こんにちは、神出鬼没のマツサンです
歴史が好きなわたしは、お城を巡っています
今回は岐阜県恵那市明智町へ訪れました
内容の薄い「麒麟がくる」大河館へ行きましたが足早に去り
裏山にある明知城へ向かいます
明知城
明知城、別名を白鷹城と言います
元々は岩村城の城主だった遠山景朝の子である遠山景重の居城として築城されました
すぐ近くには女城主で有名な岩村城があります
明知城は明智光秀の生誕の地と言われていますが実は岐阜県可児市にある明智長山城も生誕の地と伝わっているのです
現在もどちらが生誕の地なのか、ハッキリしていません
こちらは明知遠山氏、明智長山城は土岐明智氏です
明智光秀は「土岐氏系統」と言われていますので可児市が生誕の地なのが有力でしょうか
大河館の裏へ回ると「明知城」への案内板が出ています
案内板がなければ、ただのハイキングです
案内板がなければ、ただの登山です
案内板がなければ、ただの遭難者です
本丸まで330メートル
山道の330メートルは意外とキツイ
案内板がなければ、わたしは、ただの野生動物です
天神神社
まずは本丸より手前にある、天神神社へ到着
光秀が若かりし頃、学問に精通していたと伝わる場所
これが事実ならば、出生地の可能性も高いですね
中央に「座り牛像」が祀ってあります
学問と牛と言えば、菅原道真と太宰府天満宮が思い浮かびます
しかし、こちらは京都の北野天満宮(祭神は同じ菅原道真)の分祀だそうどす~
竪堀
天神神社を越え本丸を目指します
途中で現れたのが「竪堀」と言われる掘↓
どこが堀かわかりますか?
これが分かれば「城好き中級者」と呼べるでしょう
そもそも、お掘は動物や敵の侵入を防ぐため掘られた溝です
お城の掘と言うと水が張られて池のようなイメージがあるかもしれません
この竪堀は山城特有の掘りでもあります
山の斜面に堀を上から下まで掘ることにより、敵は横移動をしづらくなり、堀沿いに攻めてくることになります
そこへ集中攻撃するわけです
実際に、人間は山道を歩くと、歩きやすい場所を選んで歩いてしまいます
竪堀を分かりやすくするとこれですね↓
ただでさえ斜面でさらに傾斜を歩くのは困難です
戦の時は重い甲冑を着ているので尚更、掘られて歩きやすい部分を攻めたくなったことでしょう
先へ進みます
さりげなく歩いているが両側にある土の壁も人工的に造られた土塁だろうか
今度は別のものが見えてきた
出丸
お城の中で出丸の役割は重要です
本丸からの四角を補う見張りの役や、敵の奇襲を防ぐため、さらには敵を攻撃するための独立した曲輪です
出丸が一躍有名になったのは大河ドラマ「真田丸」です
「真田丸」も大阪城の出丸の事ですね
貯水池
2つの穴が空いていますが、わかりますか?
水源となる井戸がなかったため、城外から水を引き
飲み水にするために、石や砂利通し天然の、ろ過をしたそうです
二の丸
二の丸は本丸の前へ作られる
城主の親族や重臣達が生活する区画
ここで本丸、二の丸、三の丸、出丸を現在の住宅に例えてみます
本丸は家主(世帯主)の部屋、寝室
そして、二の丸は、リビング
三の丸は玄関だとします
先程の出丸はベランダとしましょう
変態がウロついていたらベランダから攻撃するのです
二の丸(リビング)までくれば落城も時間の問題です
虎口(廊下)を通り本丸(家主の部屋)へ向かいます
本丸
本丸ですね
城主が実際に住んでいたとされる曲輪です
当時、天守閣はありませんでした
本丸からの景色です
中央に見えるのは「明智小学校」
もし、明智光秀が明智町出身ならば、同じ景色を見ていた可能性が高いです
最後に
日本のお城、現存天守閣は12ヶ所残っていますが、本丸御殿はわずかに2ヶ所しか残っていません
本丸御殿の方が遥かに貴重なのです
明知城は天守、御殿、石垣すらありませんが、見所は沢山あります
明智町へお越しの際はぜひとも「明知城」へ!