【対談】“将来世代”の声を聞き、社会の仕組みを変えていくために|コラム|国立環境研究所 社会システム領域

【対談】“将来世代”の声を聞き、社会の仕組みを変えていくために

能條 桃子(NO YOUTH NO JAPAN代表理事)× 田崎 智宏(Beyond Generationプロジェクトリーダー)
2024.8.30

 私たちが「将来世代を考慮すること」を現在の社会制度の中に組み入れていくために、研究者には何ができるのでしょうか?「将来世代」とは、若者や子どものことだけではありません。まだ存在していない将来世代の声を聞き、社会を変えていくにはどうしたら良いのでしょうか?

 国連が2024年9月に開催する「未来サミット」1)を前に、若者の政治参加を促す団体「NO YOUTH NO JAPAN(以下、NYNJ)2)」代表理事の能條桃子さん(26)と、将来世代を考慮した社会決定を促す制度の実現などを目指す研究プロジェクトを率いる国立環境研究所の田崎智宏(51)が対談し、これからの日本の民主主義のあり方も含めて、「将来世代」を切り口に本音で語り合いました。

<右>能條 桃子(のうじょう・ももこ)
若者の投票率が80%を超えるデンマークへの留学をきっかけにNO YOUTH NO JAPANを設立し、代表理事を務める。若者が声を届け、その声が響く社会を実現するために活動する。2022年に米国TIME誌の「次世代の100人」に選出。

<左>田崎 智宏(たさき・ともひろ)
国立研究開発法人国立環境研究所資源循環社会システム研究室の室長。博士(学術)。システム工学と政策科学の二つの専門性を生かし、時代の変化の先を見据えながら、社会の仕組みをより良く変えていく研究を行いたいと考えている。対談にはオンラインでの参加となった。

1. 世代を超えて影響する環境問題~“将来世代”とは誰のこと?

まずは自己紹介をお願いします。

田崎 24年間、国立環境研究所で研究をしてきました。専門はリサイクルですが、いわゆる家庭ごみではなく、家電や自動車といった製品系の廃棄物、つまり、すぐにはごみにならない物を対象に研究を始めました。そうした製品を廃棄する際の分別の手間や失敗を避けるためには、少し先のことを考えて製品を設計する必要があります。そんな研究に取り組む中で、環境問題では将来に悪影響を先送りしていると感じる場面が増え、2021年に「将来世代を考慮する」ための新しい研究プロジェクトを立ち上げました。

能條 U30の政治参加を促すNYNJと、政治分野のジェンダー不平等の解消を目指すFIFTYS PROJECT3)の代表をしています。気候変動問題には、デンマークに留学したのをきっかけに関心を持つようになりました。修学旅行ではスペインまで、飛行機ではなくバスで移動しました。一度飛行機に乗らなかっただけで問題が解決するわけではありませんが、「自分たちのあり方を変えたり、その経験を話したりするのも大事」という考え方に触れて刺激を受けました。大量生産や大量廃棄についても、留学を経て「構造的な問題」として捉えるようになりました。

田崎 構造的問題というのは重要なキーワードですね。最近注目されている環境問題を引き起こす物質には、環境中に溜まっていくもの、分解性がないものが増えています。CO2やプラスチックなどです。今までの世代が悪いものだと思っていなかった物質が分解されず蓄積され、将来世代に被害を与えるという構造が、このところの環境問題にはあると思います。

世代を超えて影響する問題について、どのように将来世代の声を聞き、政策に生かしていけるのでしょうか?

田崎 私たちの世代が構造を変えていかなければならないと思うのですが、世代間の対話をどう行うべきか、若者や次世代の声をどのように聞いて政策に生かしていけるのかについては、能條さんの考えを伺いたいです。また、私は社会の仕組みを変えるトランジションの研究もしているのですが、能條さんが取り組んでいる被選挙権年齢4)の引き下げ運動も、社会の枠組みを変えるような話ですよね。そうした大きく物事を変えていくアクションについてもお話ができればと思っています。

能條 世代間の不正義を前提に考えるのは大事だと思います。ただ同時に、ある世代が突然、構造を作り出す側になるわけではなくて、だんだんと今の構造に取り込まれていくのだと最近感じています。私は今26歳なのですが、21歳で活動を始めたときは、自分は確実に「これからの世代」だと信じていました。ただこの5年で、友人は就職して社会人として経験を積んでおり、私自身もいろいろなところで発言の機会をいただけるようになりました。

