雨を受けての一人作戦会議
翌朝は生憎の雨。それも結構降っている。これは今日の予定は少し考える必要があるだろう。当初の予定は基肄城に立ち寄るというものだったが、昨日訪れたところではかなり長時間の山歩きになりそうであるのに、今日のこの天候では山歩きという状況ではなさそうだ。しかも度重なる強行軍のせいで既に体力が底をついている。それに昨日に鞠智城を見学した印象として、もう古代城郭は良いかなという気がしている。古代城郭は中世城郭と違って、とにかく広い上に遺構もはっきりしない場合が多いので、城見学と言うよりはハイキングか遺跡見学に近くなる。これは私のような素人向きではない。
今日は大分県まで一気に移動することになるが、移動行程で立ち寄るようなところはと考えても、久留米の石橋美術館は笠間日動美術館所蔵のパレット展で、これは日動美術館を含めて既に何度か見ている。熊本まで出向いたとしても、ノルマンディー展と庵野の特撮展なのでこれも見学済み。美術館関係はこの周辺にはネタがない。観光地と言えば有名なのは日田あたりだが、ここも今までの度重なる遠征で何度も訪問しており、今更改めて見学しようというネタはない。
結局は昨日見学をしなかった田中城に向かい、その後は宿まで一気に長距離移動して、後は出たとこ勝負で行こうということになった。
とりあえず今日は急がないし、体に疲れが相当に溜まっているしということで、朝食を食べた後はぬる湯に浸かって、その後は9時頃まで部屋でテレビを見てゴロゴロしてからチェックアウトする(それにしても「ニンニンジャー」って・・・ハットリくんかっちゅうねん!それにあのロボットの異常なダサさには目眩がした。)。
田中城を見学する
雨の中を田中城目指して北上。田中城は山岳地帯の孤立丘陵上にある単郭に近い城郭である。上まで車で登れるが、この道が狭い上にかなり急。もし雨が激しくなってスリップでもしたら危ないなということが頭を過ぎる。
田中城は肥後の国人である和仁氏が本拠にしていた城郭で、1587年に秀吉に国主に命じられた佐々成政に対して起こった肥後国人一揆で徹底抗戦したことで知られる。この一揆は肥後の広範囲に及び、佐々成政は自力で鎮圧することはできず、最終的には秀吉が西国大名に出兵を命じたことで鎮圧されている。和仁氏は十倍の兵に囲まれながら奮戦したが、38日に及ぶ籠城戦の果てについには落城して和仁氏は滅亡している。
どうも一揆という言葉を用いると百姓が筵旗を押し立ててというイメージがあるようだが、国人一揆とはつまり現地の豪族が中央の一方的な意向で送り込まれた国主に反抗して立ち上がったもので、秀吉の全国統一の課程で各地で生じた軋轢である。当時の大名と地方豪族の間には明確な主従関係があったわけではないので、大名が秀吉に下ったところで地方豪族が必ずしもその意向に従うとは限らない。この手の反抗には秀吉は徹底した弾圧を行っており、ここでも和仁氏は攻め滅ぼされている。
意外に堅固な城郭である
田中城は孤立した険しい丘陵上に存在しているが、その丘陵上は意外に広い。地方豪族の居城としては十二分な防御力を有していると考えられるが、十倍の兵に包囲されてしまうと完全に孤立してしまい逃げ場がなく、剛勇を誇ったと言われる和仁氏でも援軍がなければ落城は時間の問題である。和仁氏としては各地で反秀吉の反乱が起こることだけが望みであろうし、だからこそ秀吉もそれを恐れたから徹底して殲滅を行ったのだろう。
かつての激戦の地も、今は国の史跡として整備されて遺跡公園となっている。本丸跡には建物跡なども残っている。本丸周囲はさらに曲輪が取り囲んでいて、全体でそれなりのスペースがある。
西の下方には独立した出城のようなものがある。ただここは本丸とは空堀で完全に分離されているので、合戦時には玉砕する可能性がかなり高い部分になる。だから「捨て曲輪」なんだろうか。
ところでこの城では和仁氏が壮絶な討ち死にを遂げているのだから、岸岳城などよりも歴史的にはかなり明確な怨念がありそうだ。オカルトマニアなどなら心霊スポットにしても良いようなものだが、これだけ綺麗に明るく整備されていたら彼らの出る幕はないらしい。そう言えば淀殿や秀頼などの怨念がいかにもありそうな大阪城も心霊スポット認定されたという話は聞いたことがない。歴史的に根拠皆無の馬鹿げた話を流す輩にはどうも感心しない。
渋滞をくぐり抜けて龍門の滝へ
田中城の見学を終えた後は今日の宿泊先に向かう。今日の宿泊先は大分の龍門の滝の近くにある旅館・龍門滝乃湯。しかし九州自動車道に乗ってまもなく渋滞に引っかかってトロトロ運転になってしまう。
結局渋滞を抜けたの久留米を過ぎてからだった。とりあえず早めに宿の近くまで移動してしまおうと考えたのはこの事態があることが予想できたため。とにかくGWの期間は突発的に渋滞が発生することがあるから要注意だ。
