以前、かっちん母さんがこの記事に対するコメントで
「映画を早送りで観る人たち」に言及していて、それ以来あたしも読みたいなと思ってたんだけど、ようやく読んだ。
「薄々わかってたけど、倍速だけじゃなくて早送りして飛ばして観てるのか!」と驚く一方、「そうか、こういう理由で最近の若い人たちは倍速・早送りしてるのか……」という納得もあって、なんともビミョーな気持ちになった。
何を観るべきか先に教えて欲しい、観るポイントも先に教えて欲しい、というタイパありきで結果的に自分で思考することを放棄している状況も、感情移入したくない、辛い場面は見たくない、という(あたしから見ると感受性をわざとブロックして)快適しか受け付けないようになっている状況も、そうなってしまった背景を説明されると本当によくわかるんだけど、危ういなぁと思わざるを得ない。
実は、ちょっと前に内田さんの「勇気論」という本をたまたま読んでいた。
今の日本人に一番足りていないものは勇気なのではないか、という話。
内田さんのような戦後世代は、戦争という集団的過ちを犯した戦中世代に「孤立してでも自分が正しいと思うことをする勇気を持て」と教えられてきたそう。でも今の社会は、子供や若者に上や周りの顔色を窺って同調することを教えている。そういう形で勝ち上がることを教えている。
だから、友だちと話を合わせるためだけに大して観たくもない映画を倍速と早送りを駆使して必死にこなすとかいうことになってしまうんだと思う。
でも、今のそういう若い人たちに言わせたら、友だちと話を合わせようとしない人は「勇気を持って違うことをする人」ではなく「空気が読めない奴」でしかないんだろう。
あと、ちょっとこの2冊の本の話からは外れるけど、選挙で「誰に政治を担ってもらうべきか」じゃなくて「誰が勝ちそうか」を考えて投票する人たちっているでしょう?あの、いわゆる「勝ち馬に乗りたい」勢はこういう「同調こそが生き抜く術」という価値観から生まれてるんじゃないか。
なんにせよ、情報過多でみんなが常にオンラインで繋がっている現代では、タイパを求める若者を一概に批判することはできないと思う。
でも、そういう若者たちに限って「自分は何をしたいのかわからない」って言うんだよ。そしてこの「何をしたいのかわからない病」は結構根深い。
あたしは自分より若い人に「したいことがないんです」「どうやって好きなことを見つけたらいいんですか」って聞かれると、「なんでもいいから、いろんなこと試してみなよ、やってみないと自分が好きかどうかなんてわかんないもんなんだよ」って答えてきた。
でもほとんどの人は何もしない。
タイパが悪いから好きと思えるかわからないことをやりたくない、自分がやりたいことが何なのか先に知りたい、先に知る方法があるはずだ、と思っているふしがある。先に知る方法なんてないと言ってるのに、適性テストをやってみたりして、自分を知ったはずなのにやっぱりわからないと悩んでいたりする。
一応、素直に何かやろうとする少数派もいる。
でもそういう人も、ノリで何かしてみるとかでなく、コスパに囚われたまま、学んでおいたら役に立ちそうな習い事なんかを選んで遠回りしていたりする。それに、今までずっと自分の感受性を閉ざして使ってないせいで、何かやっても自分がどう感じているのかよくわからず悩んだりしている。
はあー。
でも、どうしてそうなってしまうのかちょっと理解が深まったから、次からはもう少し上手く教えたい。
今の日本人に一番足りていないものは、自分という芯だと思う。インフルエンサーからの受け売りじゃなくて自分で考えた意見、練習しないと得られない自分の中の声を聞く力、いろいろ経験して培う自分の価値観、それらで形成される自分という芯ではないか。