田崎 私も「物申す側」だと思ってたのが、あっという間に「責任ある側」になってしまいました。世代間の問題は、最終的には世代を超えて一緒に考えていくのが理想だと思っています。対立的に議論することによる気付きもありますが、新しい仕組みや制度、考え方、文化をつくる、ということに同じ方向を向いて取り組むような状況が必要でしょうね。

能條 今の若者と高齢者は同じ時代を生きていて対話が可能なので、長い年月で見れば同世代と言って良いのではないかと思います。権利もあるけれど責任もある、というのは20代も高齢者も同じです。私自身の活動のモチベーションにも、田崎さんと同じく、これから生まれる子どもたちに「あのとき何もしてくれなかった」と責められたくないという思いがあります。何か少しでも「こんなことをしてきた」と言えるようになりたいと思っています。

田崎 世代間のつながりを意識すると、自分は何をして、どう次の世代にバトンを渡していこうかという発想になりやすいのだろうと思いますね。ところで、まだ生まれていない人たちまで「将来世代」に含むかどうかについては、大きく意見が分かれています。能條さんは活動を始める前から、次世代のことを考えていたのでしょうか?

能條 活動する中で、上の世代の人たちが作ってきてくれたものの大きさを感じるようになりました。そうしたことに気付けば気付くほど、自分は次の世代に何を渡せるのだろうかという視点を持つようになってきた気がします。特に、人々の権利の獲得という点では、ジェンダー平等を含め、確実に良くなってきている部分があります。それは「次世代にはこういう思いをさせたくない」という思いで、上の世代が一つ一つ勝ち取ってきてくれたものなのだと思っています。

2. 将来世代は守られるだけの存在ではなく、社会を変えていける主体である

被選挙権年齢の引き下げは、広い意味で将来世代と言われる人たちの声を反映する手法を増やすことになりますよね。

能條 被選挙権年齢引き下げの活動は、若者を「責任を取れる主体」としてみなしてもらうための活動でもあります。若者は今、議会で代表する権利を持っていませんが、既に社会が直面している現実の問題について責任を持って発言することができますし、本来は、問題に対して行動できる責任主体でもあるんです。

環境問題にも同じような状況が見られます。「気候変動問題を子どもたちのために解決しよう」などとよく言われますが、実際の子どもは、将来気候変動の被害を受けるだけではなく、今も夏の暑さで外で遊べないという被害を受けています。将来世代の問題について話すときに、若者や子どもは将来世代であるのと同時に、今、同じ時代を同じように生きている存在でもあるという視点も持てると良いなと思います。

田崎 能條さんがそう思うようになった具体的な出来事があったのでしょうか?

能條 現在の日本では、被選挙権年齢は25歳もしくは30歳で線が引かれています。その理由を、政府などは「若者には思慮分別がない」もしくは「社会経験がない」からと言うんです。大学生として生きるのも、アルバイトとして働くのも、ある種の社会経験だと思うのですが、若者は「未完の存在」のように捉えられているんですよね。「今は大人がちゃんと議論をしておいてあげるから」などと言われたりして。でも、今の政治家も含めた大人に代弁できていない声はあります。特に環境問題については「長期的な目線」が世代によって異なりますから、若者や子どもが今、声を上げる必要があるんです。

田崎 世の中の変化が少なくて安定していれば、長く生きた方が見えることも多いという理由付けはある程度理解できるのですが、特に2000年代に入ってから、とてもそんな安定した社会にあるとは思えないんです。つまり、変化が大きい時代に、今の制度が合致していない。若い人の方が、新しい価値観や技術などへの感度が高いですし、年齢は制限せずに良い人を選ぶ方が合理的でしょう。

日本では、若者は対等に扱われていないのでしょうか?

