インクルージョンと包摂

公開:2023年3月1日

日本語に置き換えにくい外来語は多い。「インクルージョン」も,その1つのようだ。

東京オリンピック・パラリンピックの基本コンセプトの1つは「ダイバーシティ&インクルージョン」だった。日本語では「多様性と調和」。「多様性」はわかるが,「インクルージョン」=「調和」には違和感があった。

「インクルージョン」の訳語として,「包摂」もよく目にする。しかし,「包摂」は日常語ではない。『三省堂国語辞典』(2022年,第八版)は,「文章語」や「哲学・論理」のことばとしている。

どうも「インクルージョン」は,ぴたりと当てはまる日本語がない,つまり日本社会にはなじみのない考え方だったようだ。

国語辞典に登場するのも最近だ。「インクルーシブ」の形で,『大辞林』が2019年の第四版,『明鏡国語辞典』が2021年の第三版。『三省堂国語辞典』が2022年の第八版,『新選国語辞典』は2022年の第十版からの掲載だ。

このうち,『三省堂国語辞典』では,「インクルージョン」を「いろいろな人が個性・特徴を認めあい,いっしょに活動すること」と定義している。障害のあるなしや,性別や国籍などの違いによって差別されないことを意味する。白いワイシャツ姿のサラリーマンたちが,みんなで夜遅くまで残業し,一緒に飲みに行っていた時代,つまり「同調」が美徳だった時代には縁遠い考え方だったと思う。

それがいまや,経済活動上も欠かせない考え方になった。さまざまな人が集まり,豊かな発想を生み,新しいサービスや商品を作り出す。「ダイバーシティ&インクルージョン」をうたう企業や組織が増えている。

東京オリンピック・パラリンピックは,汚職事件で大きな汚点を残した。カネによって限られた人のみが得をするのは,「インクルージョン」の対極だ。

それでも,私はパラリンピックの閉会式はすばらしかったと思う。障害のある人もない人も,個性的なダンスをいきいきと披露していた。テレビの映像に「インクルージョン」が満ちあふれていた。

ことばが社会に広がるとき,その考え方も社会に根づいていく。「インクルージョン」という考え方は,どのような形で定着するのだろうか。社会がよくなることを願いつつ注目していきたい。

メディア研究部・放送用語 石井伸壽

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