名水あふれる城下町・松本の魅力をめぐる~石川数正が城下を築き、徳川ゆかりの松平氏、水野氏らがつないだ町~ | 歴史人
×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

再発見!ニッポンの歴史舞台を旅する

名水あふれる城下町・松本の魅力をめぐる~石川数正が城下を築き、徳川ゆかりの松平氏、水野氏らがつないだ町~

再発見!ニッポンの歴史の舞台を旅する【長野県松本市】

 

松本城
国宝五城・現存12天守のひとつとして名高い名城。漆黒が美しい大小天守は松本のシンボル。

 

 松本の城下町にやってきた。この町の魅力、それはまず何より水堀に映える漆黒の五重六階の天守だろう。松本城は、姫路城、犬山城、彦根城、松江城と並んで国宝五城のひとつとして知られる天下の名城である。観るたびに惚れ惚れし、この町に住む人を「うらやましいな」と思ってしまう。

 

 この城を中心とした城下町の礎は天正18年(1590)に入城し、徳川家康の忠臣として知られる石川数正(いしかわかずまさ)と、その子・康長(やすなが)が築いたものだ。

 

牛つなぎ石
江戸時代初期の道祖神。上杉謙信が敵に塩を送った逸話から、塩を運ぶ牛をつないだ石との伝説も。

 

 江戸時代になると、石川氏は改易され、小笠原・松平・水野といった徳川の譜代大名が目まぐるしく交代して治めた。明治時代のはじめ、全国の城が次々と破却されていくなか、松本城天守もその危機に見舞われたが、市川量造(いちかわりょうぞう)ら地元有力者により買い戻されたといわれる。松本城天守で博覧会を開くなど、町の人々の努力によって天守は保存され、その雄姿を現在も観ることができる。

 

中町通り
善光寺街道として、江戸から大正期の蔵造りの建物が多く残り、独特の景観を保つ。

 

 松本駅から天守の南側が、現在の町の中心部だ。中町通り、なわて通りを歩いてみよう。通りには、かつての蔵を活用したショップなどが立ち並んでいて、懐かしい城下町の面影が漂う。裏路地を歩くのも楽しく、見ていて飽きない。

 

 歩いていて目につくのが公共の井戸の数々。大名小路井戸、中町蔵の井戸、伊織霊水など城の周辺だけでも多くの井戸がみられるが、古くからの水源を利用したもので、ほとんどが飲用できるほどキレイな水が湧き出ている。

 

北門の井戸
湧水で満たされていた北門近くの総堀跡。今でも、美味しくて冷たい水がこんこんと湧き出ている。

 

 市内を流れる水路は、江戸時代には、庶民の生活用水や防火用水、街の境目として重要な役割をもち、現代の松本市民の生活をも潤している。「この町は本当に水が豊富で、道路工事などで少し地面を掘ると、すぐ水が出てきてしまうんですよ。美ケ原や東山などに降った雨や雪が松本市街地の地下で巨大な水がめを形成しているんです」と、松本市文化観光部の職員が笑顔で話してくれた。まさに「水の城下町」である。そうした自然豊かな場所ゆえに、美ヶ原温泉や浅間温泉といった名湯で知られる温泉地もある。

 

兎川寺(とせんじ)
松本市の東にある真言宗寺院。かつて小笠原氏の祈願寺だった。石川数正夫妻の供養塔が立つ。

 

 町の北部へ足を延ばし、兎川寺にある松本藩の祖・石川数正夫妻の供養塔に手を合わせたあとは浅間温泉に向かった。その一角にある「枇杷の湯」は、石川氏が築いた湯御殿を前身とする。石川数正の三男からつながる小口家が、代々御殿湯の湯守を務めてきたそうだ。柔らかな湯にじっくり身をゆだねて一日の旅の疲れを癒やし、長い城下町の歴史に思いを馳せた。

 

浅間温泉(湯々庵 枇杷の湯)
松本の奥座敷、浅間温泉。その一角に佇む、藩主の湯御殿を前身とする入浴施設。

 

松本市立博物館
常設展示室・子ども体験ひろばアソビバ!などを有する総合施設。2023年10月7日、新装オープン。

 

長野県松本市

 

KEYWORDS:

過去記事

上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

最新号案内

『歴史人』2024年12月号

【真説】織田信長と本能寺の変

戦国史に名を刻む、織田信長の人物像や合戦について最新研究から考察。令和に入ってから新たに発見された書状や破城跡などから、あらためてその実像に迫る。また、本能寺の変をめぐる黒幕についても研究・仮説を一挙に紹介。日本史最大の謎をひもといていく。