キタガワのブログ

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島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼・執筆実績はこちらからお願い致します。https://www.foriio.com/kitagawanoblog

【ライブレポート】ずっと真夜中でいいのに。『やきやきヤンキーツアー2 〜スナネコ建設の磨き仕上げ〜』@米子コンベンションセンターBiGSHiP

ずとまよ、遂に山陰へ上陸す……。今や音楽チャートの中心を担うずっと真夜中でいいのに。が次に選んだアクションは、過去最大となるホールツアー!都市部はもちろんのこと、これまで訪れていなかった地方都市含めた新たな場所を居住地とすべく動き始めた今回のライブが意味するところは、ずとまよ印の音楽畑を更に広げることが前提にあると見て良いだろう。

2020年は『やきやきヤンキーツアー』、2021年は『果羅火羅武ツアー』……。そして今回のツアータイトルは『やきやきヤンキーツアー2 〜スナネコ建設の磨き仕上げ〜』と題され、これまで荒ぶってきたヤンキーたちが定職に就き、建設現場で汗を流す未来の話をイメージして作られたものとなった。もちろんチケットは全公演が即完。当日は地元民のみならず、他県からも多くのファンが大集合。ガチャガチャを大量購入する人、全身を最新のずとまよグッズであしらった人(タイトルの通りグッズもヤンキーチックなものが多いので、端から見ると不良に見えるのが笑える)で早くも賑わいを見せる会場である。

会場に入るとどこからともなくトンカントンカンと謎の異音が鳴り響いていて、同じく会場に足を踏み入れた人はステージに目を向けて「何だあれ!?」と声を上げている。ふとステージに目を向けるとびっくり仰天、そこにあったのはまさしく建築現場。子供横断注意の黄色い立て札、片側交互通行の際によく見るヘルメットを被って旗を振る人の電光板……。更に上部には『㈱スナネコ建設』と書かれた看板とクレーン車までが鎮座し、何やら背後には円盤状の装置が据えられている。楽器類が置いてあるので辛うじてライブ会場だと分かるが、これまで多くのライブを観てきたつもりの僕でさえ「マジで何これ……?」と言ってしまうほどのカオス感。ただこの過剰なまでの舞台演出もまた、ずとまよのライブの恒例でもあるのだ。

興奮に包まれる我々をよそに、17時30分になると定時の合図のおぼしき建設現場のメロディーが流れ、作業が中断。従業員が次第に帰っていくと同時に、少しずつ暗転していく会場である。「一体どんな感じで登場するんだ?」と思っていたところ、どこからともなく鳴り響いたのはバイクのエンジン音。しばらくするとステージ袖からビカビカの暴走族バイクと共にバンドメンバーが登場し、メンチを切りながら各々の配置についていく。よく見るとバンドメンバー全員が髪をガッチガチに固めていて、顔にはアイシャドウ、服装は『永遠深夜』『研磨上等』などと書かれたレザーで不良チック。驚くべきはバンドメンバーの数であり、ギター・ベース・ドラムの他、パーカッション・キーボード・トロンボーン・トランペット、そしてお馴染みとなったOpen Reel Ensembleのオープンリール隊2名の、なんと総勢9人もの大所帯!そのあまりの密集ぶりに、最後に登場したACAね(Vo.G.Vibraphone.扇風琴)の存在が見えなくなってしまう程。

気になるライブの幕開けは、なんと既存曲のメドレー!重鎮バンドのファンサービスとして時たま行われることのあるこの試みだが、まだまだずとまよは若手筆頭株。更には『冒頭からメドレーをする』との極めて挑戦的な姿勢は、あまりに虚を突かれた代物でもあった。まずは気怠げな“JK BOMBER”で徐々に雰囲気を作っていくと、“こんなこと騒動”では管楽器の演奏が耳をくすぐる。かと思えば“ヒューマノイド”では大量のレーザービームが放射されまくる攻撃力抜群の演出が、“はゔぁ”では歪みエフェクターによる激烈ギター……。この至福の空間は実際の時間にして十数分だったと思うが、あまりの密度の濃さに既に興奮は最高潮に。フロアには早くも多くのサイリウムの海が広がっていた。

最新EP『虚仮の一念海馬に託す』が最もサウンドの振り幅を効かせた作品であること、冒頭からメドレーという衝撃的な展開を見せたこと、また「ライブで研磨を続けていきたいと思っています」という後半のACAねによるMCからも分かる通り、今回のツアーはずとまよがこれまで積み上げてきたライブの在り方を、よりブラッシュアップさせて見せる試みが取られていた印象が強い。ゆえにセットリストに関しても、これまでライブの定番となっていた“脳裏上のクラッカー”や“正しくなれない”といった楽曲が遂にセトリから外れたり、既存曲も新たなアレンジが加えられていたりと、これまで以上に予測不可能な代物となった。

中でも驚くべきは、その演出の豪華さ。元々ずとまよのライブはACAねの脳内にあるイメージを具現化するべく、ハチャメチャに金をかけたセットで知られる。今回も同じくその演出効果に驚かされることとなったのだが、大きな注目部は『背後の円盤』と『電光板』の2点。まず前者はクルクルと換気扇チックな円を常に描いているのだが、その色が千変万化する仕様で目にも楽しく、中央部は『JUMP!』や『勉』『愛愛』といった歌詞の一節を担ったりも。また後者については、基本的には親が子供の手を引いたイラスト(イメージは以下)が映し出されているのだが、サビになると歌詞をそのまま投影したり、このふたりの映像が片手にサイリウムを持った姿に変化したりと面白い。ちなみに楽曲の演奏時には、必ず演奏曲のタイトルが映し出されるようになっていたのも◯。総じて、ずとまよのライブに初めて来た人でも大いに楽しめる工夫が凝らされていた。なおこれまで通り素顔を明かさない特性上、ACAねの顔には特殊なブラックライトが常に当てられており、その表情は終始全く見えることはない。またバンドメンバーは今回のツアーを象徴してか、全員が髪を逆立てて特攻服を着ていて、コンセプト通りの流れだ。

メドレーが終わると、ここで一旦のブレイク。初めて口を開いたACAねはいつも通りのウィスパーボイスで「ここは高さ70メートル。われわれ株式会社スナネコ建設は、日夜高所作業を頑張っています。今はわれわれが作ったこの装置の、試運転中です……」とボソリと説明。その裏ではOpen Reel Ensembleのメンバーが火花を散らしながら円盤を調整している。ただACAねはその仕事ぶりには満足していないらしく、メンバーの吉田匡に「まっさん、そこちゃんと磨いといて」と檄を飛ばす場面も。その発言に対して全員が「ヘイっ!」と返事することから見ても、ACAねがこの会社のリーダー株であることは間違いないようだ。当の本人のACAねはと言うと、「コロナ禍で荒ぶっていたやきやきヤンキーたちは数年を経て、定職に就きました……。アタイはトップのACAねだよ。よろしくな」と自己紹介。今日はあくまでもこのキャラクターで行くようだが、その口調はかなりの棒読みで、タメ語と敬語が混在していたり、話しながらフフっと笑ってしまったりと、無理している感も垣間見えるのが面白い。

ここまでメドレーが続いてきたが、続く“馴れ合いサーブ”からまたひとつ熱量は上がり、更なる興奮へと導かれていく。人と人との複雑なコミュニケーションを卓球に例え、にわかにACAの怒りをも感じさせるこの楽曲。電光板にはヘルメットを被った作業員がブンブンと旗を振る映像が投映され、ファンもそれに合わせてサイリウムやずとまよしゃもじ(グッズ売り場で販売中)を振り回していく最高の空間だ。気付けば背後の円盤もカオスな色合いで発色し、その勢いの凄まじさから火花も散っている。そんなカオス極まりない中でACAねはサビのラストで「歌って!」と煽り、円盤の中心に浮かんだ『愛愛』を叫ぶ我々である。……かと思えば、なんと後半では横浜銀蝿の”ぶっちぎりRock‘n Roll“や“ツッパリHigh School Rock‘n Roll”を彷彿とさせる古風なギターサウンドが鳴り響き、背後の円盤の中心にはツイストを踊るヤンキーの姿がモノクロで投影!横浜銀蝿がそもそもヤンキーイメージの代表格バンドではあるが、今回のコンセプトがなければずとまよとの親和性はほぼゼロだった訳で……。このポップとコテコテロックの対比に爆笑してしまったのは、僕だけではないだろう。

「ヤンキー……凄いなって思います。自分のやりたいことを、一瞬で考えて一生懸命にやっていて。私はそんな考え方が、けっこう好きで」と、何度も『ヤンキー』という言葉をツアータイトルに用いてきた意味をゆっくり話してくれたACAね。ここからはまさしくヤンキーの猪突猛進的なサウンドが耳をくすぐる、ロックチューンの連続だ。まずは『爆裂注意』との危険信号が映し出された”残機“では、ACAねが1メートル半はあろうかという長いライトセーバーを暗闇の中で振り回し、《試したいわ》《絶体絶命な》といった歌詞の数々がモニターに映し出され、大合唱を作り出していく。

