デジタル世代のうちの子供たちは
病院の待ち時間や車や電車での移動中などでも
すぐ
なんらかの端末を要求してきて
自力では少しの暇も潰せない。
確かにYouTubeも楽しいし、
私もゲームは大好きだ。
だからそれが悪いとは思わないし
どっちがいいとか、どっちが偉いとかではないけれど
暇を潰すスキルを磨く余地のない今は
なんだかもったいないような気もしてしまう。
懐古趣味のオバサンみたいなこと言ってゴメン。
だって私はそんな時間が大好きだった。
後部座席で流れる車窓の風景を眺めながら、
待合室で行き交う人を目で追いながら、
何時間でも空想の世界に浸ることができた。
地味な和顔の私だが
空想の中ではどんな遺伝子のいたずらか
目の覚めるような美女になって
ドラマチックな恋をすることもできたし
超人的なスーパーパワーが目覚めて
仲間と一緒に世界を救ったりもした・・。
やたらとかめはめ波的なものを放って
世界も何十回となく救った。
今日もこうして地球が回っているのは私のおかげだ。
感謝してほしい。
一番のお気に入りは歌姫になる空想。
偶然その歌声をとらえたカセットテープが世に出回り、
それを聞いたレコード会社のお偉いさんが
どんな手を使ってもこの少女を探しだせ!
と部下に命じたり、
あまりの歌声の美しさに
戦争を歌でストップさせちゃったり
野生動物が集まってきちゃったり
植物を成長させちゃったりもする・・
漫画の見過ぎ。ぼく地球。
もちろん、武道館もいっぱいにするし、
ドームツアーも敢行するし、
全米だって泣かす。
キャー、なんて素敵。
実際私は音痴で歌は全然ダメなんだけど
高らかに美しい歌声を響かせることができたら
どんなに気持ちがいいだろうって
いつも憧れてた。
妄想のパターンは色々あったけれど
そのほとんどが
「今はなんの取り柄もない平凡な女の子だが
実は特別な才能(や美貌)があって、
何かドラマチックなきっかけによって
その才能が開花したり、見出されたりしちゃう」・・というものだったので
結局は現状の自分が好きではないというコンプレックスと、
・・という願望の
裏返しだったような気もする。
気がつけば最近はめっきりこんな妄想をしなくなっていた。
忙しくてぼうっとする時間がないから、というのもあるし
単純に大人になったから、ということもある。
でも何より私が昔より今の生活と自分自身に満足しているからなんだと思う。
最近は隙間時間を有効に使う方法を求めてビジネス書を読んだり
いかに時間を上手に使ってインプット、アウトプットの時間を増やすかということに注力してみたり
私自身なんとなく
「ボーッとすること」
「無為に時間を過ごすこと」は
悪だと考えていたような気がする。
でも暇な時間が内的世界の充実に寄与するのであれば・・・
私は子どもたちをもっと自由にほったらかしてやらないといけなかったのかもしれない。
このスキルは習得済みのようだが・・
やっぱり妄想力や空想力は苦しい時の心の救済手段として必要なスキルだと思うのだ。
だから休校中いかに子どもたちを暇にさせないか、
ポッカリと空いてしまったこの時間を意味のある時間にするか、と
必死になっていた私の努力はちょっと違っていたのかもしれない。
最近そんなことをよく考えている。
だから
こんなのも
こんなのも・・
こんなのだってちょっと放っておくべきなのかもしれない。
だってそれは内的世界を深める大切な空白の時間。
暇で無為な時間と向き合うことで・・
想像力が・・・
・・・・・。
ダラダラするなーっ!こらーっ!
しゅくだーいしなさーいっ!!
今日も今日とて怒鳴り散らしてしまう私。
うまくいかないなぁ。
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