鳥栖で大分自動車道に乗り換えてからは渋滞もなく順調な走行になる。しかし昼食を摂ろうと山田SAに入ったと思ったら、そこが大渋滞。しかも中の食堂も券売機の前で大渋滞。本当にどこで渋滞が発生するやら分かったものでない。
それでも龍門の滝には1時には到着する。とりあえずは滝見学。ここは滝滑りで有名なところで、夏場はキャンプなどに来たついで滝を滑る観光客なんかが多いようだが、今日はさすがにまだ水泳シーズンではないし、何よりも天気が良くないしということで滝滑りをしている者はいない。ちなみに滝壺には飛び込み禁止になっているが、それにも関わらずここに飛び込む者もいて、つい最近にもここに飛び込んだきり浮かんでこなかった者がいたという。とにかく遊ぶのはよいがあくまで自己責任である。
さて旅館のチェックイン時刻まで2時間ある。ここにいても仕方ないのでとりあえず玖珠の市街まで引き返し、道の駅で情報を集めて戦略を練る。玖珠の観光地と言えばまずは角牟礼城とその城下町。しかしこれは既に訪問済み。その次の観光地と言えば伐株山だがこれも訪問済み。もうネタはないのかとガイドに聞いたところ、まず近くにある国鉄時代の転車場跡と東にある慈恩の滝及びその上流の名水(その近くで名水を使用した豆腐も販売されているという)を勧められる。
玖珠観光巡り1.転車場跡
まずは転車場跡へ。うーん、これは鉄道遺産というべきか、廃墟というべきか・・・。鉄オタではない私としてはどうすれば良いのか・・・。せめてSLの一台でも展示してあれば良いのだが。
玖珠観光巡り2.慈恩の滝
次は慈恩の滝まで車を走らせる。慈恩の滝は国道のすぐ脇にあり、観光客もそれなりに来ている。特別に巨大な滝でもないが、そこそこの規模で何より水量が多い。なおガンオタはこの滝に来ると「ジーク、ジオン!」と叫ぶんだろうか? 「坊やだからさ・・・」
この滝は裏側に回れるようになっている。案内によると時計回りに回ると縁起が良いらしいのでそれに従うことにする。これで私にも素晴らしい出会いが・・・あれば良いんだが。
玖珠観光巡り3.名水豆腐
慈恩の滝の見学の後は、さらに山道を走行して上流に向かう。この道路、最初の部分がかなり道幅の狭い急な坂だったのでどんな道かと警戒したが、すぐにそれなりの普通の道になる(と言っても曲がりくねった山道だが)。なおこの道路沿いの川にいくつかの滝があるらしいが、かなり降りていく必要がありそうな上にそれほど大きな滝でもなさそうなのですべてパスする。山道を走行すること10分程度で名水100選に選ばれたという下園妙見様湧水に到着する。口にしたところ冷たくてサッパリした日本らしい軟水。なかなかにうまい水なのでお茶のペットボトルに入れて持ち帰る。
この湧水からさらに少し歩くと、名水を使用した豆腐を販売している。冷や奴でいただけるそうなので一つ頂く。豆の味のする昔ながらの懐かしいうまい豆腐。ここはおからも売っていたが、多分こういう豆腐を作ったおからならうまいだろう。最近はこういう豆腐が全くなくなった。凝固剤の技術が進んで同じ豆の量から作れる豆腐の数が飛躍的に増えたと言われているが、それはつまりは今の豆腐はそれだけ薄いということである。実際にスーパーなどで販売されている豆腐は全く豆の味がしない。
龍門の滝の近くの温泉旅館で宿泊
豆腐を食べ終わった頃にそろそろ3時前。今晩の宿に向かうことにする。旅館に到着したのは3時半頃。農家風の建物である。部屋に入るとまずは着替えて温泉へ。
温泉は大勢の日帰り入浴客でごった返していた。泉質は弱アルカリ泉とのことでややヌルヌル感がある。湯温はやや高めであるが、私には比較的合っている温度。
入浴を済ませてから部屋に戻ると、そのまま布団を広げてしばしそこでダウンしてしまう。この辺りで疲れが出るだろうことはある程度は想定内で、だからこそ今日は予定をほとんど空けていたのだが、それにしてもかなりキツい。
結局は夕食時刻の6時半まで半分寝ているような起きているようなこの調子でグダグダと過ごす。夕食は旅館内の食事どころで焼き肉中心のメニュー。ここの主人が肉に対してかなりのこだわりがあるらしく、用意されたのは上質の和牛。焼き方の講釈付きである。炭火の遠火でゆっくりと時間をかけて焼く和牛は、柔らかくてサッパリしている。これを塩で頂くのもこだわりのようだ。
なるほど、和牛というのはそこらの輸入牛とは根本的に異なることはよく分かった。結局1時間以上かけてゆったりと夕食を終えると、もう一度入浴。今度は完全に貸し切り状態である。後は部屋に戻ってゆったりと過ごすと早めに就寝する。
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