誰がどのように<炭素の負債>を返済すべきなのか?|コラム|国立環境研究所 社会システム領域

誰がどのように<炭素の負債>を返済すべきなのか?

執筆:朝山 慎一郎(社会システム領域 主任研究員)
2024.4.25

 「気候危機を避けるための時間は残りわずかだ」とよく言われます。しかし、これはどういう意味なのでしょうか?残された時間を測るものさしの一つとして、「カーボンバジェット」があります。
 カーボンバジェットとは、地球温暖化を一定のレベルで抑えるために許容される残存のCO2排出量のことです。パリ協定の「1.5℃目標※1」達成のために残されたカーボンバジェットは、現在の年間のCO2排出量で計算した場合、あと6~7年分しかありません。
 では、このバジェットを超過してしまったら、どうしたらよいのでしょうか?私たちは今、1.5℃の目標達成だけでなく、目標が達成できなかった時のバジェットの超過分、つまり<炭素の負債>をどう返済したらよいのかという問題にも直面しているのです。

※12015年に採択された「パリ協定」では、気候変動による悪影響を最小限に抑えるため、産業革命前からの世界の気温上昇を「2.0℃より十分低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求すること(1.5℃目標)」という目標を掲げている。

1. 残りわずかのカーボンバジェット

 「カーボンバジェット」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?日本語に直訳すれば「炭素の予算」になります。「お金でもないのに、炭素に予算なんてあるの?」と疑問に思う方もいるかもしれません。カーボンバジェットとは、地球平均気温の上昇をある一定のレベルで抑える上で許容される残存のCO2排出量のことで、バジェットという言葉はそうしたCO2排出許容量の有限性を表わす一種の比喩表現(メタファー)です。

 ただし、比喩だからといって、現実には意味がないわけではありません。むしろ、カーボンバジェットは地球物理学に基づいた科学的な概念で、パリ協定の1.5℃目標達成のために日本を含めた世界各国が掲げるネットゼロ(またはカーボンニュートラル)目標の科学的な根拠となっています1)。次の図に示すように、カーボンバジェットの考え方の基礎は、地球の気温上昇と累積のCO2排出量の間におおまかな比例関係があることにあり、そこから具体的な数字(ある気温目標で許容される残存のCO2排出量)を計算することができます。

図1 カーボンバジェットの概念図

 当然ながら、気温目標を低くすればするほど、残されたカーボンバジェットの量も小さくなります。産業革命前から現在まで地球気温はすでに約1.2℃上昇しており、1.5℃までに残されたカーボンバジェットは、最新の研究によれば、わずか250~275 Gt(ギガトン)CO2(1ギガトン=10億トン)しかありません2), 3), 4)。現在の世界全体のCO2排出量は年間約40 GtCO2なので、このままのペースの排出が続けば、あと6~7年、つまり2030年頃には残されたカーボンバジェットを使い切ってしまいます。このことからも、早期の排出削減がいかに重要かつ喫緊な課題なのかが分かるでしょう。

2. バジェットを超過してしまったらどうなる?

 一方で、「そんな残りわずかのカーボンバジェットがなくなる前に、世界のCO2排出量をゼロにするなんて無理だ」と思う人もいるでしょう。実際に、現状の各国政府の対策は1.5℃目標の達成には到底不十分で、目標達成はとても難しいと言わざるを得ません5)。では、残されたカーボンバジェットを使い切って、その上限を超えてしまったらどうなるのでしょうか?もうゲーム・オーバーで、目標達成は諦めるしかないのでしょうか?

グローバル・カーボン・プロジェクト(GCP)のカーボンバジェット砂時計の動画

 もちろん、そんなことはありません。バジェットという言葉が比喩であるように、累積のCO2排出量がカーボンバジェットの上限を超えてしまったからといって、すぐに<財政破綻>のようなことが起きるわけではありません。ただし、大気中に一度排出されたCO2はその後、長期にわたって大気中に残るため、バジェットの上限を超えたCO2排出量は、それがゼロになるまでずっと<負債>として積み上がっていきます。いいかえれば、バジェットを超過したCO2排出量とは、いつか返済をしなければならない将来に対するツケ(=負債)なのです。この<炭素の負債>と呼ぶべき債務の返済をしないことは、それに伴う気候変動の被害という痛みを将来の人々に負わせることになります。

 では、どうやって<炭素の負債>を返済すればいいのでしょうか?バジェットの上限を超えた後に排出をゼロにしたとしても、債務の増加を止めることはできても債務の残高を減らすことはできません。<炭素の負債>を返済するためには、植林やバイオエネルギーとCO2の地下貯留を組み合わせた手法などの「CO2除去」と呼ばれる技術を使って、大気中からCO2を人為的に取り除き、排出量をゼロからマイナスに転じる必要があります。そして、CO2除去の技術開発と実施にかかるコストは、<炭素の負債>の返済に伴う金銭的な負担として将来に重くのしかかります。

3.<炭素の負債>の返済をめぐる公平性

 ここまで読んで、皆さんの中には「そんな負債を将来に残すなんて無責任だ」と思う人もいるでしょう。その憤りはもっともで、だからこそ私たちはできるだけ早くCO2排出量をゼロにまで減らして、負債が残らないようにする必要があります。しかし、1.5℃までに残されたカーボンバジェットはわずかしかなく、その上限を超えてしまったら、誰かがその超過分の負債を返済しないといけません。では、この<炭素の負債>の返済のために、一体誰が、どのくらいの負担を負うべきなのでしょうか?

 おそらく皆さんがすぐに思いつくのは、地球温暖化の原因となるCO2の排出量が多い先進国の人々にまず返済の責任があるという考え方でしょう。これまでCO2をほとんど排出してこなかった途上国の人々に負債の責任を押しつけるのはフェアではないと考える人は多いのではないでしょうか。一方で、負債を返済する経済的および技術的な能力がある人が負うべきだという考え方もあれば、返済にかかるコストを最小限に抑えるように負担を割り当てる方が効率的でいいという考え方もあります。立場によっても公平性(フェアネス)の捉え方は異なるため、一概にどの考え方が一番フェアな努力分担の方法だと言うことはできませんし、そこには埋めがたい各々の価値観の違いがあります6)

図2 努力分担の公平性についての異なる捉え方
出典:van den Berg NJ, et al (2020)を基に著者作成

 しかし、そうした価値観の違いを乗り越えて、どうやってフェアに負債の返済の責任を皆で分かち合うのかを考えなくてはいけません。もちろん、自ら進んで負債の返済の責任を負いたいという人はいないでしょうし、できれば他の誰かにその責任を押しつけたい、都合よく帳消しにしたいと思うかもしれません。また、<炭素の負債>とは、現在世代の私たちの怠慢が生み出す負の遺産であり、その返済の責任の一端は将来世代にもかかわるわけで、その努力分担を考えることにはいくばくかの矛盾が含まれます。それでも、その矛盾から目を背けるのではなく、どうやって負債の返済の責任を分かち合うのかを考えることで、より公平な社会への道すじを将来世代に示すことも私たち現在世代の責任だと言えるのではないでしょうか。

執筆者プロフィール: 朝山 慎一郎 (あさやま・しんいちろう)
博士(学術)。気候変動における科学と政策の関係性、特に科学技術をめぐる政治的な論争についての社会科学的な研究をしています。矛盾にこそ人間の本質が表出すると思って、日々悶々と考えています。

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今回の執筆者から皆様への質問:カーボンニュートラル達成にはCO2除去の技術が不可欠だと言われています。こうした技術に頼ることをあなたはどう思いますか?