かと思えばずとまよの名前を広く知らしめた契機となった”秒針を噛む“では、サビ部分の《このまま奪って隠して忘れたい》のフレーズを全員の手拍子で歌う試みで大いに沸かせてくれた。これはコロナ禍で声が出せなかった際にライブで行われた手法の再現でもあるが、ACAねは当時の記憶を辿るかのように「左から右に」「右から左」とウェーブの手拍子を変則的に手動していて楽しそう。その後半には待ちに待った大合唱パートも用意されており、モニターに「歌う(Sing a Song!)」の文字とマイクが映し出されての大合唱。思わず涙腺が緩む気持ちにもなったが、当の本人は「じゃあ次は変な声で」「もっと変な声出せると思います」とツンデレモード。このアドリブ加減もまた、ずとまよのライブの魅力である。

アドリブと言えば、この日行われた一風変わったコーナーにも触れておきたい。着席指示が出たフロアをよそに、ステージに立ったACAねの元にスタッフが渡したのは巨大なサイバー銃。ふと見ると背後には左から青・黄・赤の風船が吊り下げられており、その真下に紐が伸びて標的が3つ置かれている。ここでACAねが「銃を撃って、割れた風船の中に次の曲が書いてあります。その曲をテーマに沿っていろいろ変えながらやっていきます……。どの曲になるか、どんな感じでやるかはバンドメンバーも知りません。お楽しみに」と今回の趣旨を説明、我々もそうだが、何よりバンドメンバーが「何やるの……?」と固唾をのんで見守っているのが新鮮だ。

結果選ばれたのは、黄色の風船。風船からタラリと垂れた幕に書かれていたのは、ずとまよ初期のバラード曲”Dear. Mr「F」”!普段ライブではほぼ演奏されないレア曲の出現に、にわかに盛り上がりを見せる会場である。残すはACAねが宣言していた『どんな感じでやるか』という部分だけだが、ビブラフォンの前に陣取ったACAねは含み笑いをしつつ「水木しげる(ゲゲゲの鬼太郎で知られる)さんの出身地の鳥取なので……。テーマは妖怪にします」と一言。ここだけ見ればまだイメージ出来るところだが、ここからがACAねによる無茶振りの時間。なぜならACAねはここからオープンリールの吉田悠・吉田匡のふたりに対し、鬼のようなアドリブを指示したのだから。以下、雰囲気的に抜粋。

「悠さんは目玉のおやじです。まっさんは息子なんだけど、最近は仕事もせずに引きこもりで……。目玉のおやじは本当は、息子に稼業を継いでもらいたい気持ちがある。でも息子はずっと断っていて、ひとりで生きていきたいと思っています。そこで目玉のおやじは『いつまでもそんなことしてちゃダメだ!』って言うんです。息子に。でも、……うーん、ちょっとそこからの流れは考えてみてほしいです。とにかくまあ、そんな感じで。……あっ、始まりは目玉のおやじの『おい、鬼太郎ー!』から始めます。あと最初はゆっくり妖怪っぽい感じで、後半に盛り上がる感じにしたいです。……質問のある人は?」

そう。何が面白かったのかと言えば、ここでACAねが語った台本があまりにも抽象的だったのである。すかさずまっさんが手を挙げ「えっと?俺が親に反抗してて、引きこもってて……?」と台本への疑問を投げかけていくも、ACAねは「うん……?うん。そんな感じで、あとは適当によろしくお願いします……」と完全にチョイスを委ねてしまう。楽曲全体をアドリブで決めているため難易度が激ムズなのは想像に難くないのだが、特にこのシナリオの主人公たるふたりはメチャクチャに焦っており(当たり前)、最終的にはワケの分からないまま本番へ。座って観ている我々も本当にイメージがつかないので、まるでお笑いの劇場に来ているようなワクワク感がある。

そうして始まった“Dear. Mr「F」”は盛り上がらないはずはなく……。ふたりが演劇(鬼太郎と目玉おやじがステージ上で大喧嘩)を全力で行う反面、背後のACAねは丁寧に歌い、それを聴く我々は笑いを噛み殺しながら歌に集中するという謎の三すくみ状態がとにかく面白い。また先述の『妖怪っぽい感じ』には“ゲゲゲの鬼太郎のテーマ”の冒頭部分を取り入れたり、ヒュードロドロといった効果音を鳴らしたりとそのアドリブ力にも圧倒された次第だ。そしてACAねのご要望通り、後半には楽器隊が全員で熱量高い即興セッションを取り入れることで盛り上がりを見せ、ずとまよ屈指のバラード曲がロックテイストに変化する一面も見せてくれた。一方でオープンリールのふたりは全力で動き回ったあまりハァハァ息を切らしていたのだけれど、本当に良くやってくれたなと……。

着席型になり、一旦ブレイクした会場。そもそも着席になること自体がレアなずとまよライブだが、紫の照明がバッと点いた瞬間、再び勢いを取り戻すのは信頼感の証。第二部の幕開けを飾ったのは今夏のフジロックにて新曲として披露された“海馬成長痛”で、オープンリールのビョンビョンと鳴るサウンドと、TV♡CHANYが制作したキャラクターたちがダンスを繰り広げる映像で一気にライブ色へ。またライブ定番の“彷徨い酔い温度”では、なんとBPMを曲中に変化させる新たな試みが。時に1.5倍速、時に0.5倍速とACAねがサイリウムを振るタイミングに合わせてどんどん曲の印象が変わっていく様は圧巻で、ラストの《ララララン》の大合唱さえもコントロールする作りには脱帽だ。同じくライブ定番の“お勉強しといてよ”に関しても、モニターに《焼き焼きだ》と《ヤンキーヤンキーだ》と今回のツアーを象徴する歌詞が並び、その都度演奏をピタリと止めて合唱を促すずとまよバンドである。

ハイライトは、誰もが待ち望んでいたであろうあの新曲。「やりたいことをやれなかったり、なかなか動けずに何日も経ったり。そんな瞬間がよくあります。でもそんな怠惰な時間っていうのは、実は生きていく上で大事なんじゃないかと思っていて……」と語ったACAねは「鼓舞ソングです……!」と締め括ってこの楽曲に遷移。曲はもちろん、現在絶賛放送中のTVアニメ『ダンダダン』主題歌にもなっている“TAIDADA”だ。矢継ぎ早に繰り出されるリリック、密度の濃いサウンドに翻弄されつつ聴こえてくるのは、辛い中でも前を向こうとする日陰者の思いだ。《全身演じきってよ全開でその程度?》というフレーズ含め、怠惰な自分を鼓舞するように楽曲はとてつもない速さで駆け抜けていく。MVでも同様のシーンがあったけれども、サビでは全員が早くも《せい》部分で腕を挙げたりジャンプをする連帯感もあり、いつの間にかステージ袖からは着ぐるみ型のうにぐりくん(ずとまよ公式キャラクター)も登場!もはや何が行われているかも分からないカオスな状況で、楽しみを分かち合っていく。

いつしかライブはクライマックスへと突入。もはや恒例となったサビ部分のジャンプが、モニターの『3 2 1 JUMP↑』の案内と共に興奮を高めた”あいつら全員同窓会“、アッパーなサウンドが鼓膜を揺らした“勘冴えて悔しいわ”。そして多くのファンが「どの曲を最後に持ってくるんだ……?」とワクワクしていた中で最後に選ばれた楽曲は、ライブアンセムたる“ミラーチューン”!ACAねが「みらみらミラーチュン?」と呟いて始まったこの楽曲、開始時から上部を指差し続ける彼女の動きに注目していた我々である。だが《3 2 1 ミラーチューン》と歌われる開幕と共に、上部にミラーボールが出現!更にはステージにも至る所に小型のそれが設置されており、一気にディスコの雰囲気に浸る会場である。照明もミラーボールも、更には背後の円盤も含めてビッカビカに光りまくる中、まさしく鏡に映せば赤面必至の各々のダンスで楽しむファンの構図が美しい。またモニターには《yey》の文字が頻りに映し出されていて、その表示に合わせてVサインをする人、拳を突き上げる人……。それぞれの楽しみ方で最大限の盛り上がりを体現していて思わずウルッと。一方で演奏が終わると万感の拍手に迎えられた彼らは「ありがとうございました。ずっと真夜中でいいのに。でした……」と呟くのみに留まり、そそくさと退散するその対比も最高だった。

