広島放送局では、被爆地の放送局として核兵器による悲劇が二度と起こらないよう原爆の惨禍と平和の尊さを描く番組を数多く制作してきました。被爆体験の継承が困難になる中、これまで制作した核・平和関連番組の一部をオンラインでご視聴いただけます。
【対応言語:日本語・英語・フランス語・中国語・ロシア語】
(2002年8月7日放送)
被爆から57年、被爆者の平均年齢は70歳を超え、被爆体験の風化が叫ばれるなか、広島市とNHK広島放送局では今年「原爆の絵」の募集を呼びかけました。これまでに寄せられた絵は725枚。広島では28年前にも「原爆の絵」の募集が行われ、2200枚あまりの絵が今も残されています。今回集められた絵をあわせ、3000枚に達する「原爆の絵」が、いつどこの場所を描いた光景なのかを確認し、データベース化する作業が着々と進められました。(58分)
(※放送時に番組内容を説明した文章です)
(2019年8月6日放送)
2019年4月、広島の原爆資料館が展示内容を一新しました。「被爆」を「あの日、キノコ雲の下にいた人間の目線」から捉え、遺品や資料に「持ち主のエピソード」や「残された家族の思い」を記したのです。番組は、野球選手にあこがれた少年のシャツが語るあの日の惨状、息子の革ベルトに込められた母の悲しみ、被爆した母と生まれた子の写真の秘話など、遺品から被爆者一人一人の体験と思いに迫ります。(49分)
(※放送時に番組内容を説明した文章です)
(2019年12月20日放送)
長年、核兵器廃絶運動の先頭に立ってきた坪井さん。75年の節目をどう迎えようとしているか聞きました。
(※放送時に番組内容などを説明した文章です)
(2021年4月21日放送)
国内外で被爆体験を証言し、核兵器の廃絶を訴え続けてきた岡田さん。84歳で亡くなる直前まで平和を訴える団体の会議に出席していました。わたしたちは何度も岡田さんを取材し、貴重なお話を聞かせていただきました。岡田さんが残したメッセージに迫ります。
(※放送時に番組内容などを説明した文章です)
(2022年1月14日放送)
20年近く国内外に平和を訴え続けている箕牧智之さんです。生涯に渡って平和の大切さを訴え続け亡くなった坪井直(つぼい・すなお)さんの思いを受け継ぎ、広島県被団協の理事長を務めています。箕牧さんに核兵器廃絶に向けた決意を聞きました。
(※放送時に番組内容などを説明した文章です)
初恋の人を探して、被爆直後の広島を歩き回ったときの気持ちをつづった手紙。少年時代のみずみずしいエピソードもふまえて脚色した物語です。(10分)
広島で被爆した幼なじみの“文子ちゃん”。家族や友達を思いやる言葉を残して、16歳で逝った“文子ちゃん”の最期を、地元・広島の大学生がアニメ化しました。(5分)
生まれたばかりの子供を抱えて被爆した“先輩”に宛てた手紙。命が助かった後も“先輩”を待ち受ける幾多の困難。親子を救った奇跡の巡り合わせとは?(5分)
2011年の東日本大震災の体験と、広島で被爆した記憶を重ね合わせて書かれた手紙。被爆してもよみがえった “柳の木”をモチーフに、 “再生”を伝えます。(5分)
被爆直後、地獄のような世界を体験した“おじいちゃん”に宛てた孫からの手紙。“おじいちゃん”が被爆した現場近くの砂を使った、サンドアートで描きました。(5分)
広島で被爆した姉“睦ちゃん”に宛てた手紙。“睦ちゃん”の遺体は見つかっておらず、行方不明のまま。姉を思う気持ちを、広島市立大学の大学生がアニメ化しました。(5分)
3歳の時に長崎で被爆した体験を乗り越え、世界の子どもたちに豊かな未来を願う手紙。国際的に活躍するラトビアのアニメーション作家が世界に向けたメッセージとして映像化しました。(5分)
爆心地に近い、軍の司令部で共に働いた友人“ヤマン”との瑞々しい青春の思い出が記された手紙。現代に響く物語によみがえらせます。(10分)
5才のころ、「いってらっしゃい」と送り出した父親は、あの日、被爆して大やけどを負い重傷の体で帰宅。翌日に亡くなった。幼い筆者にとって、「父はすべて」だった。大学生が、筆者に直接取材して映像化します。(5分)
原爆が落とされたあの日、母親のお腹に中にいたという筆者。母親はお腹の子を必死で守り、戦後の厳しい暮らしの中で大切に育ててくれた。母に思いを寄せた手紙を若手の女性アニメーターが情感豊かに映像化します。(5分)
NHK広島放送局3Fハートプラザの「平和アーカイブスコーナー」では上記以外の番組もご覧いただけます。ぜひお越しください!