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哲学対話をしよう ~手を止めて、余白をつくって問い直す~
広報誌「厚生労働」2023年12月号とびラボ企画
10月19日に行われた、とびラボ企画「永井玲衣さんと『実践!哲学対話』」と題した勉強会。本勉強会に込めた企画委員の思いや講演内容、そこで得た職員の気づきなどを紹介します。
<とびラボとは?>
厚生労働省では、職員が今の担当分野にとらわれず、自分自身の関心で新しい出会いや学びを求めてチャレンジすることを応援する提案型研修・広報制度があり、通称「とびラボ」(とびだす“R”ラボ)と呼ばれています。これは、職員が関心のある政策分野に継続的にかかわること及び厚生労働行政の政策分野における現場の支援者、当事者などと出会い、現場での実践に関する学びを深めることを支援することで、職員の厚生労働行政に関連する幅広い実践的な知識の習得および職務を行う意欲の向上を期待するものです。とびラボでは、職員が企画したこのような活動を発信しています。
<企画提案者の思い>
じっくりゆっくり大切なことを話し合うために
髙橋 淳
社会・援護局 障害保健福祉部 施設管理室
現代は"VUCA※"と呼ばれ、「正解のない時代」といわれます。「常識」や「正解」が通用しなくなり、忙しく変化を求められています。その流れのなかで、厚生労働省でも変化や改革を迫られ、さまざまな業務に追われています。変化の求めに抗うように、業務量は増え、大切なことを話し合う時間もないまま、疲弊しているように思うのです。
そんな状況のなか、少し手を止め、余白をつくって、「問い」について皆で話し合ってみることが必要なのではと考えました。そこで「哲学対話」という手法を用いて、永井玲衣さんがつくりだす雰囲気のなかで、役割や人間関係から離れ、お互いの言葉をじっくり聞き合うことで、「こういう時間って大事だよね」と実感してもらえたらという思いで提案しました。
※Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の4つの単語の頭文字をとった言葉で、目まぐるしく変転する予測困難な状況を意味する
<講演>「哲学対話」って何?
永井玲衣さんは、全国各地で大人からこどもまでさまざまな世代の人たちと「哲学対話」を行っています。哲学対話とは何か、厚生労働省職員との実践の様子を交えて解説します。
永井玲衣さん
ながい・れい/1991年、東京都生まれ。哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。
哲学エッセイの連載なども手がける。著書に『水中の哲学者たち』
●日常のなかの「何で?」に立ち止まって考える営み
「哲学」はイメージとして、すごく硬そうで、つまらなそうで、でもカッコイイ響きもある――みたいなもののように思われていますが、私は哲学は高度な体系化された学問でありながらも、同時に「なぜだろう?」「それって?」というもやもやに立ち止まって考える営みだと捉えています。つまり、私たちは実はもう、日常のなかで哲学をしているのです。
「大人になってから、忙しすぎて考える機会がない」とか「こどものときはいろいろ不思議だったけど、大人になった今はあんまり不思議に思うこともなくなったな」というつぶやきをよく聞きますが、本当は日常のなかで誰もが「何でこんなことしないといけないの?」とか「何で毎日ここに来なきゃいけないんだろう?」などと思っているはずです。
哲学は「問いを立てる」あるいは「根本的に考える」「立ち止まる」ということだと思っています。どんな人でも絶対に「何か」考えています。何かを不思議に思っていたり、問いを持っているけれども、それを見ないふりをしてきたり、そんなふうにしているだけなんです。
そこで、私は一つの問いを立てます。「私たちには考えていることがある。しかし、それを表現する場が果たしてこの社会にあるのだろうか」と。
この問いから、私たちが日常のなかで既にしている哲学を捉えていこうという試みが「哲学対話」へと拓かれていきました。
●「きく」に重きを置き安心して話せる場をつくる
何かを考えているけれども、それを安心して言える場所がない、表現できる場所がない、というのが今の社会なのかもしれません。そのため、この哲学対話では「対話をする」ということにこだわっています。
ここで私が皆さんと試みるのは、先に述べた「哲学をする」ことと、「対話をする」ことの二点です。