“ミラーチューン”が終わると、すぐさまアンコールを求める音が鳴り響く会場。ただ他のライブと違うのは、ファンが鳴らすのが手拍子ではなく大半がしゃもじであるため、その音が爆音なこと。バシバシと叩かれる音に陶酔していると、オープニング同様またもバイクに乗った形でずとまよメンバーが再度呼び込まれる。着席状態にあるファンを眺めつつ、一方のACAねは「家にいると、いろんなことを考えます。良くないことも……。でもライブをやるたびに楽しくて、ライブに来てくれる人たちのお陰で生きてるなあって、本当に思います。いつもありがとうございます……」とこの日一番のストレートさで心境を語る。インタビューもほぼなく、楽曲内ではミステリアスな表現に終始するACAねの言葉がこうして直接届くのも、やはりライブならではだ。

以降は含みのある柔らかな楽曲“虚仮にしてくれ”をファン全員が着席した状態で鳴らしつつ、対照的に「行けんの!?目ぇ覚めてんの!?」と無理矢理ヤンキー風にファンを立ち上がらせた“嘘じゃない”を続けて披露し、アンコールの緩急を完璧に支配したACAね。突然リコーダーの演奏が鳴り響くと、次なる楽曲はライブアンセムのひとつである“正義”。ちなみに毎公演ごとにイントロが自由化することでも知られるこの曲。米子公演ではリコーダーのイントロはGRe4N BOYZの“キセキ”になり、ACAねは歌詞を思い出しつつ《2人寄り添って歩いて/永久の愛を形にして》と熱唱。《アリガトウや ah/愛してるじゃ まだ》の『ah』と『まだ』部分ではファンにマイクを向けてレスポンスさせる一幕もあり、心底楽しそうなACAねである。

そうして鳴らされた“正義”は、言わばずとまよの集大成とも言える盛り上がりを記録。歌詞の複雑さ、サウンドの振り幅……。また知らず知らずに踊ってしまう根本としての楽しさが、この楽曲には全て詰まっていたように思う。様々な演出もこの日一番で、背後の円盤はギュルギュルと高速回転しているし、照明はビカビカ。更にモニターには《近づいて遠のいて 探り合ってみたんだ》といったフレーズの数々がまるで「歌ってくれ!」と言わんばかりに発色し、気付けば全員が飛び跳ねる最高の空間に変貌していた。その中心で歌うACAねはラスサビ前に「マブダチだーっ!」と叫んで完全燃焼を図っていて、ふと僕の隣を観ると女性が泣きながら「ワー!」と満面の笑顔で踊り狂っていた。本当に素晴らしい光景だったと思う。

これで終わりかと思いきや、最後に駄目押しするのがこの日のずとまよ。「スナネコ建設のエンディングテーマです。勘ぐれいヤンキーバージョン!」と語ってラストに選ばれた楽曲は“勘ぐれい”で、ソウルフルなベースから後半に向けて演奏が激しくなるニューモードでの披露となった。最終部では色付き傘をさしたACAねが『ボンボボーン』のレスポンスもバッチリ決まり、最終部では色付き傘をさしたACAねが「天上天下、真夜中独尊……」と呟いて上から雪が落ちてくるという、まるで時代劇のような美しさでもって、楽曲は終幕。

そしてこの日のクライマックスは、メンバーが全員ハケた後、ACAねがバイクに乗って去っていくという格好良い演出!……のはずが、ここでまさかのトラブル。バイクのエンジンが全くかからないのだ。何度もエンジンをかけようとするACAね、ただその本体はびくともしない対比にファンが爆笑していると、袖から焦ったスタッフが大集結。最終的にはスタッフ総出でACAねの乗ったバイクを押し、ACAねが「ありがとうございます……。すいません……」と小声で謝りながら、BGMではブオーン!パラリラパラリラ!な爆音が鳴るという、爆笑必至の思わぬラストとなった。

振り替れば、ずとまよはデビュー当初から売れ続けてきたアーティストだ。ことライブだけを見てもデビューアルバム以降チケットがソールドアウトしない公演はないし、昨年のフジロックではトリ前のスロットで多くの音楽好きにもアピール。一方でアーティストにとって膨れ上がる声は、ともすれば大きなプレッシャーになる。「次はどんな凄いライブが観れるんだろう」「ずとまよのライブはやっぱり最高」……。今回のツアーは言わばそんな多くの声に後押しされての、巨大な代物だった。

しかしながら、結論から言えばずとまよは最強だった。新たな音楽性を模索した『虚仮の一念海馬に託す』を筆頭に、これまでの代表曲を惜しみなく投下した今回のライブは間違いなく過去イチを更新!また地方都市のホールツアーとしてここまでのクオリティのライブをする人も、今後一切現れないと思う。凄さを更新し続け、それが天井に達してもそこからまた上へと伸びていく今のずとまよは無敵である。本当に素晴らしいライブだった。記憶を消して、もう一度始めから観たいと思うほどの。

【ずっと真夜中でいいのに。@米子 セットリスト】
JK BOMBER (メドレー)
こんなこと騒動 (〃)
ヒューマノイド (〃)
はゔぁ (〃)
馴れ合いサーブ (〃)
残機
秒針を噛む
ばかじゃないのに
クズリ念
Dear. Mr「F」
海馬成長痛
彷徨い酔い温度
お勉強しといてよ
TAIDADA
あいつら全員同窓会
勘冴えて悔しいわ
ミラーチューン

[アンコール]
虚仮にしてくれ
嘘じゃない
正義
勘ぐれい

【ライブレポート】羊文学『まほうがつかえる2024』@大阪フェスティバルホール

12月24日、世間はクリスマスムード一色。ただ唯一この場所だけは、全く違う喜びに満ち溢れていたように思う。羊文学による恒例イベント『まほうがつかえる』。その最終日となった大阪公演には、世間一般の人とは別に「このライブでクリスマスを締めよう!」という同志が集結。現在の羊文学人気もあってか、チケットは発売日当日にソールドアウト。結果パンパンの客入りとなった。

会場に選ばれたのは音響の良い会場として知られる、フェスティバルホール。中に入って驚いたのが、ステージにはクリスマスを意識してか各所に電飾が取り付けられており、地面にはキャンドルが複数配置されていること。これまでフェスで何度か羊文学のライブを観たことがあるけれど、今回は『ロックバンドのライブ!』というよりは遥かにアットホーム感を醸し出しているのが印象的だった。

ライブはほぼ定刻に始まり、暗転後に穏やかなSEに包まれる会場である。しばらくするとステージ袖から塩塚モエカ(Vo.G)、河西ゆりか(B.Cho)、療養中の福田ヒロアに代わるサポートとして元CHAIのユナ(Dr)が登場し、拍手喝采を浴びる。するとステージ上のキャンドルが一斉に暖かな光を放ち始め、運命の1曲目“くだらない”がスタート。開始直後に「メリークリスマース!」と叫んだ塩塚が爪弾くギターの音色と、朗らかな歌。そこに次第にドンドン鳴るキックとベース音が追従する、助走としてはこれ以上ない楽曲である。また心地よい浮遊感を抱いたままいつの間にか楽曲が終わっている感覚は、やはり羊文学ならではだなと再認識した次第だ。

この日のライブは、言わば『2024年・羊文学』の総決算。今年の羊文学は夏フェス、単独共に過去最大の稼働量だった訳だが、その中で常にセットリストに入っていた楽曲を基盤としつつも、単独ライブならではのレア楽曲も組み込まれた、集まったファン誰しもに刺さる珠玉の2時間で構成された。また今回のライブで最も驚いたのは、音がとてつもなく良かったこと。個人的に羊文学のライブには何度か赴いているが、それらは全て野外のため音量が抑えられていた。では今回のホール公演はと言うと、羊文学の武器であるアンサンブル含め、“FOOL”や“Burning”といったノイズが駆け巡る楽曲も、その全てがくっきりと『音の形が分かる』ように出音されていたのが素晴らしかった。

続く楽曲は、まさかの選曲の“砂漠のきみへ”。個人的には羊文学の中でも1.2を争うレベルで好きな楽曲なのだが『この大好きな曲が今回のライブで久々に演奏された』という事実を考えるれば、やはりサブスク上位に固定されている楽曲の他にも、多くの人の心を震わせる楽曲が多く存在することの証左でもある。そして早くも涙腺が緩んだのは、“パーティーはすぐそこ”での一幕。ここでは塩塚が《ミラーボールが揺れてる》と発した直後、いつの間にか頭上に展開されたミラーボールが点灯!客席を幻想的なオレンジの光が照らす中、河西の美しいコーラスを伴った塩塚のボーカルでもって、まさしく至福の空間に変貌する会場である。全体としてこの日のライブは照明効果に目を見張るものがあったが、思わず「おお!」となったのは個人的にはこの瞬間だった。

ソリッドな演奏で駆け抜ける一方で、MCになると一気に脱力するのも羊文学らしさ。開口一番に塩塚が「まほうがつかえる2025……」と開催年を間違えて爆笑を誘うと、「あの……2024年の羊文学、凄かったよね。海外でもライブして、推しの子の主題歌もやって……。いろんな経験が出来ました」と回顧。言葉のひとつひとつはスローかつ間隔が空いており、その場で感じたことを口にしている感覚があり、思わず彼女の穏やかな人間性さえ感じてしまうのが面白い。かと思えばMCの着地点を見失って「じゃあ曲、やりますか……」と急ハンドルを切るのも彼女らしさか。