能條 若者を「権利の主体」として扱ってくれる人はいますが、政治の分野では権利の主体というよりは「労働者の卵」だと思われているように感じます。デンマークから日本に帰国して、最も問題だと思ったのが、日本の教育が「どれだけ良き労働者を育てられるか」を目的にしていることでした。デンマークでは「良き民主主義の担い手を育てる」ことを教育のゴールに据えていますが、日本では自分の意見を持って行動することよりも、権威に従うことによって評価を得ていく場面が多いと感じます。

田崎 9月に国連が開催する「未来サミット」では、「未来のための憲章」と「将来世代のための宣言」を採択しようとしていて、内容が今議論されています。憲章のゼロ次案では、若者の二つの立場について明記してあります。一つは、現世代の社会的判断をそのまま受け入れざるを得ない存在としての若者。もう一つは変革者としての若者、つまり社会を変えていく主体としての若者です。日本では、変革者としての若者があまり意識されていませんが、今回の憲章ではそこを明確に打ち出しており、国際的に広く認められるようになっていくのだろうと思っています。

この憲章や宣言の案について面白いなと思うことがもう一つあって。現在公開されている案には「将来リテラシー」という言葉が出てくるんです。これは、訓練しないと「将来を考える能力」は鍛えられないのではないか、という発想が背景にあっての言葉だと思うのです。私自身が研究する中でも感じる重要なポイントです。

将来世代の声まで聞こうとした場合に、具体的にどんなところから変えたら良いでしょうか。これまで活動されてきた中で、注意すべきだと感じたことはありますか?

能條 行政が「若い世代の声を聞く」とか「子どもの声を聞く」と言ったときに、行政が求める若者や子どもの声が先にあって、言ってほしいことが用意されていることが多いと感じます。例えばそれは「環境を守ってほしい」とか「きれいな海を残してほしい」という声だったりするのですが、それを子どもに言わせる必要はあるのでしょうか?自明なことは、大人が粛々と進めるべきだと思います。

環境問題や人権問題の解決のために若者や子どもの声がほしいのか、それとも、今の若者や子どもに声を上げたら変えられるという経験を積んでもらって、社会の一員であることを感じてもらうために声を聞きたいのかは、全く違うものです。どちらが正しいというわけではないですが、何かの解決のために参画してほしいのか、純粋な意見を反映したいのかは、明確にしてほしいですね。

一方で、実際の「声」として最近よく聞くのは、高校にペットボトル飲料の自動販売機を設置してほしいという要望です。環境にはあまり良くありませんよね。若者や子どもの意見を聞くことが本当に将来世代に配慮した施策につながるのかというと、矛盾する場合もあるわけで、対話が大事になります。

3. これからの民主主義~世代を超えて

将来世代のためにも、民主主義をバージョンアップしていく必要性については、どう思いますか?

田崎 これまでよりも若者の意見は聞きつつも、高齢者の意見も聞いた方がいいだろうと考えています。経験していない年齢のことは十分に想像ができないと思うからです。一方、高齢になると、人や状況にもよりますが、残る寿命の中で物事を考えるようになる場合もあるので、バランスが難しいです。ラディカルな選挙の仕組みとして、平均余命によって選挙権の重みを変えるなどの考え方5)もありますが、能條さんはどう思われますか?

能條 私は、民主主義は1人1票が絶対原則であるべきだと思っています。政治家に定年制が必要だという議論もありますが、実は定年制についても反対です。被選挙権年齢を下げてほしいという活動をしているのも、参政権は合理的な理由なく奪われてはならず、保障されるべきだと思っているからで、それは高齢者についても同じ考えです。

世代間の格差よりも実は、世代内の格差の方が大きいのではないでしょうか。気候変動の問題でも、この暑さによって影響を受けるのは冷房を節約しなくてはならない人たちで、年齢は関係ありません。CO2排出量についても、生涯で考えれば経済的に豊かな人の方がCO2を多く排出することになると思うんです。

世代間の格差の方が強調されているということでしょうか?

能條 気候変動のデモにはいろいろな世代が参加しているのに、メディアは若者が集まっている写真を載せることが多く、若者が気候変動対策を求めているというナラティブが使われがちだと思うんです。でも、気候変動に関心があるのは一部の若者だけで、むしろ強い危機感を持っているのは、日本では私たちよりも上の世代ではないかという話をしていたりもします。長い間日本で暮らしてきたからこそ、「夏はこんなに暑くなかった」とか「昔は春と秋がちゃんとあった」とか、実感があるのだと思います。

