「聖杯(ホーリーグレイル)ってどんな意味?」
「オメガ スピードマスターST376.0822の魅力について知りたい」
ホーリーグレイル―聖杯―の異名をとる腕時計がある、ということをご存知でしょうか。
オメガのスピードマスターの中の一モデルではありますが、その稀少性の高さと言うのはオメガ随一。
いや、腕時計の歴史の中でも最高クラスと言っていいかもしれません。
そんなスピードマスターST376.0822の魅力について知りたいという人は多いのではないでしょうか。
スピードマスターST376.0822がどれくらい稀少かと言うと、オメガの公式ウォッチミュージアムですらオリジナルを探しているほどです。
この記事では当店に入荷したスピードマスターST376.0822の魅力を、GINZA RASINスタッフ監修のもと解説します。
相場についても紹介しますので、オメガファンの方はぜひ参考にしてください。
目次
スピードマスター ST376.0822(ホーリーグレイル)の詳細
ホーリーグレイル―聖杯―はファンの間の異名です。正式にはオメガのスピードマスターの中の一モデルとなります。
まず、その詳細について解説いたします。
型番:ST376.0822
素材:ステンレススティール
ケースサイズ:40mm
ムーブメント:自動巻きCal.1045(レマニア5100ベース)
機能:2針、クロノグラフ、デイデイト、スモールセコンド
製造期間:1987年~1988年
製造本数:推定約2000本
オメガファンの皆様は既にご存知のことと思いますが、スピードマスターは1957年にオメガが生み出したレーシングクロノグラフです。
2017年に60周年を迎えましたが、その長い歴史の中でNASAの公式装備品として月に行ったり、銀幕のスターたちの腕元を彩ったりと、何かと華やかな経歴を持つ腕時計でもあります。
そんなスピードマスターは、今やたくさんの派生モデルを持ちます。
もともとは「プロフェッショナル」「ムーンウォッチ」といった名前で通っている、手巻き式クロノグラフ×黒ベゼル×黒文字盤のオーソドックスなタイプの一本勝負でしたが、1970年代以降からデザインや機構にバリエーションを持たせるようになりました。
※現行のスピードマスター プロフェッショナル 311.30.42.30.01.006
今回ご紹介したいRef.ST376.0822もそんな派生モデルのうちの一つで、スピードマスター初となる自動巻きムーブメント搭載機。プロフェッショナルのケースに自動巻きを初めて収めることとなりました。さらに、従来はデイト機能すら付かなかったのが、デイデイト(日付+曜日)という多機能性を持つこと。また、12時位置に24時間計のインダイアルを配すという珍しい仕様です。
このように、スピードマスターのバリエーションのうちの一つではありますが、他のそういった派生モデルとはちょっと様子が違います。と言うのも、冒頭でもご紹介したように、ホーリーグレイル―聖杯―と呼ばれ崇められるほどの、超稀少な逸品なのです。
製造期間は約2年と非常に短期です。しかしながら、ある研究家の推定製造本数は約2000本と、決して少ないわけではありません。
なぜここまで稀少性が叫ばれるようになったのか?そのストーリーをご紹介いたします。
スピードマスター ST376.0822はなぜ聖杯と呼ばれるのか?
