秀吉と氏政が眺めた「小田原城」「石垣山城」を“ラッパー”坂間兄弟が追体験!【後編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
RHYMESTER(ライムスター)のMummy-D(マミー・ディー)と、実弟でMELLOW YELLOW(メローイエロー)のKOHEI JAPAN(コーヘイ・ジャパン)の二人が、銅門や常盤木橋などを見学した前編から続いて小田原城内を見学。天守最上階から、小田原合戦時に豊臣秀吉が建てたといわれる石垣山城跡を実際に眺め、小峯御鐘ノ台にも足を運び、その史跡とスケールを体感する。
■昭和30年代に起きた全国的な天守閣復興ブーム
—いよいよ本丸・天守閣の見学ですが、ここからは小田原城天守閣学芸員の、大貫みあきさんがガイドを担当して下さいます。
小田原城天守閣学芸員・大貫みあきさん(以降「大貫さん」):昭和25年の小田原こども文化博覧会を契機に遊園地・動物園が設置され、この天守台には観覧車があったんですよ。
KOHEI JAPAN(以降「コーヘイ」):あっはっはっは、大分エンターテインメント路線だったんだ。
Mummy-D(以降「D」):観覧車に動物園に。昭和よなあ(笑)。
大貫さん:当時、動物園のあったお城は多かったようです。昭和30年代くらいに全国で天守閣復興ブームが起き、その時期に復興されたお城は多いです。この小田原城も「待望」だったようで、市民の方から多くの寄付をいただきました。
D:それで天守閣の方だけど、1階は徳川時代の展示なのね。上に登るにつれて時代が遡る感じで。
大貫さん:はい。こちらは江戸時代の小田原城の模型で、全部で3基残っているうちの1基です。これら模型と図面、絵図などを参考に昭和35年に小田原城を復興しました。その際、実際にはなかったであろう展望のための高欄も造られ、外観が一部異なることから復元ではなく「復興」とされています。
D:復興でいいんじゃない? 例えば木造で作り直すとか現実的ではないからね。
コーヘイ:銅門の柱が5000万とか聞いたら、復元だったら一体いくらかかることやら……。
D:そういえば前回の諏訪間館長、お金の話が多かったね(笑)
コーヘイ:それだけ文化財の整備・保全にはお金がかかるってことだよね。確かに苦労をお金で換算すると分かりやすいし(笑)。