東日本大震災から今年で10年が経過し、かつて避難指示が出されていた地域でもインフラや地域経済の拠点の整備が進んでいます。
住民の帰還も進みつつある今、福島は将来を見据えてどのようなまちづくりをすべきでしょうか。
地域社会における温暖化対策シナリオの研究を専門とし、2014年から震災復興支援の研究プロジェクトに携わっている五味馨(ごみ けい)さんにお話を聞きました。
時々刻々と変わる福島の状況。今の課題は
五味さんが国立環境研究所に着任し、震災復興支援プロジェクトに参加したのは2014年4月。
当時は瓦礫の撤去などの復興の第一段階がようやく終わり、多くの地域ではまだ避難指示が解除されていませんでした。
しかし震災から10年以上が経過し、避難解除と住民の帰還が進みつつある今、復興の課題も変化しつつあると五味さんは言います。
「住民の帰還が進んだことで、エネルギーの消費量も増えました。
これまでは環境の回復やインフラ・商店・医療機関などの施設整備に主眼が置かれていましたが、これからはこうした地域でも脱炭素社会の構築に向けて省エネルギー対策やエネルギー供給とのバランスという新たな課題への対応が求められています」
エネルギー消費についての問題に加え、エネルギー供給のあり方も変容を迫られています。
原発事故を経験した福島県では再生可能エネルギー導入推進を復興の大きな柱の一つとして位置づけており、日本政府も旧式の石炭火力発電を削減する方針を打ち出しています。
震災以前は、原子力発電所や火力発電所は地域の基幹産業として重要な役割を果たしていましたので、これらが廃止の方向に進むことで、地域産業の構造もガラリと変わる可能性があります。
地域が再生に向かう今、エネルギー問題だけでなく、自治体の財政や地域経済への影響も含めた、具体的なまちづくり計画の策定は急務となっています。
地域の計画づくりを助けるために
五味さんはコンピューターシミュレーションを駆使して、温室効果ガス排出量の実質ゼロ化を目指す脱炭素社会の実現に向け、地域ごとの課題解決に向けた計画を考えるための研究を行っています。
「シミュレーション」と聞くと難しい印象を受けますが、五味さんは「家計の管理によく似ている」と説明します。
「家計を考えるとき、毎月の収入に対して食費や家賃などの定期的な支出がいくらくらいかかるか、出産や子どもの進学など、不定期で生じるライフイベントにどのくらいお金がかかるのかを考えて、計画をたてますよね。
対象が地域の住民全体に広がり、交通や産業などもっと幅広い要素を扱ってはいますが、私たちが行っている地域社会のシミュレーションも、本質的には、家庭で将来のライフイベントを見据えて収入・支出の見通しを立てたり、引っ越しや自動車、家電製品の買い替えをするのと同じようなことをしています」
しかし、五味さんたちが行っているのはあくまで地域の計画の作り方についての研究。
地域の計画づくりそのものではないため、たとえば研究成果を学術論文という形で発表したとしても、そのままでは実際のまちづくりの現場で使うことはできません。
そこで五味さんらの研究チームは、これまでの研究成果に基づき、脱炭素を目指す地方自治体が具体的な目標を立て、行動計画を策定するための参考となるマニュアルを作成し、2021年3月に公開しました。
脱炭素においては、温室効果ガス排出量を実質ゼロにするという定量的な目標があるため、相当な量のデータ収集と、それに基づく専門的な計算が避けられません。
本マニュアルは、脱炭素に向けた基本的な考え方に加え、必要なデータの入手方法や計算手法について紹介した、実践的な内容になっています。
「福島県大熊町ではすでにこの手順を実際に活用して、2050年までに二酸化炭素排出量を実質ゼロにするという『大熊2050ゼロカーボン宣言』を行い、2021年2月には『大熊町ゼロカーボンビジョン』が策定・公表されました。他にも本マニュアルを参考にしているという報告は複数の地方自治体から受けています」(五味さん)
このマニュアルは地方自治体の具体的な計画づくりを助けるために作られたものですが、脱炭素社会実現のためには地方自治体だけではなく、国や民間企業、そして一人ひとりの参画が求められます。
そのため、計画のできるだけ早い段階で背景や立場の異なる人や組織を巻き込んでいくことが大切だと、五味さんは強調します。
それに加え、計画を具体的な役割や行動に落とし込み、その中でそれぞれの組織がどのような役割を担うかしっかり整理することも、計画に実効性を持たせるためには欠かせません。
脱炭素は、より良い社会を作るための方法の一つ
脱炭素社会は住宅、交通、産業、エネルギー供給、土地利用など、社会の多くの側面と深い関わりを持ちます。
そのため、脱炭素社会の実現に向けた行動計画の遂行は、必然的に私たちの生活にも少なからぬ影響を与えます。
しかし、地域社会における課題は、脱炭素による温暖化対策だけではありません。