以降はギアを替えて「隠れクリスマスソングです」と語っての“キャロル”、ミドルテンポでしっとりと聴かせた新曲“tears”と“Flower”、《今ここに あなたを信じる場所がある》と人生の在り方を逆説的に説く“マヨイガ”を続けてドロップ。その曲間には「ありがとう」の一言さえ発せられることなく、ひたすら淡々と『演奏→チューニング→演奏』を繰り返していくスタイルなのだが、その曲間の余白さえも演出のよう。話は少し変わるが、僕はライブ中に眠くなることが良くあるのだけれど、まるで子守唄のようなこのフェーズでそれが来たとき、非常に心地良い気持ちになったのは発見だった。……もしかすると、我々の心情さえもコントロールするのが羊文学の音楽なのかもしれない。

「私、最近まで凄く体調が悪くて。9月くらいから謎の頭痛とか気管支炎とかが立て続けに起こってたんですけど、それが全部終わったら、逆に強くなった気がします」と有り余るパワーをアピールすると、ここからは比較的アッパーな楽曲で攻めていく。まず“FOOL”では眩い照明が縦横無尽に客席を照らしていき、驚くべきは彼女たちの楽曲中で最もカオスが極まる“Burning”。塩塚が足元のファズエフェクターを踏んで弦を鳴らした瞬間、まるでどこかから爆弾が投下されたかの如き激重のノイズが会場を支配。ともすれば声が掻き消されそうな爆音の中、なぜか塩塚の歌は明瞭に聴こえるという稀有なシューゲイザー体験がそこに。

彼女たちにとって、現在サブスクでトップに入っている曲は基本がタイアップである。しかしながらファーストアルバム『POWER』のリリース時点でもソールドアウトが続出していたように、ブレイク以前にもファンそれぞれに刺さる楽曲を量産してきたのが羊文学だ。ゆえに今回のライブでグッときた曲はひとりずつ異なるけれども、個人的には今年何度も披露されてきたはずの“OOPARTS”に、その真価を観た。アルバムにおいて羊文学にとって初めての挑戦だったはずの打ち込みサウンドは全て消滅し、ロックサウンドのみで展開された開幕にまず驚き、メンバーの周囲には《沢山の円盤に囲まれて 最高の瞬間を記録した》との歌詞を捉えたのか、円盤型の照明がとてつもない速さで展開。ラストにはBPMが上昇し、ズドンと鳴るギターでもって暗転する作りには心底脱帽。歌とサウンドと演出、全てが噛み合って初めて成せる技がそこにはあった。

以降は「待ってました!」と思わず叫んでしまいそうになるキラーチューン“more than words”を経て、この日ならではの“1999”へ。《それは世紀末のクリスマスイブ》と歌われるこの楽曲はクリスマスソングとしての側面もありつつ、一見、幸福な日を祝うもののようにも見える。しかしその実ノストラダムスの大予言をイメージさせる歌詞でもって、前向きなだけでは終わらせない読後感も携えている。そんな楽曲を高らかに歌い上げる塩塚を観ていると、改めてこの日がクリスマスイブであることの幸福と、喪失のテーマと羊文学の親和性も感じた次第だ。

インディーズ時代からのまさかの選曲の”マフラー“を終えると、この日何度目かのMCへ。まずは何やら袖からガラガラとキャスター付きの長机を持ち出しつつ、新たなラインナップで占められたグッズ紹介を。今回のグッズは一般的なワンポイントのもの以上に、オレンジや白などがふんだんに散りばめられたクリスマス仕様が多め。河西はそのひとつひとつを手に取りながらゆったりゆるゆると紹介しつつ、中でも象徴的なオレンジの色合いについて「ユナさんの髪色に合わせました!」と一言。そしてそんなにこやかに話す河西を見ながら「受注生産でブランケットもあって、今ここには無いんですけど。こちら今日までの予約なのでお早めに……」と塩塚が語ると、ユナが河西に気付かれないよう、袖にサササーっとハケていく。

すると突然照明が真っ暗になり、ハッピーバースデーの音楽(オルゴールver.)に合わせてユナがケーキをテーブルに乗せて登場!そう。河西の誕生日は12月24日なので、このライブは誕生日と丸かぶり。ライブ会場で、全員に《ハッピーバースデートゥーユー♪》を歌ってもらって祝われる最高のサプライズである。ちなみに塩塚とユナの中ではMCの中で塩塚が『ブランケット』と言った瞬間がケーキを運ぶ合図だったようで、思惑通りに事が進んで大満足のご様子。気になるケーキはというと、こちらは今回羊文学のマスコットキャラクターである『ひつじくん』がベースを持っている特別タイプ(詳しくは最下部の画像をご覧ください)。その場では食べることはなかったけれど、きっと終演後は素晴らしい誕生日パーティーが行われたことだろう。

「最近、アンコールなしっていうのにハマってて」と語った塩塚の言葉を噛み締めるように、ライブはいよいよラストスパート。河西が「一斉に?」と合図してのファンの「GO!」のコール&レスポンスがバッチリ決まった”GO!!!“、恋人同士のすれ違いを敢えて曖昧な表現の良さで包み込む”あいまいでいいよ“を経て、最後の楽曲は”ワンダー“。『まほうがつかえる』のタイトルから、同名の歌詞が含まれる”予感“が鳴らされるものとてっきり思っていたのだが、塩塚いわく”ワンダー“は「大好きな曲」なのだそうだ。

《屋根の上 あなたがいる場所に一番近いから/登って星を数えた》と歌われるこの楽曲は『パパ、お月さまとって!』のような、まるで絵本の物語を思わせる幻想的な雰囲気で包まれている……というのが原曲でのイメージだった。一方で音圧が極限まで増幅されたこの場所で聴く”ワンダー“は、とてつもない爆音であるにも関わらず開放的で、まさしく『Wonder(不思議)』な空気感。後半では上部にミラーボール、客席を広く照らす照明効果も合わさり更にクライマックス的な感動もあり、塩塚と河西が大ジャンプする勢いでライブは終幕。まだノイズの余韻が残る中、塩塚が「ありがとうございました、羊文学でしたー。メリークリスマース」と穏やかに去っていったのもまた、どこまでも羊文学らしかった。

私事ではあるが、今年一番ライブを見たバンドは羊文学だった。初のトリで緊張していたサマソニであったり、とにかくめちゃくちゃやってやる勢いで駆け抜けたレディクレだったり様々だったが、今回のライブはこれまで観た中で最もリラックスした自然体のモードだったように思う。

自分たちが今やりたい曲を、リラックスしたムードで行う年一の企画『まほうがつかえる』。数年前と比べるとより音楽ファンの熱視線を浴びる存在になった羊文学だが、完璧なまでに彼女たちの本質に向き合うことが出来るのはこの場所なのかもしれない。来年はフクダヒロアの復帰や新曲”声“など、様々な期待が目白押し。2024年最後の単独ライブとなったこの日は後で思い返せば、来たる2025年の跳躍に向けての加速装置になり得る代物なのかもしれない。とにかく至福の時間だった。

【羊文学@大阪フェスティバルホール セットリスト】
くだらない
砂漠のきみへ
光るとき
パーティーはすぐそこ
キャロル
tears
Flower
マヨイガ
FOOL
Burning
OOPARTS
more than words
1999
マフラー
GO!!!
あいまいでいいよ
ワンダー

2024年、総括

今年も気付けば終わりに近づいた。振り返ると何も起こっていないようで、はっきりと何かが変わった2024年。過去は過去のものとして風化させるべきとも思うけれども、ここで一旦の総括。……言うなれば2024年全体を備忘録として残しておきたいと思い筆を執っている。完全なる自分語りであるため内容は稚拙だが、どうかご容赦を。「ちょっと見ちゃおっかな〜」程度の軽いノリで読んで頂ければ幸いである。

 

・仕事

会社員なので当然のことだが、特に今年は仕事を遮二無二頑張っていた印象が強い。……この職場に入って、気付けば3年目。相変わらず僕が入って以降正社員の採用は一度として無いが、それでも「今のままの仕事ばかりしてちゃダメだよ」という雰囲気は痛い程伝わってきていた。

なもんで今年は、これまで携わってこなかった様々な責任者業務に片足を突っ込む形となった。バイトのシフト調整、月末業務、備品発注、請求書、業者連絡……。夜勤ではついに責任者になり、社長や会社の創立者たる会長にまで電話することも多々。明確に社員っぽい業務内容に変化した感がある。怒られることもあったが、そうした経験も含めて成長なのかなと。

