福島の里山で、野生の山菜やキノコの放射性セシウムについて研究を進める国立環境研究所地域環境保全領域の渡邊未来(わたなべ みらい)博士。
野生の山菜やキノコには未だに食品基準値を上回る放射性セシウムを含む種も多く、科学的なデータの蓄積に加え、実際の暮らしに即した情報提供が求められています。
研究者の立場から、福島の豊かな食文化に貢献したいと日々研究に邁進する渡邊博士に、研究者を目指したきっかけやこれまでの歩みについてお伺いしました。
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のびのびと過ごした子ども時代
——渡邊さんはどんな子どもでしたか?
出身が鹿児島なので、自然に囲まれて育ちました。
桜島も、心の原風景に刻み込まれていて、火山には懐かしさと愛着を覚えます。
研究者の中には、将来の研究テーマにつながる昆虫や宇宙、本などに、子どもの頃から夢中になっていたという根っからの研究者気質の方も多いですが、僕の場合は別にそういったわけではなく、いわゆる普通の田舎の子どもでした。
秘密基地を作ったり、クワガタを採ったり、釣りをしたり、漫画を読んだり、ゲームしたり。
色々なことに興味を持って遊んでいました。
そういった原体験があるせいか、調査で泥まみれになったり、川に入ったりすることにあまり抵抗がありません。
これは、自分の強みのひとつかなと思います。
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故郷の桜島でも調査をしたそうです。
中高時代は、放課後の遊びや部活に打ち込んでいました。
もちろん、勉強もしていましたが、あまり得意ではありませんでした。
研究者というと「子どもの頃から勉強が得意だったんだろう」と思われがちですが……。
徒歩で通学していたので、ずっと自然を身近に感じていました。
田舎なので学校がけっこう遠くて、小学生のときは山を一つ、中学生になると山を二つ超えて、学校に通っていました。
通学路の景色は、季節を感じることができて好きでした。
夏の田んぼを風が渡っていく様子など、今でも目に浮かびます。
ここ数年、春には山菜、秋にはキノコの調査で福島を訪れていますが、素敵な田園風景を見ると、なにか懐かしい気持ちになります。
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夏の筑波山麓の田園風景(茨城県つくば市)。渡邊さんの職場からも近い。
研究の面白さにハマり、自然と研究者の道へ
——「研究者になりたい」と思ったのはいつ頃ですか?
高校時代は部活に打ち込んでいたので、大学へ進学する時も、「何学部にいきたい」という具体的な目標はありませんでした。
しかし、「研究者になりたい」という、漠然とした、でも確かな気持ちはありました。
なので、大学受験のときは理学部や薬学部など、いろんな大学のいろんな学部を検討しました。
その中で、園芸学部は国公立大には千葉大学にしかなかったので、「なんだか面白そうだな」と思って興味を持ち、千葉大学園芸学部に進学しました。
卒業研究も、やりたいことが明確に決まっていたわけではなかったので、どの研究室に行くかとても迷いました。
ただ、環境の研究がしたいという気持ちはあったので、ここでも「なんだか面白そう」という自分の気持ちに従って、土壌学研究室を選びました。
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けもの道を歩く渡邊さん。
土壌学研究室の仲間の多くは、温暖化に関する研究をしていましたが、僕のテーマは、青森県恐山で森林の窒素循環を調べることでした。
恐山は火山性の強酸性土壌です。
故郷の桜島が大好きで、火山に関わる研究をしたいと思っていたので、僕にぴったりのテーマでした。
この頃を振り返ってみても、「研究で食べていくんだ」と明確に思ったきっかけはないのですが、「研究者になりたい」という気持ちはずっとありました。
そうした気持ちを続けることができたのは、研究が最初から面白くて、ずっとハマり続けていたからだと、今になって思います。
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イオウで黄色い恐山の川。
大学と全くちがう 研究所での生活
——渡邊さんは、大学院での研究を国立環境研究所(以下、国環研)で行なったとお伺いしています。
なぜ大学ではなく、研究所を選ばれたのでしょうか?
