歴史のなかの土佐人たち|RKC高知放送

歴史のなかの土佐人たち

高知に縁のある偉人、有名人ってそんな人やったがや!?
という意外な一面やエピソードも交えて紹介する歴史雑学番組

毎週火曜ごご5時15分~5時25分 放送
   

番組紹介

高知県には多くの功績を残した武将や政治家、実業家や学者などがたくさんいます。
この番組では、彼らがどんな人物だったのか?!諸説ありますが伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。
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パーソナリティ紹介

村山 佐織
ラジオディレクター兼パーソナリティ

その他の出演番組 『RKC地震防災メモ』

番組で紹介している高知に縁のある土佐人について

 


 

 坂本龍馬 
天保6年(1835年)11月15日
~慶應3年(1867年)11月15日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

幕末の時代を動かした立役者として数多いる偉人の中でも抜群の人気を誇る。西郷隆盛からは「龍馬くらい度量の大きい人は他に見たことがない」との評価も。番組では板垣退助からの評価、半平太の奥さんを怒らせていた驚きの悪習も紹介。


 

 坂本乙女 
天保3年(1832年)1月1日
~ 明治12年(1879年)8月31日
撮影場所:高知市立龍馬の生まれたまち記念館

武芸や三味線など多才な人物だった乙女は身長175cm、体重は110キロを超えていたといわれており「坂本のお仁王様」の異名も。龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申候・・・」と書かれた手紙は乙女宛のもので国の重要文化財に指定されている。


 

 ジョン万次郎 
文政10年(1827年)1月1日
~明治31年(1898年)11月12日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

14歳で漂流し数奇な運命に翻弄されながらも24歳で帰国。後藤象二郎や岩崎弥太郎などを藩校で直接指導したと言われている。幕府にも重宝され中濱の姓を与えられた。児童文学書の影響でアメリカの子ども達の間で人気・知名度が非常に高い。


 

 山内容堂 
文政10年(1827年)10月9日
~明治5年(1872年)6月21日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

土佐藩15代目藩主で、幕末に活躍した四賢侯の一人で大政奉還を幕府に進言した人物。武芸の達人で酒と女性をこよなく愛した人物なのは有名だが、実は大の猫好き!潔癖症なのに寝床が毛だらけになるのはお構いなしだったそう。


 

 中岡慎太郎 
天保9年(1838年)4月13日
~慶応3年(1867年)11月17日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

明晰な頭脳と抜群の行動力で村・藩・そして国を救おうと奔走した人物で坂本龍馬の盟友。頬杖をついているような写真が有名だが、この腕実は慎太郎の隣に写っていたはずの女性の腕。笑っている武士の写真は珍しくとても貴重な一枚。


 

 板垣退助 
天保8年(1837年)4月17日
~大正8年(1919年)7月16日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

「民意を政治に反映させよう」と広めた自由民権運動の活動家。相撲を日本の国技として発展、振興させることにも貢献。後藤象二郎とは幼なじみの間柄。性格は大変なきれい好きで大好物は半熟卵とアユの塩焼きだった。


 

 牧野富太郎 
文久2年(1862年)4月24日
~昭和32年(1957年)1月18日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

日本の植物分類学の父。草花の研究に情熱を注いでいたが資金元だった実家の倒産なども重なり家計は大赤字で30回近くの引っ越しをしている。富太郎を献身的に支えた妻のスエとは13人の子どもをもうけている。


 

 吉田茂 
明治11年(1878年)9月22日
~昭和42年(1967年)10月20日
画像提供:大磯町郷土資料館

戦後の日本の基盤を作り上げたことで有名な和製チャーチルこと吉田茂。5期にわたり内閣総理大臣を務めた。「ワンワン宰相」と呼ばれたほど大の犬好きで、愛犬に洋服を着せたり専用のアルバムを作るなどチャーミングな一面もあった人物。


 

 長宗我部元親 
天文8年(1539年)
~慶長4年(1599年)5月19日
画像提供:高知県立歴史民俗資料館(所蔵「秦神社」)

土佐・阿波・伊予・讃岐と四国のほぼ全域を支配した戦国時代を代表する武将。若い頃は物静かで「姫若子」と呼ばれていた。浦戸湾に迷い込んだ約17mの巨大クジラを捕獲し大阪まで運んで豊臣秀吉に献上したというエピソードも残っている。


 

 吉村虎太郎 
天保8年(1837年)4月18日
~文久3年(1863年)9月27日
画像提供:梼原町教育委員会

土佐藩初の脱藩者。12歳という若さで庄屋に就任するほど抜群の行動力と明晰な頭脳を持っていた。天誅組の総裁で明治維新の魁を作った。半平太の妻によると龍馬・慎太郎の3人の中で一番気遣いができ物腰が柔らかい人だったそう。


 

 武市半平太 
文政12年(1829年)9月27日
~慶応元年閏(1865年)5月11日
画像提供:高知県立高知城歴史博物館

土佐勤皇党を組織し「尊王攘夷」を目指した人物。多くの人に慕われた半平太は、生涯妻一筋だった愛妻家としても有名。文武両道で詩や絵の才能もある多才な人物だったが、唯一歌を歌うことだけはとても下手だったそう。


 

 後藤象二郎 
天保9年(1838年)3月19日
~明治30年(1897年)8月4日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

大政奉還の実現に大きな役割を果たした人物。福沢諭吉が「今の政治を変えられるのは後藤だけ」という言葉を残したほど、会う人は皆その魅力に引き込まれたそう。地震が大の苦手で些細な揺れでも顔色を変えて外に飛び出したんだとか!?