Ref.ST376.0822を「ホーリーグレイル―聖杯―」と呼んだのは、かの有名なチャック・マドックス氏です。
2008年に46歳という若さで逝去されましたが、腕時計、特にスピードマスター研究において大きな功績を残しました。
曰く、「多くのコレクターたちがこの時計を探し求めて失望し、喜び、そしてまた落胆を味わう」ことから、聖杯に喩えた、と。
なぜこういった呼び方がされるかと言うと、製造本数に対して「オリジナル」がほとんど流通していない、というのです。オリジナルをやっと見つけたと思って歓喜したら違って落胆し、また失望の淵からホーリーグレイルを探し求める旅に出る・・・さながらこんなイメージでしょうか。
ちなみにオメガミュージアムですらオリジナルを探し求めているとも言われています。
なぜここまで稀少性を持つに至ったか。
これは、ST376.0822の誕生経緯からマドックス氏がこの時計に魅了された理由、そして稀少性の発見までをお話しなくてはなりません。
ST376.0822が生まれた経緯
もともとマドックス氏は稀少性云々の以前に、ムーンウォッチ×伝説のレマニア5100ベースムーブメント(搭載されるCal.1045のこと)ということでST376.0822を評価していました。現行ラインの自動巻きやデイデイトのスピードマスターはムーンウォッチケースではなく、そのモデルのために設計・製造・デザインされた専用ケースに収納されているものがほとんどです。
そのためムーンウォッチ(ちなみに研究家はこの後に“のような―like―”をつける)ケースに自動巻きを収めたもの自体が稀少であることに間違いありません。
これは、オメガが派生モデルを量産した経緯が大きく関係します。
と言うのも、オメガがロングセラーシリーズにバリエーションをつけ始めた1970年代~1980年代。時代はクォーツショックの真っ只中にありました。セイコーのアストロンによって安価で大量生産可能なクォーツ時計が市販され、多くの機械式時計メーカーが苦戦を強いられました。ブランパンが休眠に陥ったり、IWCが倒産に瀕したりと、有名ブランドにとっても決して他人事なショックではありません。
ご多分に漏れずオメガも経営に苦しんだ当事者だったのでしょう。クォーツ時計への対抗馬として、オメガの歴史を象徴するスピードマスターの魅力的なバリエーションで消費者を呼び戻そうと尽力しました。
この試みは成功し、以降スピードマスターには派生モデルが豊富に存在することとなり、その流れは今なお健在です。
↑派生スピードマスターの大きな転換点となった1969年~1972年製造モデルST145.014。
しかしながら、1987年に生まれたST376.0822は、当時は「成功」とは捉えられませんでした。
諸説ありますが、どうも不人気だったため二年も経たずに打ち切りとなったようなのです。
「ムーンウォッチのケースに無理やり自動巻きムーブを詰め込んだ」などとも言われています。もちろん実際は研究家が「のような」と称するように従来のムーンウォッチケースと同一ではなく、自動巻き用にわずかながらアップサイジングされています。
ちなみにその後、自動巻きムーンウォッチとして3510系の後継機が登場していますが、デイデイトは取り払われており、ST376.0822のウケの悪さを感じさせます。
このように誕生からしばらくは「有難い時計」からは程遠く、メーカーに修理に出すとどんどん別のパーツに変更されたり、街の修理店で気軽に純正ではないパーツに交換されたりといった憂き目にあいました。正確なところはハッキリとはわかりませんが、どうも1980年代~1990年代はオメガにとってはパーツの過渡期で、古いものから新しいものへと変化していった時代だったようです。そのためアップデートの意味合いで交換がどんどん行われていたのかもしれません。
こういった経緯から、ST376.0822が「オリジナル」の状態で市場に姿を現すことがほとんどなくなってしまいました。
有難くないがゆえにオリジナルが失われ、結果として稀少性を獲得する・・・パラドックス的な展開によって生まれたのがホーリーグレイルなのです。
搭載するムーブメントCal.1045とは
改めてホーリーグレイルを見ると、名作スピードマスターのうちの一つであると感じさせられます。
その象徴的な魅力の一つであり、マドックス氏も高く評価したものと言えば、やはりレマニア5100ベースの自動巻きムーブメントCal.1045でしょう。
レマニアとは、スピードマスターの基幹ムーブメントを製造したと名高いエボーシュです。
スピードマスターの第一世代~第四世代にあたる手巻き式クロノグラフCal.321、および第五世代のCal.861、そしてそれらをベースに現代版として蘇った現行品搭載のCal.1861など名作の数々を担ったアジテーターです。
現在はブレゲに合併されていますが、同じスウォッチグループであるオメガとは今なお蜜月が続いており、2018年には共同でCal.321を復活させるといった一報が時計界に舞い込みました。
そんなレマニアが手掛けた自動巻き×デイデイトムーブメント。1975年から30年間もの間生産されていたロングセラーです。
実はこのムーブメントの誕生もクォーツショックとは無関係ではなく、Cal.861は高価格だったことから、量産を狙って開発されました。ちなみにピアジェも一緒に開発を行っています。