大学院に進学する前、当時客員教授として千葉大学園芸学部に所属されていた国環研の高松武次郎先生の酸性雨研究に惹かれました。
大学院では高松先生のもとで研究したいと思い、国環研の研究生となって、茨城県つくば市に引っ越しました。
今は、土壌と山菜、土壌とキノコの間での放射性セシウムの動きを調べていますが、大学院の頃は、酸性雨の原因となる大気中の窒素酸化物を測る方法を開発したり、樹木の葉に着いた酸性物質を調べたりしていました。
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窒素酸化物をはかる実験。
研究所は大学とは違って、研究のプロフェッショナルたちに囲まれて研究ができるという点が特長で、これが僕にはとても刺激的でした。
大学の先生とは、研究者としてよりも授業の先生という形で接する機会が多かったので、その先にある研究まではなかなかイメージできませんでした。
国環研で研究を始めて、多くの研究者と身近に接するなかで、研究の面白さを実感しましたし、研究者として生きていくとはどういうことか、具体的なイメージがわくようになりました。
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調査では濡れることもいとわず、水を汲みます。
今でこそ、国環研は連携大学院の学生の受け入れにも積極的に取り組み、しっかりとした指導体制を整えていますが、当時は放任で、周りに自分以外の学生もほとんどいませんでした。
その代わり、若い研究者の方たちに非常によくしていただきました。
バドミントン、卓球、サッカーなどスポーツにも積極的に参加して、年上の皆さんにもずいぶんと可愛がっていただきました。
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バドミントンに打ち込む渡邊さん。
震災直後から森林で放射性セシウムを調査
——福島の放射性セシウム研究に携わるようになった経緯を教えてください。
東日本大震災以前は、森林の窒素や微量元素の研究を行なっていましたが、原発事故からの数年間は、放射性セシウムの研究に集中することになりました。
ちなみに現在は、窒素汚染の研究と放射性セシウムの研究を、だいたい半々くらいの比率で進めています。
震災以前から森のなかで調査をしていたため、つくばで雨や落ち葉といったサンプルを採集する装置を仕掛けていたこともあって、放射性セシウムの調査は、震災直後の2011年3月から開始できました。
そういった背景があり、福島の放射性セシウム研究のスタートから関わることができました。
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渡邊さんのシンプルなデスク周り。
森林の窒素汚染の研究は、人の暮らしとのつながりを説明するのに時間が掛かり、歯痒さを覚えることもあります。
一方、福島の放射性セシウムの研究は目的が明確で、自分にとっては初めて暮らしに直結したテーマでした。
そういった意味で、研究人生の大きなターニングポイントだったかなと思います。
——放射性セシウムの研究を進める中で、特に印象に残っていることは何でしょうか?
福島での放射性セシウム研究は、これまで以上に、異分野の研究者と連携することが重要になってきます。
人の暮らしに深く関わるテーマなので、理系だけでなく、社会学など文系の研究者の協力も欠かせません。
今取り組んでいる野生の山菜やキノコの研究にも、幅広い分野の専門家が関わっています。
僕の専門は土壌学ですが、分析化学、曝露化学、分子生物学、生態学、社会学などさまざまな専門家が協力しあって研究を進めています。
そういう他の研究者と話をすると、ときどき面白い発見があります。
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福島でのキノコ調査の様子
なかでも印象的だったのが、森のなかで土を掘っているとき、社会学の研究者が「なんで人間以外のものにそこまで時間や労力をかけて、情熱を注ぎ込めるのか分からないなぁ…」と言ったことです。
最初はピンときませんでしたが、僕には全くなかった発想だったので、すごく新鮮でした。
考え方は人それぞれなのはもちろん頭では分かっていますが、実際に見聞きしないと分からないことも多いと実感しました。
これは、福島での自分の研究にも当てはまると思います。
今までは自分の枠の中で研究をやってきていましたが、地元の方を含め、いろんな人と協働することで、視野が広がっていくのを感じています。
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国立環境研究所のイベント「夏の大公開」を対面開催していたときの一場面。来場者の皆さんと交流できる貴重な機会です。
もう一つ印象的だったのが、森林総合研究所の研究者と一緒に研究論文を書いたときのことです。
多くの場合、代表となる一人の研究者が草稿を執筆し、それに対して共同研究者がコメントや修正を入れて仕上げていくというプロセスが一般的で、論文を何度も大幅に書き直すことはあまりありません。
しかし、この論文の場合、まず相手が書いた初稿を僕が大幅に直し、それをまた相手が大幅に直すというやりとりがありました。
そんなふうにお互いがっぷり四つで組み合って論文を書いたのは初めてで、非常に面白く、刺激的な経験になりました。
自分の「得意技」を大事に
——最後に、研究者を目指す若い方へのメッセージをお願いいたします。
研究者は勉強ができるイメージがありますが、いわゆる学校の勉強ができなければ研究者になれない、というわけではありません。
研究分野も色々ありますし、研究のスタイルも人それぞれです。
僕自身、学校の勉強はあまり得意ではありませんでしたが、色々なことに興味を持って、面白いと思うことを続けていった結果、研究者になることができました。
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もちろん、勉強ができるに越したことはありません。
しかし、勉強と同じくらいか、もしかしたらそれ以上に、○○が好き、手先が器用、体力がある、コミュニケーションが上手、アイデアが浮かぶ、など何か得意技があることが大事だと思います。
自分の中の「面白そう」という気持ちを大切に、得意技を磨くことで、研究者に限らず、自分の納得いく道を見つけ、それに向かって進むことができるのではないでしょうか。