年金や社会保障の問題でも、高齢者と現役世代の世代間対立のような図式にされがちですが、実際に高齢者の介護福祉サービスが減らされて影響を受けるのは、それをケアワークとして担う現役世代です。年金が少なくなった場合も、貯蓄がない高齢者の面倒を見るのは子どもや親せきです。結局は、世代を超えた家族の問題に終始していくわけです。年齢は重要な要素ではありますが、それを絶対の軸にしてしまうと、見えなくなるものがあるのではないかと思います。

田崎 日本では、「生活が今後悪くなっていく」と考える人が「良くなっていく」という人よりも多い6)とされていますが、その人たちが困窮しているとなると、なおさら公共政策のあり方について考えなくてはなりませんね。

能條 生活保護を受けることに抵抗があったり、施しを受けるのを嫌ったりする人は少なくありません。また、生活保護をもらっている人に対して「ずるい」と思ったりもします。怒りや批判は本来、権力側や政治に向いていいはずなのに、自分に近いところにいる外国人や生活保護受給者、女性に向いてしまう。冒頭、構造的問題の話がありましたが、構造的に見たら皆、同じことで苦しんでいたりするのに、構造的に物事を捉えられないがために、パイの奪い合いのような思考に陥り、本質的な解決につながらないのがもったいないとも思います。

怒りのエネルギーを政治や社会を変えるという方向に向けていってほしいですよね。

能條 怒りも別に悪い感情ではないと思うので、怒りを正しい対象に向けるようにオーガナイズしたり、運動に変えていったりすることが大事だと思っています。

田崎 どちらかと言えば構造的に搾取されていて、困窮した状態に置かれているだけなのに、その人がそこで頑張るのをやめると「なんで自助努力をしないのか」と怒られて、周りから叩かれるという現象が起きたりしますよね。

能條 簡単に言ってしまえば、個人主義がどんどん強くなっているんです。「自分で何でもしなくてはならない」と責任を内面化するから、「助けて」と言えなくなります。社会全体ではなく個人単位で考えるので、環境問題についても、例えば誰かがプラスチックのごみを一回、川に捨てたからといって何かが起きるわけではないという捉え方をします。でも、世界中の人が同じことをしたら、自分たちが食べる魚が全部プラスチックを含んでしまうかもしれません。そのような全体観のある捉え方をしにくくなっています。パブリックマインド的なものを醸成できると、環境や福祉の問題を含め、構造的な解決につながるのではないかと思います。

田崎 環境問題では、少しなら自然がきれいにしてくれるだろうという甘えがあると思うんです。実際、ある程度の有害物質は自然が分解してくれるのですが、CO2とプラスチックは残念ながら分解されません。このことに人類が気付くまでに相当時間がかかってきました。それをきちんと見せて、大きな動きに変えていくことが必要だと考えています。

4.社会を望ましい方向に変えていく

能條さんが5年間活動を続けてきて、社会が変わってきたという実感はありますか?

能條 「良くも悪くも社会は変わっていくんだな」とは思っています。自分たちがこうなってほしいと思った部分で変わった部分もあるかもしれませんが、たとえ何もしなかったとしても、ずっと同じではないんだと思います。NYNJを始めたときは、コロナ禍になって、オンライン中心で活動ができるようになるなんて思ってもいませんでした。

5年間で、若い人の投票率は少し上がりましたし、2023年の統一地方選挙では私たちが応援する議員が当選しました。気候変動問題に対する認知度も高まってきている印象があります。活動を始める前は、社会は「動かない」と認識していたのですが、活動していると逆に「動く」と感じます。

ただし、社会をあるべき方向に動かしていくためには、市民や研究者や誰かが働き掛けなければならない部分があると思います。経済団体や既存産業のナラティブの方がどうしても社会に広まりやすいので、そこに対する批判的な視点を持ち続けて、広げていくことは難しいですね。

田崎 社会トランジションの理論だと、X字カーブという考え7)が言われるようになりました。これまで、トランジションはS字カーブを描くように右上の方へと進むと捉えられていて、草の根運動などがどこかでスケールアップして、次の社会状態に移行すると考えられていました。ですが、それだけでは社会のトランジションは起きにくいんです。これまでの仕組みが少しずつ弱体化することも必要で、それが左上から右下に向かう線となり、右上に進む線と重なってX字を描きます。これまでの仕組みを弱体化させるには、公共政策が社会のビジョンと市場原理に基づいて、退出すべき事業の退出を促さないといけません。

最近の民主主義の変化について何か感じたことはありますか?

