涼しくなったらお伊勢参りに行きたい - 役に立つかは別として

役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

涼しくなったらお伊勢参りに行きたい

うちの実家は禅宗なんだけど、あたしは自分のことを無宗教者だと思っている。

自分宗教ってのはちゃんとあるけど。

 

別に宗教自体が嫌なわけじゃないし、神様にも仏様にも何も異言はない。

ただ、自分で「なるほど、これは役に立つ教えだなあ」と思ったら宗教とか宗派に関係なく取り入れたいし、「ふーん、これはあんまりピンとこないわ」と思ったら宗教とか宗派に関係なく押し付けられたくないから特定の宗教を選びたくないだけ。

それに、1つ選んでその中のものは全部盲目的に信じるなんて気持ち悪すぎる。

 

だけど、人生の中には、盲目的かつ絶対的に信じられる対象があったほうがいい場合があるのも確かだと思う。

自分の努力とか全く関係なくて、全て他人に委ねなくちゃいけない事態ってあるから。

 

そのことに気づいたのは、とある手術を受けたときだった。

全身麻酔で意識がない間に全くの他人に身体をいいように切られる、うっかり変なところを触られるとマズイことになる可能性もある、でも自分でできることは何もない、っていう状況には独特の恐怖がある。

 

怖くて、でも自分で努力できることがなんにもなくて、仕方ないから、初めて心から神に祈った。

儀礼的な祈りじゃなくて、本気で、鼻血が出るかと思うくらい、祈った。

 

あの時、初めて神に祈る人の気持ちが分かった気がする。

 

それまでは、「世の中には自分の努力だけじゃどうにもならないこともある」っていうのは大体のところできない人の言い訳だと思っていた。運を引き寄せるのも努力だし、努力すればなんでもある程度はできるじゃん!と思っていた。

でも、本当に努力しようがない状況に直面して自分が間違っていたことに気づいて、神様にお祈りして謙虚な気持ちになった。

たぶん、本当の意味で、人生で初めて。

 

病室で一緒になったインド人に「あなたの人生で起こっていることに無駄なことは何もないのです」と諭されたせいもあるかもしれないけど。

 

今はお祈りはしない。

でも、ジョギングの途中に神社に寄ってお礼をしてくることはある。

ありがとうございます、ありがとうございます、感謝しています、とだけ言って帰ってくる。

 

ちなみに、手術前にお祈りさせてもらった神様は天照大御神だった。

たまたま前の年に日本に一時帰国していて伊勢神宮に行く機会があったから、体調が悪い原因が判明して治りますようにと天照大御神にお祈りしていたところだった。

その関連と成り行きで。お守りもたまたま持ってたし。

 

たぶん天照大御神じゃなくてもよかったんだろうと思う。でもとにかく具体的に祈る対象の神様がいたことには本当に感謝している。手術が無事に終わったことよりも。

 

……というわけで、日本に帰ってきてからもう1回伊勢神宮に行ってお礼したんだけど、あれから大分経つなぁ。アマテラス様、お元気かなぁ?

 

もう少し涼しくなったらまたお伊勢参りに行きたい。

 

 

 

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