 

 吉田東洋 
文化13年(1816年)
~文久2年(1862年)4月8日
画像提供:高知県立高知城歴史博物館 ※ジョン万次郎撮影

藩主山内容堂から絶大な信頼を寄せられ、幕末の土佐の武士に大きな影響を与えた政治家で天才ながら豪腕な手法で敵も味方も多かった人物。派手好きでとても洒落者だったそう。掲載している写真はジョン万次郎が撮影したと言われている。


 

 楠瀬喜多 
天保7年(1836年)9月9日
~大正9年(1920年)10月18日
画像提供:高知市立自由民権記念館

「民権ばあさん」の愛称で知られており、日本で初めて女性参政権を訴えた女性民権運動家。喜多の強い訴えにより、高知市上町は世界で二番目に女性参政権が認められた革命的な地となった。


 

 岩崎弥太郎 
天保5年(1835年)12月11日
~明治18年(1885年)2月7日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

三菱財閥の礎をつくった実業家。そんな弥太郎の唯一の趣味が庭園観賞や庭づくり。仕事で疲れて思い悩んだ時には立派な庭園を見て気晴らしをしていたそう。弥太郎の息子と後藤象二郎の娘が結婚しており、2人は親戚関係となった。


 

 谷干城 
天保8年(1837年)2月12日
~明治44年(1911年)5月13日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

武士・軍人・教育者・政治家、そして熊本城を守った名将として知られており、剣術の腕前は同世代で右に出る者がいなかったほど。西南戦争の勝利で土佐に凱旋帰郷した際、祝賀会で使用し命名したのが今も高知市に残る料亭「得月楼」。


 

 谷玖満子 
弘化元年(1845年)12月25日
~明治42年(1909年)12月19日
画像提供:四万十町(本庁)にぎわい創出課

谷干城の妻。干城が「こういう妻はまたとない」と語るほど良き相談相手であり、固い絆で結ばれた夫婦だった。司令長官だった干城と共に熊本城で籠城。炊事から負傷兵の看病まで懸命に働く姿は兵士達や部下の妻たちの士気を大いにあげた。


 

 鹿持雅澄 
寛政3年(1791年)4月27日
~安政5年(1858年)8月19日
画像提供:高知県立文学館

万葉集の研究に生涯を捧げた歌人。幼少期は勉強が不得意だったそうだが17歳で「自分が生まれた国の〝古典〟の研究」という目標を持つと昼夜問わず猛勉強するように。ついに万葉集古義全141巻を執筆するという偉業を成し遂げた。


 

 野中兼山 
元和元年(1615年)
~寛文3年(1664年)12月20日
撮影場所:兼山の郷公園(高知市春野町)

用水路の整備や港作りで藩を発展させた土佐有数の政治家。急進的で独裁的なやり方で最終的には失脚するが兼山の大改革で多くの産業が生まれ経済が飛躍的に発展。幕末に土佐藩が強い存在感を示せたのは兼山の政策によるところが大きい。


 

 寺田寅彦 
明治11年(1878年)11月28日
~昭和10年(1935年)12月31日
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

日本を代表する物理学者で文学者、そして地球科学の第一人者。現在の高知県立追手前高校、東京大学実験物理学科を共に首席で卒業した秀才。牧野富太郎が高知で一番偉い人は誰か?と尋ねられた際、即座に答えたのが「寺田寅彦」だった。


 

 山内一豊 
天文14年(1545年)
~慶長10年(1605年)9月10日
画像提供:高知県立高知城歴史博物館

土佐藩の初代藩主・山内一豊は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人3人の信頼を得て、貧しい一介の侍から土佐20万石の大名にまで上り詰めた。普段の口調は穏やかで謙虚な性格、口数も少なかった人物だった。


 

 見性院 
弘治3年(1557年)
~元和3年(1617年)12月4日
画像提供:高知県立高知城歴史博物館

山内一豊の妻で一般的には「千代」の名前で知られているが正確な名前や出自ははっきりしていない。数多くの良妻の逸話があり妻としてもビジネスパートナーとしても夫の立身出世を助けた。一豊は生涯側室をもうけず、おしどり夫婦としても有名。


 

 田中茂穂 
明治11年(1878年)8月16日
~1974年12月24日
写真提供:高知市立龍馬の生まれたまち記念館

日本の近代魚類分類学の父と呼ばれ日本人で初めて本格的に魚類分類学を研究した人物。多くの新種を発見しただけでなく日本中の魚を調査し、地方によって呼び名がバラバラだった魚に標準和名をつけて「魚類学の基礎」を作る偉業を達成した。


 

 やなせたかし 
大正8年(1919年)2月6日
~平成25年(2013年)10月13日
写真提供:(公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団

漫画家・絵本作家・作詞家など多岐にわたって活躍。辛い戦争体験が代表作であるアンパンマン誕生のきっかけの1つとなった。多くの人に愛される楽曲「アンパンマンのマーチ」はやなせたかしが自身に問いかけてきた言葉が綴られている。

 

番組内容について

高知に縁のある偉人や有名人は本当にたくさんいます。しかし高知県民でも、教科書や本で名前くらいは聞いたことがある・・・そんな人が高知にいたとは全然知らなかった!という方も意外と多いのではないでしょうか。

この番組で紹介した内容は伝記や言い伝えも交えているので諸説ある箇所もありますが、彼らがどんな人物だったのか?その人となりを紹介することで少しでも皆さんに身近に感じてもらえればと思っています。

また執筆内容のチェックをして下さった各関係機関の皆様に厚く御礼を申し上げます。

今回紹介した人物の中で皆さんが少しでも興味をもった偉人がいましたら、ぜひ上記に記載しています協力機関へ足をお運びください!より詳しく面白いたくさんの「へー!!」に出会えると思います。
(土佐人たちのエピソードは今後も随時、追加予定)

                                               原稿制作担当スタッフR