量産品として生まれたため堅牢性や正確性といった実用性は抜群。特にリューズ一つでデイデイトのクイックチェンジができること、ハック機能が搭載されているという利便性は、誕生当時としてはかなり画期的でした。
精度面でも評価が高く、マドックス氏が目をつけたのもうなずけます。
ただ、後に出る自動巻きムーンウォッチRef.3510系は、ムーブメントがダウンサイジングされ、スッキリとしたケースに収まります。それはさながら手巻きムーブメント搭載モデルのようです。
一方こちらのST376.0822はかなりの大柄。ケースサイズ40mmは今でこそ通常サイズですが、当時は34mmや36mmといった小径が主流でした。クォーツに対抗するはずであったのに、薄さや軽量さという面で大きく後れを取ってしまう結果となったため、誕生当時はウケが悪く、生産打ち切りという悲しい末路となったのでしょう。
上:ST376.0822 下:後継機にあたる3510-50。後継機の方が厚み、ラグ、裏蓋などスッキリしていることがわかる。
加えて、量産型実用機という面も、オリジナルを逸する大きな要因となってしまいました。
量産できるので外装と同じく別に保存すべき稀少性はないと判断され、オーバーホールなどメンテナンスで気軽にパーツ交換が行われてしまったようなのです。
マドックス氏の評価の通り、今見れば名機であることに間違いはありません。
むしろ、機械式時計は高級品という概念をいち早く打ち砕き、その量産に成功。今なおコストパフォーマンスの高い製品を世に送り出し続けるオメガというブランドの歴史と実力を感じさせるエピソードです。
オリジナルへの希求
このように「オリジナル」のST376.0822を発見することはきわめて困難な結果となってしまいました。
オリジナルかどうかを見分けることすら難しい状況でしょう。
そこで、この見分け方として、多くの研究家の中で、いくつかのタイプを分類しています。
研究家たちはベゼル、文字盤、クラスプやガラスの構造やパーツそのものなどを算出。どれがオリジナルでどれが純正のアフターサービスによる交換品か、そもそも純正品ではないかどうかなどを仕分けています。
ただ、この研究には諸説あり、また公式からオフィシャルに発表されているわけではないので本当の当時のオリジナルというのはハッキリとはわからないのかな、と思います。
と言うのも、今回掲載させていただいた現物のST376.0822は、針や文字盤、バックルなどはこの研究で「オリジナル」と言われているものですが、ベゼルはどうも仕様が異なります。
でも、これらの研究の中の画像でも他はオリジナルでベゼルだけ仕様が違う、といったものが散見されます。ここで疑問なのが、「ベゼルだけをわざわざ交換するのかな」ということです。
ガラスが割れたから数千円で交換しよう、というレベルの話ではありません。
もしベゼルを交換するくらいの損傷を受けた時計であれば、文字盤や針なども一緒に交換している可能性が高いです。
↑針の焼け、アルミベゼルの経年などがよい具合に変化しており、どこか一部だけ変更したとは考えづらい。
↑裏蓋にメーカーシールが残った珍しい個体
そのため、当店のアンティーク時計に詳しいバイヤーは、製造時からいくつかのタイプのパーツがあって、それが製造年や工場によって変わったのではないか、と語っていました。
もちろんアフターメンテナンスで交換されてしまったり、オリジナルと全く仕様の異なるものが多すぎるためオリジナルの稀少性は変わりませんが、上記のような事情もあるのでしょう。
こういった研究や推測が飛び交うところも、ホーリーグレイルと言われる所以なのでしょう。
気になるST376.0822の相場とは?
ホーリーグレイルと呼ばれるほどの稀少なスピードマスター ST376.0822。相場はいくらくらいになるのでしょうか。
個体にもよるため一概には言えません。
しかしながらオリジナルが評価され、かつコンディションが良好であれば200万円~300万円ほどは固く、もっと高いと350万円ほどになるのではないか、というのがバイヤーの見解でした。
ヴィンテージオメガの中では、破格の相場と言えるでしょう。
なお、現在オメガのスピードマスターの歴代モデルが再評価されてきています。アンティーク時計の市場が拡大していること。オメガから最近とみにスピードマスターの特別モデルやら、歴史譚をつづった冊子などがラインナップされており、注目度が高まっているのでしょう。
それに伴いホーリーグレイルの他にも、高い相場を記録している個体は数多く存在します。
アンティークが好き。現行のオメガでは物足りない。そんな方々は、ぜひ歴代スピードマスターの中から「掘り出し物」を見つけてみてはいかがでしょうか。
当記事の監修者
田所 孝允(たどころ たかまさ)
(一社)日本時計輸入協会認定 CWC ウォッチコーディネーター
高級時計専門店GINZA RASIN 販売部門 営業物流部長/p>
1979年生まれ 神奈川県出身
ヒコみづのジュエリーカレッジ ウォッチメーカーコース卒業後、かねてより興味のあったアンティークウォッチの世界へ進む。 接客販売や広報などを経験した後に店長を務める。GINZA RASIN入社後は仕入れ・買取・商品管理などの業務に従事する。 未だにアンティークウォッチの査定が来るとついついときめいてしまうのは、アンティーク好きの性分か。
時計業界歴18年。