名水あふれる城下町・松本の魅力をめぐる~石川数正が城下を築き、徳川ゆかりの松平氏、水野氏らがつないだ町~
再発見!ニッポンの歴史の舞台を旅する【長野県松本市】
松本の城下町にやってきた。この町の魅力、それはまず何より水堀に映える漆黒の五重六階の天守だろう。松本城は、姫路城、犬山城、彦根城、松江城と並んで国宝五城のひとつとして知られる天下の名城である。観るたびに惚れ惚れし、この町に住む人を「うらやましいな」と思ってしまう。
この城を中心とした城下町の礎は天正18年(1590)に入城し、徳川家康の忠臣として知られる石川数正(いしかわかずまさ)と、その子・康長(やすなが)が築いたものだ。
江戸時代になると、石川氏は改易され、小笠原・松平・水野といった徳川の譜代大名が目まぐるしく交代して治めた。明治時代のはじめ、全国の城が次々と破却されていくなか、松本城天守もその危機に見舞われたが、市川量造(いちかわりょうぞう)ら地元有力者により買い戻されたといわれる。松本城天守で博覧会を開くなど、町の人々の努力によって天守は保存され、その雄姿を現在も観ることができる。
松本駅から天守の南側が、現在の町の中心部だ。中町通り、なわて通りを歩いてみよう。通りには、かつての蔵を活用したショップなどが立ち並んでいて、懐かしい城下町の面影が漂う。裏路地を歩くのも楽しく、見ていて飽きない。
歩いていて目につくのが公共の井戸の数々。大名小路井戸、中町蔵の井戸、伊織霊水など城の周辺だけでも多くの井戸がみられるが、古くからの水源を利用したもので、ほとんどが飲用できるほどキレイな水が湧き出ている。
市内を流れる水路は、江戸時代には、庶民の生活用水や防火用水、街の境目として重要な役割をもち、現代の松本市民の生活をも潤している。「この町は本当に水が豊富で、道路工事などで少し地面を掘ると、すぐ水が出てきてしまうんですよ。美ケ原や東山などに降った雨や雪が松本市街地の地下で巨大な水がめを形成しているんです」と、松本市文化観光部の職員が笑顔で話してくれた。まさに「水の城下町」である。そうした自然豊かな場所ゆえに、美ヶ原温泉や浅間温泉といった名湯で知られる温泉地もある。
町の北部へ足を延ばし、兎川寺にある松本藩の祖・石川数正夫妻の供養塔に手を合わせたあとは浅間温泉に向かった。その一角にある「枇杷の湯」は、石川氏が築いた湯御殿を前身とする。石川数正の三男からつながる小口家が、代々御殿湯の湯守を務めてきたそうだ。柔らかな湯にじっくり身をゆだねて一日の旅の疲れを癒やし、長い城下町の歴史に思いを馳せた。