能條 SNSで投票に行ったと発信する人は増えていると思います。パブリックコメントを送ろうとか、署名を集めようとか、オンラインを活用した手段は増えていると思いますし、それをオーガナイズできる人たちも確実に増えていて、成果を出している場面はあると思いますね。これからは、選挙は投票するだけではなく、応援したり、ボランティアとして参加したり、立候補したりすることまで選択肢にあるようになったらいいなと。

一方で、政党政治への不信感のようなものは広がっているように思います。既存政党はどこも年功序列で男性中心の意思決定があって、若い人や女性の意見が反映されにくい状況にあるから、政党を居場所だと思えずに無所属や超党派で活動する人も少なくありません。でも、長期的に民主主義を考えたときには、理念や政策の一致がある人たちのグループである政党の意義はあるし、必要だと感じます。

田崎 政党には批判的な方も多いですが、本来持つべき機能、期待される機能はありますよね。ところで、ビッグデータを集めて全ての人のニーズを把握して、集計するようなデジタル民主主義8)のようなものが実現したら、そんな話も考えなくてよくなるのかもしれませんね。

能條 私はそんな未来は嫌ですね。全ての情報を収集できたとしても、その中での重み付けや優先順位というものは、いろいろな要因で変動しうるし、それは数値化できるものでもなくて、人間社会の中でお互いに影響を与え合って形成していくもの、政治の過程の中で形成していくものだと思うんです。気候変動運動についても、気候変動が進んだら困るとは皆思うかもしれないけど、やっぱり誰かがそれを言い出して、反響があって運動になっていくわけです。そうやって問題というのは、明日の自分の生活のためではないかもしれないけど、取り組まなくてはならない問題だと認識されていくわけじゃないですか。

田崎 そうですね。別の視点でいうと、目の前のテーブルにどんと選択肢が示され、決断をするという段階にならないと、人はきちんと物事を考えたり、判断したりしないのでしょう。だからこそ、議論する場を作って、その人自身の考え方を発展させていくということが、民主主義の一つの役割なのでしょうね。

能條 NYNJのビジョンは「参加型デモクラシーをカルチャーに」なのですが、メンバーは政治に参加する過程そのものに意味があると思っています。参加の過程を経て自分の考えが変わったり、社会を認識し直したり、自分が生きている社会という枠を捉え直しています。

最後に、環境問題の研究者と対談しての感想をお願いします。

能條 メディアに出ている研究者は、正しいファクトを持っている自然科学系の研究者が多い印象なのですが、選択肢をテーブルに置いたり、議論を作ったりすることも研究活動にしている田崎さんのような研究者の方とお話ができて勉強になったし、すごく面白かったです。公平性の観点から議論ができて、それが印象に残りました。

改めて、市民にも研究者とのつながりが必要だと思いました。日常の中で「もやっとする」「疑問に思う」経験があっても、正しい知識がないと、その経験は社会運動、そして社会の仕組みを変えていくことにはつながっていきません。行政や企業のように、市民社会側にも研究者とのネットワークがあれば、もっといろいろな運動を作っていけるんだろうなと、そんな可能性を感じました。

(聞き手、文:菊地奈保子 社会システム領域)
(撮影:成田正司 企画部広報室)

参考文献

1)国連の未来サミット. https://www.un.org/en/summit-of-the-future

2)一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN. http://noyouthnojapan.org/

4)世界各国の被選挙権年齢については、少し古い情報だが、那須俊貴(2015)諸外国の選挙権年齢及び被選挙権年齢,レファレンス,平成27年12月号(https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9578222_po_077907.pdf?contentNo=1)がまとまっている。194ヵ国中、25歳未満の国が64.4%を占める。

5)例えば、石田良(2020)ドメイン投票方式・余命投票制度、財務総研リサーチ・ペーパー、No.20-RP-03,https://www.mof.go.jp/pri/publication/research_paper_staff_report/research03.pdf.

6)内閣府(2024)「国民生活に関する世論調査」の概要. https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-life/gairyaku.pdf#page=70.

7)Hebinck, A. et al. (2022). An actionable understanding of societal transitions: The X-curve framework. Sustainability Science, 17(3), 1009–1021. https://doi.org/10.1007/s11625-021-01084-w.

8)成田悠輔(2022)22世紀の民主主義.SB新書.