ただキャリアを重ねる一方で、今年は過去一番に残業をした年だったことも否定できない。業務がボーンと一気に増えたことで、アップアップな状態になったのだ。僕の出勤は基本的に『9時〜21時を週6やる』の労働時間がデフォルト。そのためそもそもの労働時間が多い関係上、これまで残業はなるべく避けるようにしてきた。しかしながらどうしても仕事が終わらず、帰宅が深夜になることが増え、それと反比例するように文章を書く時間は減少してしまった。人生とはままならないものである。

そんな中でもやはり、関わってくれた人たちの優しさには非常に励まされた。特に今年はアルバイトの大学生が大幅に増えたのだが、音楽の話などで盛り上がるにつけ、「上手くやれてるっぽいなあ」と嬉しくなったり。夏以降は飲みに誘われることも増え、『僕以外全員学生』という謎シチュエーションの中で「キタガワさんがいるからやれてるっすよ〜」と言われてまた嬉しくなったり。つい先日はバイトの子たちが中心となって忘年会を開催してくれたのだが、何と集まった大学生バイトの子は10名を超えた。サークルでもゼミでもなく、本来であれば参加者が少ないはずの『単なるアルバイトの飲み会』で、ここまで学生が集まってくれたことには感謝しかない。

また、このブログでもたびたび登場している小学校からの友人たちには、いろいろとケアしてもらった。僕の仕事終わりの遅い時間にも関わらず、駆け付けてくれる彼らには本当に頭が上がらない。彼らと遊ぶ際にはまずその中の友人の家に集合するのだけれど、彼の家に入った瞬間、毎回子どもが「パパァー♡」と叫びながら玄関まで走ってくるも、横にいる僕の姿を見て「ビエー!」とギャン泣きするのもまた恒例。最近は会えていないけれども、来年こそは懐いてほしいと願うばかりである。

 

・30歳になった!

1年経てば歳を取る。そんなことは百も承知だけれど、日々の生活のルーティンを続けているうち、気付けば今年30歳になってしまった。精神性としては20代の頃とほぼ遜色ない中で、白髪の増加や傷の治りは遅くなっているという、そのアンバランスさにもだえる日々である。

20代と30代の違いとして明白なのはやはり『総合的な印象に差が出る』ことだと思っている。例えばアルバイト面接で考えると、20代と30代のふたりが面接に来れば若い方を取りがちだし、対して後者は「何で正社員じゃなくバイトなの?」「これまで何をやってたの?」とそもそもの質問以外の、プラスアルファの質問を問い掛けられてしまうリスクが自然と高まるものである。

同様に管理職に片足を突っ込んだ今年は、20代と30代の人を比べた時に「えっ!?30代なのにまだ人のこと考えられないの?」と疑問を抱く悪い例も多々見てきた。怒鳴る。発言を制止する。他責。印象操作。陰口。悪口……。時には話を大きく盛って、自分を良いように見せようとする人さえいる。これは30代に限らず40代50代の人にも当て嵌まるけれど、他者視点の把握を怠った人は総じて、横柄になる傾向が強い。そしてその悪手は全て、自分自身に返ってくるものだと思っている。もちろんこれは僕自身への戒めでもあり、反面教師にするべき事柄ではあるのだが、とにかく。30代になったならば30代らしく、少しずつ自分を律する形で動いていければなと。

 

・音楽

僕は音楽が好きだ。しかしながら今年は歴代で最も新たな音楽と出会わない、こと音楽に関しては収穫の少ない年だった。その理由としては、主にTSUTAYAと音楽雑誌が、僕が暮らす島根県から撤退したことが大いに影響している。

まず第一に、TSUTAYAがなくなったことから。このTSUTAYAはたかがレンタルショップと侮るなかれ、僕にとってTSUTAYAは中学生の時分から、生活に欠かせない存在だった。何故なら僕はこのTSUTAYAで、聴いたことのあるアーティストもそうでないバンドも、取り敢えず週に1度は最新アルバムをカゴ一杯にレンタルして帰る生活を十数年続けてきたのだから。この行動がなければ音楽に詳しくなることも、音楽ライターとしてロッキンで書かせてもらうことも無かったに違いない。ただこのTSUTAYAが今年閉店したことで、僕にとっては新たなアーティストのアルバムに接する機会の大部分が失われたのだった。

そして第二に、音楽雑誌の撤退。これは主に僕が毎月購読していた邦楽誌『rockinon JAPAN』と洋楽誌『rockinon』についてだが、これらが純粋に売り上げが見込めない事から、島根県内の多くの書店から一斉に姿を消したのだ。先のTSUTAYAが僕の音楽情報の主とするならば、こちらは重要なサブ。パラパラーっと読みながら、気になったアーティストはメモして帰る……。言うなればTSUTAYAに出回っていないインディー音楽を知る契機になったのが、これらの本だったのである。そのため僕にとっては新たな音楽を知ることも、またアルバム全体を包括して聴き尽くすことも、ほとんどなくなってしまったのだ。ちなみに今年、毎年恒例だった『音楽アルバムランキング』を当ブログで書いていないのもそれらが理由である。……だって今年出た音楽あんまり聴いてないんだもん。これまではともかくとして、今まともに曲すら聴いていない人が「今年のベストアルバム選んじゃうぜ!」というのはおこがましいんじゃないかという。

そのため僕にとっての今年の音楽の収集源は、もっぱらサブスク。しかしながらサブスクではいわゆる『流行歌』と呼ばれるものが上位に来るため、インディーバンドなどにはなかなか目が行き届かなかった印象があり、既存曲の収集が主だった。邦楽ではアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』にハマった影響で結束バンドを、洋楽はPhoenixとCigarettes After Sexを一番聴いた印象で、特にこの3組は聴かなかった日がないんじゃないかと。あとはoasisの再結成が嬉しすぎて、狂ったようにoasisを聴いていたりもしました。僕、スマホの待ち受けとラインのアイコンが10年くらいoasisなレベルで大ファンなんですけども、本当に嬉しかったですねあれは。

 

・ライブ

先述の通り、今年は仕事過多が著しかったために、久々の休日のたびに「生き延びた〜!」と一息ついていた。もちろんその休日は本当に何もせず、昼まで寝て次の6連勤に備える形を取るばかりだったが、ここで考えたのが『ライブの意義』という根幹部であった。……僕が暮らしている島根県では、そもそもライブがない。なのでどこに参加するにも、片道数時間かけて電車に乗る以外ないのだけれど、休みはこの1日しかないので日帰りは確定。しかもそれからは連勤のため「休みを削ってまでライブに行く必要があるのか?」という実益を考えざるを得ない。そのため今年は「ちょっと行ってみたいな〜」と思う程度のライブは極力削り、「どうしても観たい!」と思うライブにのみ足を運ぶ決断を下した。

中でもサマソニはやはり、1年を生きる上での最重要項目として位置していた。uzureaさんでもサマソニ記事ばかり書いているのでお察しの方はおられるかもしれないけれども、もう僕にとってサマソニは本当に生きる希望であり、もっと突っ込んだ話をすれば『年に一度・唯一連休が取れる場所』として確約した日なのだ。ライブになかなか行けない人間にとってのフェスは、本当に貴重である。結果としてそのサマソニ記事はブログで書けなかった(サマソニ後に10連勤&風邪になったのでマジでそれどころじゃなかった)が、素晴らしかった。

 

・父

キタガワ家は長らく、父・母・僕の3人暮らしであった。僕は一人っ子であり、兄弟はいない。かつ父が44歳の頃に産まれた遅い子であり、かつ900グラムで産まれたというガチ未熟児である。なもんで大いに溺愛されて育った感はあるし、僕自身も『そんな自分を産んでくれた両親に親孝行する』ということをある意味では存在意義にしながら生きてきた。

そんな父が、9月に亡くなった。享年73。このことに関しては未だに公開するか迷っている約3万字の記事があるくらいには思うところがある。本当に島根県イチ仲の良い家族である自負はあるし、とにかく一生分泣いたな、という。そして葬式の代表たる喪主についてだが、最も関係の深い人……つまりキタガワ家で言えば母が行うのが通例だそうだが、以前父とふたりで飲んだ時「ワシが死んだらお前喪主してごせやぁ」とふざけて語ってくれたことを思い出し、喪主は僕が行うことにした。……余談だが、最後の喪主代表のスピーチで、僕は母に「カンペ見ながらテンプレ通りやるわ」と言った。ただこれは母へのサプライズ。本番は何も持たず「これからもキタガワ家は何があっても、僕と母と父の3人家族です」と最後に言うことができた。これが僕にとって、おそらく父に捧げる最後の親孝行だと思った。

