨンしんちゃん」の2Dアニメを長年手がけてきたシンエイ動画と3DCG制作会社である白組がタッグを組み、監督・脚本は『モテキ』(2011)、『バクマン。』(2015)の大根仁が初のアニメーション監督を務めた。構想含め制作に7年という大作。
国民的人気作品を再解釈して3DCGアニメ映画になるのって『STAND BY ME ドラえもん』や『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』があったりして中々地雷臭が個人的にはしてしまう訳だけども、しん次元は冒頭のしんちゃんとみさえの自転車チェイスから「これから3DCGのクレヨンしんちゃんの始まり~~」って感じで今までとは違うしん次元としての魅せ方がよくて「へぇ~~3DCGしんちゃんも悪くないやん」となったし、「みさえが壁に挟まってケツが強調されるの、3D化だと大分いやらしくなるな……」とか「ミッチーとヨシリンまで3D!」「川口もなの!!??」「チーター!!!」とか感動した。あと、何よりエンドロールが最高。
当初心配だった3DCG要素は問題なかったんだけど、逆に辛かったのが今作の悪役である非理谷充(ひりやみつる)だ。
幼少期は両親共働きでネグレクトを受け更に離婚、学生時代は虐められ、30歳なのにバイトは上手くいかず、人間関係も希薄で、推しのアイドルは結婚し絶望。さらには冤罪で警察に追われ、人生に絶望していたところで闇の力を手に入れた彼は、社会への復讐としてエスパー能力での世界滅亡を目論み、それを阻止するしんのすけと対立するといった物語となっている。
正直、彼が登場するたびにトラウマが蘇って「うっ……」となる。
いや、やりたい事は分かる。
非理谷充=大人になった観客にとってしんのすけは虚構とは言えいつまでも変わらない永遠の5歳児であり幼少期の思い出と共に生きる永遠の友だちであり辛い事から救ってくれた永遠のヒーロー。
という事を表現したいのだろう。終盤、仮想化された世界でしんのすけが非理谷充の幼少期に会い、彼を救う展開もやりたいことは分かる。
でもな~~~~そんな非理谷充を救うために「オラの仲間をいじめるなーーー!!」を連呼するの、しんのすけはそんな事言わないって思ちゃう。せめて「おなかま」だろ!!
そもそも非理谷充は子供時代にしんのすけと本当は会ってないのだし、記憶改変前の非理谷充は救われてないんだよな……。
個人的に天かす学園みたいに色々なテーマに対してしんのすけらしい答えで解決するのが大好きなので、野原しんのすけというより映画の向こう側にいるおじさんの存在をうっすら感じる台詞は結構きつい。
何よりも最終的にそんな非理谷充に対して「頑張れ!」で終わらせるの、そういう問題じゃなくないか!!???
非理谷充(独身無職)に頑張れって言うのが野原ひろし(妻子持ち正社員)ってこわ~~。昔、自殺しようとしたおっさんに高校生カップルが説得して助けたというニュースみて心が苦しくなった経験に似ている。
そもそも、格差もあるし未来は大変だけど、誰かのために何かすればなんとかなる、頑張れって言われてもな。そういう気持ちで頑張っても3日で元に戻るよ。そもそもそもそも非理谷充はそれまでも推し活動してた訳で、それって立派な「誰かの為の行動」じゃないのか。えっ、頑張りが足りない?‥すいません。
というか、よくよく考えるとひろしも35歳とかなのでほぼ同世代なんだよな。35歳で係長になり、妻子供がいてマイホームにマイカーがある。キャバクラに行くお金も持っていて、そんな勝ち組が同世代の無職に「まだ行動してないだけだろ?頑張れ」って言うの、こわ~~~~。こんなんホラーだよ。現代ホラー。
何よりも、えん罪とはいえ犯罪者として全国ニュースに名前がのり、ふたば幼稚園立てこもりって暴力振るったのは事実なんだから、傷害罪起訴は免れないだろ!!!!頑張れってどうにかなるレベルじゃない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この国
2023年の日本社会を舞台にしようとするとこの国のお先真っ暗感を無視できなかったのだろうし、そこを真正面から扱ったのはいいんだけども、あまりにも「この国はお先真っ暗だが…」の台詞が多すぎるし、何よりもキャラに制作陣の主張を言わせてる感が辛い。
最終的に「この国はお先真っ暗だ、頑張れ。非理谷充はしんのすけと出会って救われたが……お前はどうする?」ってメッセージなの、どちらかというとひろしじゃなく非理谷充側の僕にとってキツ~~ってなるけども、よくよく考えるとクレヨンしんちゃんの映画に観に行くボリューム層って、はてばブックマーク民みたいな非理谷充じゃなくて、野原一家なのだろうし、そういう層は非理谷充に共感しないだろうし、「そうだそうだ頑張れ、何とかなる」って気持ち良くなるだろうし、そう考えると、この映画は何も間違っていないのだろう。そもそもこんな男には「頑張れ」くらいしかかける言葉が見つからないってことなんだよな。
良い映画でした。辛い。