対話とは、おそらく「互いにききあう」ことなのではないかと捉えています。「話す」という字が入っているので、「良いことを話さなきゃ」とか「たくさん話さなきゃ」「せっかく来ているのだから何か発言しなきゃ」などと思ってしまいがちですが、対話とは実は「ききあう」っていうのが本質です。そのため、哲学対話の場では、「何か言わなきゃ」とか「いいことを言わなきゃ」と思う必要はまったくありません。「きく」ということを共に試みてほしいのです。
ここに鳥のぬいぐるみがあります。これは「よくきく」ということを、そして「ゆっくりする」ということをご一緒するために、哲学対話の場にいつも連れています。私たちは普段とても忙しいので、「簡潔に述べます。伝えたいことは2点あって、これとこれです。以上です」などというふうに話す癖がついていますが、この鳥を持っている間は、その人の時間です。
たとえば、頭のなかで言葉をまとめたり、「そうですね」とうなずいたりしてもいい。周りは否定したりカットインしない。その人の「言葉を待つ」ということにしてください。
この鳥を持っている間は「まだちょっとしゃべりますよ」「今、考えてますよ」という合図なので、ゆっくり持っていても構いません。話し終わったら「以上です」というふうに言っていただければ、「終わったんだな」って思います。
「きく」ということですが、緊張する場であったり、急いでいる場や失敗が許されない場だと、私たちは考えたりきいたりすることが難しい。その点を踏まえて、今日は「ここならば居てもいいかな」と思える場所を、考えながらききながら、一緒につくりたいと思っています。
誰かにも自分にも無理をさせない場づくりが、対話ができる場づくりにつながります。
●人それぞれだから集まって話すことが大切
哲学と対話の二つを試みるためには、三つの守るべき約束があります。一つ目が、よくきくことです。先ほどお伝えしたように、話すことよりもきくことが大事です。
二つ目は、偉い人の言葉は使わないことです。「何々が言うには」とか「本にこう書いてあるんですが」「テレビで言ってたんですけど」はなしです。遠回りしても、へたでも自分の言葉で話してみることにこだわってください。
三つ目は、「人それぞれでしょ」で終わらせないということです。人それぞれは当たり前で、人それぞれから哲学対話はスタートします。人それぞれだから集まって話す、という前提で皆さんと一緒に考えられればと思います。
●哲学の魅力は「問いの前では誰もが対等になれること」
哲学対話は、時間が来たら終わりです。問いで始まって、問いで終わるので、そこから新しい問いがどんどん生まれます。「ああ、もう少しで何かわかりそうな気がする」みたいなときに、ぱっと終わってしまいます。これは、終わらせないために終わるのです。「えぇ……?」となるところで終わり、また日常で哲学が始まってほしいから。あるいは、「もっと対話したい」と思っていただきたいので、唐突に終わります。
私は、実はずっとうまく話せませんでした。だからこそ、言い訳として「哲学」を使っています。議論しようとなると身構えてしまうけれど、答えがない問いで、言葉がぐるぐる回りながら進むことが許されるのが哲学対話の場だと思っています。哲学の問いの前では誰もが対等になれるのが魅力です。いわゆる「正解」があるわけではないからです。
「哲学対話をやってみませんか」というのを言い訳にして、ぜひ皆さんの日常の場でも哲学をしてみてください。
<参加者の言葉>
この勉強会のお知らせで初めて哲学対話を知りました。自分で調べたり、本を読んだりしてみましたが、実際何をするのかよくわからず不安でした。しかし、皆さんが「何か」話し出して、とりあえず話が続いて、その言葉の端々に何か面白いキーワードが入ってきて、自分のなかでつながっていって……「あぁ、そういうことか」という感覚が得られておもしろかったです。
哲学対話のような試みを、自分の職場のなかでもやってみたいと考えていました。何か参考になるものがあればと思い参加したのですが、こういう取りとめのない会話を、1分でもいいからやれないかと改めて思いました。そうすれば、何か変わるんじゃないかという気がしています。
いつも忙しくしていて、ゆっくりみんなで一つのことを考える機会がないので、正解を出そうとせず、また、答えを早く見つけようともしない空間がとても不思議でした。今は「いかに有効に時間を使うか」というところに目を向けがちな時代(社会)なので、こうしてゆっくり、ゆっくり、自分の思考を整理する貴重な体験を、参加者の皆さんと共有できてよかったです。
<企画委員から>
出典 : 広報誌『厚生労働』2023年12月号 発行・発売: (株)日本医療企画(外部サイト) 編集協力 : 厚生労働省 |