また今回の訃報に際し、父と交流したことのある友人らには連絡を送った。しかしながら焼香に参列するには関係性が希薄なように思えたため「会場に来たりとかは大丈夫よ。一応報告として!」と返すようにしていたのだが、当日驚いたのは、その連絡を送った友人が全員葬式に参列してくれたことだった。普段数年間同じパーカーを着ている友人や、髪のセットもしたことのないような友人たちがこぞって喪服で、更には香典も携えて訪れてくれたことに、僕は心底感動した次第である。中には仕事を休んでまで来てくれた友人もおり、ヤツは「お前のことで来るのなんて当たり前じゃん。それじゃ後は頑張って〜」と風のように去っていった。本当に良い友人を持ったものだが、これも父の穏やかな性格を受け継いだゆえ、と考えるとジンと来る。

ともあれ、今でも父がいなくなったことにはあまり実感がない。人生において大きな出来事が起こったとて、まあ人間そんなもんである。……てな訳でアンタが愛用してた時計はもらってくぜ〜。じゃあな〜とっつぁ〜ん。

 

・酒と読書

かねてより、僕には不眠症のケがある。僕はこれを『遠足の前の日症候群』と呼んでいるのだが、とどのつまり「明日◯時に起きないといけない」「明日ミスが起こるかもしれない」とグルグル考え続けて眠れなくなってしまうというものだ。そのため僕は20歳くらいの頃から不眠からの逃避行動として、夜に過剰飲酒をするようになった。350mlのビールを最低5本。時には7本以上飲むことで泥酔状態になり、ぶっ倒れるように布団に入る。そのことで睡眠時間だけはギリギリ確保できるという、言わば『肉を断てば骨は断たれない』の馬鹿な考えである。これについては今のところ問題はないが、何となしに「40代くらいでアルコール依存症になるな」と思ってはいた。

では酒を減らつつ夜を過ごすためには、どうすればいいのだろう?……そこで辿り着いた考えは、何かに没入することだった。ドラマ、映画、ゲーム、運動、何でもいい。とにかく最終的に5本ベースで飲んでいた酒を3本くらいに抑えて床につくことができれば万々歳であろうと考えて実行に移した。しかしながらどの行動でも、僕の飲酒量を減らすには至らなかった。なぜなら上記のどれもが『飲みながらでも楽しめてしまう』から。そこで逆の視点として、次は『飲んでいない状態でしか楽しめないもの』を探したのだ。

そこで至った考えが何を隠そう、読書である。本は文字をしっかり読まなければ内容を理解できないので、必然的に酒を減らせる。エンタメとしても面白く、なおかつ知見も得られる。そこから本を読むようになったのだが、これが面白く……。毎月3冊ペースで読むようになってからは、生活にハリが出てきたような気がする。まあ『恋愛キュンキュン♡』『ファンタジーでIf If!』といった作品は苦手なので、性格上人が死にまくるミステリーばかりなのだけれど。新たな楽しさを見出した気がする。ちなみに今のこのブログは、ビールを8本飲みながら書いています。

・最後に

大人にとって、人生はある種のルーティンワークだ。仕事をしつつ、空いた時間に何かをする……。その繰り返しを「これが人生です!」と呼ぶのは格好良い反面、人にとっては「そんなの生きてる意味無くね?」と思ったりもする。僕自身も後者の考えの人間であるのだが、2024年を今記事で回顧した結果、明確に何かしらの出来事は起こっていて、何かしらの発見をしているのだなと思って感慨深くもある。

変わらず僕は、心を震わせる何かを探しながら、今日も漫然と生きている。きっと来年もそうなのだろうが、別段悪いことでもないのかなと思う。関わってくださる皆様、2025年もどうぞ宜しくお願いします。

【ライブレポート】ヨルシカ『LIVE TOUR 2024「前世」』@大阪城ホール

ライブが終わって数日経つが、今でもフワフワしていて掴みどころがない、というのが正直な気持ちとしてある。言葉を食べながら、サウンドと映像の海を泳ぎ続けたあの時間は……そう。例えるなら、回遊する魚になったかのようだった。あれは音楽ライブだったのだろうか。それとも濃密な舞台芸術だったのだろうか。多分、答えはどちらも正解なのだろう。

suis(Vo)、n-buna(G.Composer)による謎に包まれた音楽ユニット・ヨルシカ。これまでも自分にないものを模倣しようともがく『盗作』、実際の舞台俳優を招いて没入させた『月と猫のダンス』と実験的なライブを行ってきた彼らは今年、ふたたび『前世』と名付けられたツアーを行った。今回のライブレポートを記すにあたって、まず説明しておかねばならない事柄が主にふたつある。

まずひとつは、この『前世』は2023年に行った『ヨルシカ LIVE 2023「前世」』の再演であるということ。具体的にはセットリストや演出は変わるものの、朗読内容はそのまま。以前も同様にネット配信で行われた『月光』を再演したライブが開催された例はあるが、当時はコロナとコロナ後の環境変化が多分にあった。一方で今回はほんの1年前とほぼ同様の公演を行うという、日本における音楽ライブ全体を見ても非常にコンセプチュアルなものとなった。また今回大きな変更点であるとされるセットリストと演出に関しては公式より箝口令が敷かれており、最終公演終了までSNSへの投稿やブログに書き込んだりといったネタバレは一切許可しない厳格な姿勢であったことは特筆しておきたい。

そしてふたつ目は、今回の公演がヨルシカ史上初となる、ファンの行動が制限されないライブであったということ。「制限ってどういうこと?」と疑問を抱く方に説明すると、元々ヨルシカは特異なライブ(指定席・朗読劇ありetc…)の性質上、公演中は基本的に全員が椅子に座ってジッと前を見つめるのみで、立ち上がったり声を上げたりといった行為は暗黙の了解として誰もが行わないようになっていたのである。ただ今回のライブはその制限が初めて撤廃されることが明言されており、立ち上がるのも拍手をするのも声を出すのも、全てファンの感覚に委ねられた点で、非常に運命的なライブだったように思う。

開演時刻になり会場に入ると、そこには溢れんばかりの人、人、人。ようやく自身の席が見つかり腰を下ろして分かったのが、かなり後方。一応僕はファンクラブでチケットを取ったはずなのだが、それでもこの距離ということは多くの人がファンクラブ会員であることの証左であった。ふとステージに目を凝らすと、そこにら巨大な樹のモニュメントが、緑の照明に照らされて鎮座。BGMとして鳥のチュンチュンとしたさえずりが聞こえてきていて、早くも幻想的な気持ちに。驚いたのは、ライブ直前にスピーカーより「本日はヨルシカライブ・前世にお集まりいただきまして……」とボーカル・suisがライブ案内人として降臨したこと。写真撮影禁止、録音録画禁止といった情報を改めて説明したところで、「今回のライブは皆さんの行動に制限はいたしません。どうぞお好きなように立ったり手拍子をしたりして楽しんでくださいね」と語り、早くも多くの拍手に迎えられた会場である。

全員が着席状態のまま、定刻を少し過ぎて舞台が暗転。するとステージ背面を覆うように設置されていた巨大モニターに緑溢れる並木道の映像が投影され、明瞭な声が響き渡る。よく見ると向かって右側にはピンスポに照らされたn-buna(ちなみに顔には黒照明が当たっており素顔は全く見えない)が椅子に座りながら台本を読んでいる。この時点で『前世』と名付けられた今回の物語が朗読を中心に進行すること、またn-bunaが脚本を手掛けていることを我々は知ることになる。

物語は、女性が並木道を歩く場面から始まる。ゆっくりと歩き続けた彼女が辿り着いたのはポツリと置かれたベンチで、そこに文庫本に目を落としながら、悲しそうな目をするひとりの男性の姿を見る。「久しぶりだね」と語る男性に「うん」と女性は返事を返し、ふたりはベンチに横並びになって座り、とりとめもない話をする。

「最近、変な夢を見るんだ」と、男性は言う。聞けば、まるで自分が別の生き物になったような不明瞭な夢を、彼は毎晩見ているそうだ。「昨日の僕は狼だった。夜を駆けてひたすらに走っていた。でもその行動全てに、まるで実際に起きていたかのようなリアルさがある」と続ける。「あの夢はまるで、そう。僕の前世なのかもしれない。前世。前世。前世……」彼はそう呟くと、背後の映像が消滅。続いて『前世』の文字が映し出された次の瞬間、真っ赤な光が会場を包み込んだ。

1曲目に披露されたのは、インディーズ時代のアルバムから表題曲“負け犬にアンコールはいらない”。着席型がヨルシカライブのこれまでのスタンダードだったことは先述の通りだが、耳をつんざくギターリフが鳴り響いた瞬間、ファンがひとり、またひとりと立ち上がって腕を挙げていく……。この時点でかなり涙腺が緩んだものだが、モニターにはこれまでの穏やかな並木道の映像を掻き消すように狼が鳴き、歌詞が大量に並べられ、そして真っ赤なレーザービームが大量に放射されるカオス極まりない光景で感動よりも興奮が勝る感覚に。ステージ上にはsuis、台本をギターに持ち替えたn-bunaの他、お馴染みのサポートメンバーである下鶴光康(G)、キタニタツヤ(B)、Masack(Dr)、平畑徹也(Key)ら4名も勢揃いで楽曲を展開していくのだが、黒照明によってその素顔は全く見えないようになっているのはヨルシカならではか。また清らかな歌声を響かせるsuisは白洋服に赤スカートの出で立ちで、頻りに片方の腕に掌を打ちつけてハンドクラップを要求。それに合わせて手拍子する流れはヨルシカ史上異様とも言えるものだったが、これこそが今回の彼らが新たに挑むライブの形、ということなのだろう。

