灯台 - 高等遊民前夜

高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

灯台

 日曜日。朝、テレビの横に立派なグラキリスの焼物があってびっくりした。昨日、もしかしたらもっと前からあったのかもしれない。

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 夫は何か大きいものを買うと部屋にこっそり置き、私がそれに気づくまでを楽しんでいる節がある。最近はこういった焼物も植物界隈では人気がある。焼物の樹はとてもよく出来ていて、下手すると本物の樹より高いこともあるんじゃないだろうか。それにしても、本物の植物を育てることを目指した結果、イミテーションにも惹かれるのはとても不思議だ。

 今日は家事を死ぬほどやる日。ここ最近は気力体力が底をついているせいで万事が滞っている。せめて生活だけでも健康な水準まで戻さねばならない。夫は一日仕事で不在。この好機を流すわけにはいかない。

 家中を掃除しながらNetflix星野源とオードリー若林の「LIGHTHOUSE」を観ていた。タイトルは灯台という意味だが、この由来についてプロデューサーの佐久間さんによると「悩める人々の明かりを照らす灯台でありながら、自分たちの足元は暗そう」らしくめちゃ笑った。その通りだ。というか、佐久間さん企画だったんだな。

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(↑これ) 

 星野源に関しては長いことファンをやっているのだけど、エッセイがとにかく面白い。若林のエッセイも好きで読むのだけど、二人ともの怒りとか嫉妬とか、そういった醜い感情を変に誤魔化さず、醜い感情のまま表明してくれるのが似ているなと思っている。世間はどんどん生きづらくなっていて、綺麗事ばかりになりがちだけどそういう醜さを持っていていいんだと肯定してもらえた気持ちになるのだ。さらに二人は醜い感情を醜いままに語るけれど、聞くに耐えない愚痴にするんじゃなくてちゃんと笑い話にできるバランス感覚がすごい。それでたまにはめちゃくちゃ真面目な話もするという緩急までついている。

 今回の番組もそういう二人のよく似たところが全面に出ていて楽しく観た。二人とも、長い下積みの後に一気に売れて、それぞれの分野でやりたいことをやり尽くして、それに応じてメディアの露出やファッションも変わっていった、とても境遇の似た人物だ。そのなかで新たに増えたファンや離れていくファンもいて、そのことを二人が話していたのはなかなか感慨深い…感慨深いというのも変だけど、なんだかグッと来るものがあった。自分も、どんどん変わっていくことにどこまでついていけるか不安に駆られるところもあったからだ。

 誰かを応援すると応援されている側も元気や活力を貰えるんだけど、あまりに全身全霊を注ぎすぎると「〇〇を好きな自分」がアイデンティティになってしまってバランスが難しい。今ではある程度冷静に慣れているけれど、もっと若い頃はその事に苦しんだことも結果あった。私のそういう対象の多くはミュージシャンだったのだけれど、作風や売り出し方が変わり、素直に良いと思えない自分に気づくとき、自分のアイデンティティが崩壊しそうになるのだ。「〇〇を好きな自分」なら良いと思あるはずなのに、と一人で勝手に苦しくなっていた。愚かだったと思う。でもその愚かさこそが若さだったとも思う。そのことに、あれだけの二人が切り込んでくれて少し嬉しかった。

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 星野源の若林のおかげで掃除は捗った。ラジオみたいに聴き流しながらチラ見できる良い番組だなあと思う。そういう気軽な番組もっと増えてほしい。目を離せない番組も楽しいけれど、そればかりでは疲れてしまう。