それぞれの地域にはそれぞれの課題があり、脱炭素化と同時にそうした課題の解決も目指さなければなりません。
たとえば交通ですと、まず誰もが行きたい場所に行きたいときに安全・迅速・安価に移動できることが、共通の目標として存在します。
その目標に対して、バスの本数が少ない、道路が渋滞する、自転車の通行帯がなくて危ないなど、地域によってさまざまな課題があります。
脱炭素は、こうした交通にまつわる課題の一つと位置付けることができ、より良い交通の枠組み作りを考える上で無視できない、ある種の制約として働きます。
五味さんは
「そもそもなぜ脱炭素を目指すかというと、気候変動による災害などのマイナスの影響を緩和するためです。
つまり脱炭素は目的ではなく、より良い生活を送るための一つの手段なのです。
社会のさまざまな分野と否応なしに関連するという脱炭素の特徴を活用し、脱炭素社会を目指す取り組みがより良い地域づくりを進めるきっかけになれば」
と、今後脱炭素を進めることがひいては地域社会全体を良くすることにつながると期待を寄せています。
脱炭素社会に向けて、福島だからできること
福島県は東日本大震災における原子力発電所事故の経験を踏まえ、「再生可能エネルギーの飛躍的な推進」を震災・原子力災害からの復旧・復興に向けた主要施策の一つに掲げ、さまざまな事業に取り組んでいます。
2021年2月には、内堀雅雄福島県知事が2050年までに脱炭素社会の実現を目指す「福島県2050年カーボンニュートラル」を宣言し、日本における再生可能エネルギーのトップランナーとして脱炭素化に向けた取り組みを積極的に進めています。
福島県や県内市町村における脱炭素の取り組みに対しては、環境省や経産省がサポートしており、五味さんを含む研究者との協働体制の枠組み作りも進んでいます。
さらに、新しいことに積極的にチャレンジする市町村も多く、脱炭素社会実現において主導的な役割を果たす地方自治体の協力が得られやすい体制が整っているという点が、福島県で脱炭素社会の研究を行う一つのメリットだと五味さんは言います。
それに加え、五味さんは福島県で研究を行うことのアドバンテージとして、地域の多様性を挙げます。
福島県には、温暖な海沿いの地域から、山奥の豪雪地帯、福島盆地など、地形や気候条件の異なる多様な地域があります。
さらに、市町村の人口規模や人口密度という観点でも、いわき市や郡山市のように30万人を超える都市から、日本一人口密度が低い市町村として知られる南会津郡檜枝岐村まで、多様性に富んでいます。
このように多様な地域がある福島県は、多様な地形、多様な地域を擁する日本という国全体の縮図と見立てることができます。
たとえば、郡山市のように人口30万人以上で、周囲には食糧やエネルギーの生産を担う地域があるような都市は、日本中にたくさんあります。
そのため、福島のさまざまな地域を対象に研究を行うことで、日本のさまざまな地域を想定した脱炭素社会のモデルを作ることができるのではないかと、五味さんは期待しています。
より広い視野から、まちづくりをサポート
脱炭素社会の実現を含む、まちづくり計画を策定し、実行するためには、行政や企業だけではなく、一般の人たちの行動変容も求められます。
そこで五味さんたちは、専門的な研究成果を大人にも子どもにもわかりやすく見える化するプロジェクトとして、「3Dふくしま」を開発しました。
3Dふくしまは、福島県のリアルな大型3D白地図の上に地理・社会情報、放射線量、野生動物の分布、温暖化の影響などのエニメーションを、プロジェクションマッピングによって超高解像度で精細に映し出すことができます。
3Dふくしまは、地図情報として扱えるデータであれば何でも投影することができるので、時間軸と空間軸の両方から、自然や暮らし、社会など、さまざまな角度から見た福島の姿を映し出すことができます。
たとえば、エネルギーの需要と供給を同時に投影することで、福島県内のエネルギー事情を視覚的に理解することができるでしょう。
3Dふくしまにはもう一つ重要な思いを込めたと、五味さんは明かしてくれました。
「実は、3Dふくしまは今の情報技術社会と対照をなすものとして考案したんです。
今はみんな一人ひとりが自分のスマートフォンを持ち、好きな情報を好きなときに閲覧することができる時代です。
その一方で、3Dふくしまはリアルな物体として目の前に存在し、凹凸を距離のイメージなどを文字通り身を持って感じていただくことができます。
3Dふくしまは、実は皆で地図を囲んで話しあうようなイメージで考えました。
コロナの影響で今はなかなか難しい面はありますが……」
見る人の想像力を掻き立てる3Dふくしま。
今すぐには多くの人が集って福島の未来を議論することは難しいですが、新たなまちづくりが求められるポストコロナ時代、広い視野で福島のこれまでとこれからを考えるヒントを提供してくれることでしょう。