タイトルの通り、今回のライブは『前世』が大きなテーマに冠されるコンセプチュアルなものに。ゆえに本編におけるn-bunaの朗読パートでは『前世の話』を。対してヨルシカの演奏パートでは、これまでリリースされてきた楽曲の中から『それぞれの前世をイメージさせる楽曲』が代わる代わる続いていき、最終的にライブ全てを指して大きな結論へと導いていく濃密度で構成された。モニターにはほぼ全ての楽曲において歌詞が投映され、MVとはまた違った新規映像で目にも嬉しい作りに。またこのストーリー展開の関係上、セットリストについても新曲旧曲・知名度あるなしに関わらず幅広い選曲が成され、結果これまでのヨルシカ史上最も予想が出来ない形になっていたのも特筆しておきたい。

suisがMVさながらに腕をパタパタさせながら歌唱した“言って。”を経て、物語は次の展開へ。翌日、再び並木道へ向かった彼女が走って向かっていき、ベンチに座って本を読む男性と語り合うシーンからだ。「また夢を見たよ」と男性は語り、昨夜見たという夜鷹の話をする。男性いわく、夜鷹となった彼は山・海・森といった場所を当てもなく飛び続けていたそうで、人間生活とは違う自由度を満喫。そして「太陽が見えて、僕はそこに向かってどこまでも飛んだ。あれが僕の目指すべき場所かのように……」と締め括ると、彼女と繋いだ手を離して「それじゃあまた」と去っていく。彼女はまだ一緒にいたい思いを押し殺しつつ「うん」と返事するのだった。

ライブパートは、amazarashiの新言語秩序よろしく日記の大部分が黒塗りになった“靴の花火”、子供の純粋な人生相談が大人の胸をえぐる“ヒッチコック”とこちらも初期曲が続く構成。そしてこの日最も盛り上がった楽曲は、やはり総再生数トップの“ただ君に晴れ”。楽曲が始まった瞬間「“ただ君に晴れ”だ!」と気付いたファンが次々に立ち、一気にライブモードに。モニターにはひとりの女性(顔には白塗りでモザイクがかけられている)が緑に囲まれた森でダンスを踊ったり、東京のビル街で靴飛ばしで遊ぶ映像が流され、お馴染みとなった手拍子パートの際にはsuisがフラメンコの如き挙動で先導したりと、ロックバンド然とした似た楽しさが広がっていく。ちなみに立ち上がらないファンも一定数いて相対的には半々くらいの印象だったのだけれど、これも内なる感情を押し殺しているようで、楽曲内の言葉を借りれば《思い出を噛み締めている》ようにも感じて好感が持てた次第だ。

ライブが盛り上がりを見せる一方で、物語はある意味では不明瞭な雰囲気を覚える『虫・花』と題されたゾーンへ突入していく。またいつものベンチで「ある時、僕は虫や花だった」と示した男性は、当時の出来事をリアルに回顧しつつ「草むらを這って進んだり、ミツバチが僕の上に乗ったり……。そんな日常がとても楽しくて、まるでダンスを踊っているようだった」と語る。そして「今日も一緒に帰ろうか。リードはできないけど」とにこやかに笑い、帰路に着くのだった。なおこのワンシーンは終盤にかけての大いなる伏線になっていた訳だが、こちらは後述。

何度目かの進行となるここからのライブパートは、大きな変革が行われることとなる。中でも驚いたのは、開幕からトランペットの音が鳴り響いた“ルバート”。この楽曲では管楽器のサポートが加わり、音に新たな厚みをもたらした。先ほどまでのストーリーを踏襲してかモニターには男女がワルツを踊るシーンが流され、サビ部分では《楽しい!》の言葉が画面を埋め尽くすように散りばめられた。また外で雨が降る中でテーブルの上に置かれたカプチーノを多面的に捉える映像が映えた“雨とカプチーノ”では、僕から斜め前に立っていたファンがこの楽曲が鳴らされた瞬間に座って泣き始めたりしていて、改めてヨルシカの楽曲が、多くの人の心の1ページに刻まれていることを知ることが出来た。

今度は朗読パートにてプランクトンを食べる魚の前世を彼が語ったところで、ライブはちょうど折り返し地点に。と、ここでステージ上に大きな変化が。n-bunaの朗読が終わると、何やら朗読中に背後に設置されていたらしい紗幕がスーッと上がっていったのだ。もちろんこの時点では真っ暗なので様子を知ることは出来なかったが、次なる楽曲“嘘月”に突入したところで、パッと明転。そこにあったのは、左右に超巨大な本棚、空中にはペンダントライト……。そしていつの間にかステージには大勢の弦楽器・管楽器のサポートメンバーが椅子に座って配置についている!とりあえずステージにいる人の数をいち、にい、さん……と数えていったが、その数ザッと10人以上。ここからは更に楽器のアンサンブルが重厚になり、サウンドの迫力がライブを彩ったのは言うまでもない。

またここからの楽曲は、まるで過去への思いを滲ませる代物が大半を占めていたのも特徴的。《僕は君を待っている》と過去を取り戻さんともがく“嘘月”に始まり、ワンルームの家具が手を打つ動作に合わせてひとつずつ消滅していき、最終的に何もなくなってしまう“忘れてください”、大切な人との思い出を花火の映像で体現した“花に亡霊”……。それらの楽曲は聴いているうち、改めて『前世を考える彼』と『傍で寄り添う彼女』の信頼関係を考えさせられる作りであり、後のストーリーへの伏線としても上手く作用していた。

対して物語は、徐々に結末へと近づいていく。いつものようにベンチへ向かった彼女だが、その日は雨が降っていて彼はいなかった。傘もささず、木の下で彼を待つことにした彼女は、ひたすらに待つ。彼から聞いた前世の話を思い出しながら。……「今日も来てくれたのかい」。しばらくすると、傘をさした彼が小走りでこちらに近付いてくる。彼女は彼を見上げながら「うん」と笑い、飛び上がりそうになるほど喜ぶ気持ちを隠しながら、一緒に彼の家へと向かうのだった。

ずいぶん久々に訪れた彼の部屋は、全く変わっていなかった。あるのは2人掛けのソファーに読書用テーブル、日めくりカレンダーくらいで、以前訪れた際と変わらず清潔感がある。ちなみに昔からこの部屋に着いたとき、彼は「ホットミルクでも淹れようか」と言うのが口癖。この日も彼はそう口にして、キッチンへと入っていく。彼女はすることもないので、雨の音をバックに室内を見回してみる。すると机に体が当たったことで写真立てが落ちてしまい、そこで1枚の写真が飾られていることに気付く。それは桜の木の前で撮った彼女と彼、ふたりのツーショット写真であり、彼女はその写真を見ながら嬉しくも、何故か少しモヤモヤした気持ちになるのだった。「この写真は、もしかして……」。

これまでの前向きな展開から、謎のミステリアスさを残した物語。その一方でライブは、今年リリースでありながら早くもヨルシカの代表曲となった“晴る”へと続いていく。アニメ『葬送のフリーレン』主題歌としても多くの注目を集めた楽曲ではあるが、ライブ披露は今回が初。n-bunaによるギターリフが鳴り響いた瞬間に大勢が立ち上がった会場で、一気にライブ然とした興奮が高まっていく。ふと周囲を見れば、サビ部分における《花よ咲け》のキー上下に合わせて楽しそうに腕をクルクル回すファンや、フリーレンのキーホルダーを掲げている人もいて、思わずウルッと。またモニターにはフワフワと浮遊する歌詞と共に『春』の景色に視点が突っ込んでいく圧巻の映像が展開され、目にも楽しい。

また物語は、写真に写った桜とふたりとの思い出に移行していく。そもそも桜を見に行ったきっかけは、本来桜が咲く前のまだ寒い月に、ニュース番組で「◯◯では、早くも季節外れの桜が咲いています」とキャスターが語ったためだった。彼と彼女は一足早い思い出として桜……つまりはあのベンチがあった場所へ向かったのだが、実際の桜は満開ではなく、チマチマと少しだけ咲いているだけだった。……思えばキャスターは「満開の桜です」とは一言も言っていなかったのだ。彼女と彼はケタケタと笑いながら、その傍にブルーシートを敷いて、花見を楽しんだ。それが写真立てに飾られている写真の全貌であった。

