新潟青陵学園の建学の精神
「新潟青陵学園」の祖型「裁縫伝習所」が誕生したのは、明治 27・28 年の日清戦争と同 37・38年の日露戦争のちょうどその中間の明治 33年で、当時の日本は決して豊かな国ではなかった。そのような状況において、女子のための『実学教育』と女性の地位向上の啓発活動をしていた帝国婦人協会創設者・下田歌子女史の新潟来訪を機に設立されたものである。
明治から令和の現在に至るまで、産業構造は一次産業、二次産業次いで三次産業中心へと変化し、併せて就業構造も大学進学率も大きく変わったが、本学は、下田歌子女史の教育思想をもとに、地域の人材育成のニーズに応えるべく、「日進の学理を応用し、勉めて現今の社会に適応すべき実学を教授する」を建学の精神としている。