ライブはここから《最低限の生活で小さな部屋の6畳で/君と暮らせれば良かった》とする“詩書きとコーヒー”、suisの優しい歌唱と弦楽器の音色に心奪われた“パレード”と、アルバム『だから僕は音楽を辞めた』からの楽曲が連続で披露されていく。……様々な点で喪失が描かれるこのアルバムは、当時その次にリリースされる『エルマ』と対になっており、主人公・エイミーに音楽を教えてくれたパートナー・エルマが消えてしまったことをきっかけに、エイミーがエルマに充てて書いた日記を題材にしていた。ただ今回の『前世』としては後にして思えば、彼と彼女との大きな隔たりを描いていたことに気付く。

中でも涙腺を刺激したのは、表題曲の“だから僕は音楽を辞めた”。モニターには海外の建造物の映像とsuis(かn-buna?)の直筆と思われる歌詞が楽曲に合わせて展開。どんどん熱を帯びていく楽曲中、suisはネガティブな心情を《間違ってないだろ》と鼓舞するように続けていく。一方で後半では《間違ってないだろ》が《間違ってないよな/……間違ってないよな?》と変化し、その直後に訪れるラスサビではsuisが喉が張り裂けんばかりに他責の思いを吐き出し、《あんたのせいだ/だから僕は音楽を辞めた》と改めて自分を肯定させていく。実際に音楽を辞めたのは自分の責任にしろ、それを自覚することに恐怖を感じるが故の自傷的な他責である。

そして、いよいよ佳境を迎える物語である。先ほどの地面に落ちた写真立てにモヤモヤした気持ちを抱える彼女……という意味深な場面から物語はスタート。そんなことは露知らず、ホットミルクをふたつ手にして近付いてきた彼だったが、落ちている写真立てに気付くとにこやかに笑いつつも次第に声は震え、地面に突っ伏してしまう。「僕にとってあの時間は、本当に幸せだった。幸せだったんだ」と語る彼。過去の記憶、今の日常。この発言を見るに、彼はまだ割り切れていないことを知る。彼女はその光景をじっと見詰めながら「うん」と呟き、彼を励まそうとする。「かけがえのないものだとわかっていたのに。彼女と僕の……」と項垂れた彼は、彼女を見て一言、「ごめんな」と笑いながらボソリと呟いた。

「僕は犬に、何を言ってるんだろうな……」

彼女は「わん」と叫んで、彼に前足を伸ばそうとした……が、届かない。ふと傍にあった全身鏡を見ると、彼女は犬の姿をしていた。その瞬間、ここ数日の記憶が蘇る。そう。彼女は犬の姿をしていたのだった。彼の姿を見付けて『駆けていった』のも、彼を無意識に『見上げていた』のも。当然のように目の前に置かれたホットミルクはひとつがマグカップに、もうひとつは皿の上にある。そういえば彼は「リードはできないけど」と言っていた。あれも『リード(先導)』ではなく『リード(首輪)』だったのだ。私は犬だった。犬。犬。犬……。そして写真立てに映ったかつての自分を見て、ハッと思う。

「そっか。私の人間の姿こそが『前世』なんだ……」

あまりに衝撃の展開にポカーンと口を開ける我々をよそに、楽曲もいよいよ佳境へと向かっていく。次なる楽曲として披露されたのは“左右盲”。《君の右眉は少し垂れている》《君の右手にはいつか買った小説》とのフレーズでこれまでのふたりの形を踏襲すると、《心を亡れるほどの幸福を》と前世の人間時代における彼女と、今の犬に生まれ変わった彼女の幸福を切り取っていく。それでいて最後には《何を食べても味がしないんだ/体が消えてしまったようだ》と彼の心情をも捉えていて、まるでヨルシカの全ての楽曲が今回のライブのためにあるような感覚にも陥る。またこの日最もsuisのボーカルとn-bunaのコーラスがはっきり聴こえた点においても、彼女と彼の感情の合致を意図していているようでいて素晴らしかった。

最後に披露された“春泥棒”は、まさしく今回のライブ全体を包括する役割を果たしていたように思う。公に「最後の曲です」との発言は一切なかったが、この楽曲が始まった瞬間、その雰囲気を察してか立ち上がるファンが続出。……そして今回の『前世』を語る上でも、この楽曲は全てを包括する役割を果たしていた。何かを語るより、まぶはふたりで過ごした日々、彼女の喪失、更には自身が犬であったという衝撃的なクライマックスまでが様々な側面を宿して描かれている上記のMVを観てほしいと願う。歌詞のひとつひとつ、描写のひとつひとつを見逃すことなく、改めてこの楽曲に想いを馳せてみてほしい。

一方でライブでの”春泥棒“はと言えば、ライブしか成し得ない感動の連続で締め括られた。桜の花びらが降りしきる幻想的な映像で幕を開けたこの楽曲は、これまで以上の熱量で楽器隊が音を鳴らしているのも相まって、どことなく『訴え掛ける強さ』を感じる代物。またモニターには花吹雪が舞う中、その桜色に溶けるように歌詞が投映され、幻想的な光景が広がっていく。中でも涙腺が緩んだのは、ラスサビ前の一幕。背後のモニターの映像も含め会場が真っ暗になり、suisだけがピンスポで照らされてラスサビに突入した瞬間、桜が満開になる映像と共に上空から大量の紙吹雪が投下!……何年経っても、きっとこの光景は一生忘れることは出来ないだろうと思う程の感動が襲い来る会場である。舞い落ちる紙吹雪を手で掴むファンも大勢いる中、楽曲は全員がジャンっと音を鳴らした瞬間、満開の桜がモニター中央に出現。ファンによる歓声と拍手が鳴り止まない感動的なラストシーンとなった。

そうして物語も、まるでエンドロールのような厳かな雰囲気で最終局面へ。姿が見えないことから家の外に出た彼女(犬)が、椅子に腰掛けて本を読む彼の姿を捉える始まりである。彼はこれまでのパートナーとの歩みを回顧し、彼女もまた、当時と同じようにホットミルクを出してくれた彼のことを思い出す。おそらく彼は気付いていないながらも、犬にどことなく彼女の面影を捉えていたのだろう。そうして彼はニコリと笑って、言った。

「一緒に暮らそうか」

彼女は尻尾をビュンビュンと振り回しながら、彼の膝の上に乗る。するとモニターに映し出された画面は暗転し、ライブロゴの『前世』と共にステージ左右2箇所にピンスポが当たる。そこには深くお辞儀をするsuisとn-bunaの姿があり、我々が万感の拍手で迎えているとふたりは退場し、照明が明転。「以上を持ちまして本日のライブは終了いたしました」とのアナウンスを聞いて、ハッと我に帰る。開始から2時間半が経っていたことも、聴きたい曲が聴けたのかどうかも、そもそもこれが『ライブ』という媒体だったのかも定かではないフワフワした感覚のまま、あまりにも感動的な極上体験は終了したのだった。

ライブが終わり、ポケーっとしたままいつの間にか並んでいた物販列でふと思う。一体、この日のライブは何だったのだろうか。前世の記憶に始まり、物語の進行と共に楽曲が移り変わり、ラストにかけて畳み掛けるMCなしの2時間半。……これまでも実験的な試みに多く挑戦してきたヨルシカだが、この日のライブは何から何まで完璧なまでに作り込まれた舞台芸術のそれだった。

現在新曲を多数リリース中の彼らはまたライブツアーを敢行するだろう。その時のライブがどのような形になるかは不明だが、きっと今回の朗読と音楽で魅せた『前世』のように予測不能な代物になるはず。……ともあれこの日の『前世』は多くのファンにとって、来世になっても忘れられない最高のショーとして記録されたに違いない。

【ヨルシカ@大阪城ホール セットリスト】
〜朗読① 緑道〜
負け犬にアンコールはいらない
言って。
〜朗読② 夜鷹〜
靴の花火
ヒッチコック
ただ君に晴れ
〜朗読③ 虫、花〜
ルバート
雨とカプチーノ
〜朗読④ 魚〜
嘘月
忘れてください
花に亡霊
〜朗読⑤ 桜〜
晴る
冬眠
〜朗読⑥ 青年〜
詩書きとコーヒー
パレード
だから僕は音楽を辞めた
〜朗読⑦ 前世〜
左右盲
春泥棒
〜朗読⑧ ベランダ〜

 

【ライブレポート】結束バンド『ZEPP TOUR 2024 “We will”』@Zepp Haneda

今思い返せば、2024年はアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の動きに熱視線が注がれる年だった。実際にアニメ自体が終了したのは、一昨年ほど前のこと。ただ今年は新たな試みとして劇場総集編『ぼっち・ざ・ろっく! Re:』を、その数ヶ月後には後編となる『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re:』が公開されたことで、ブームが再燃。結果とてつもない動員数を記録するモンスター作品となった。

その一方で、件の作品と同じくして注目を集めたのは、劇中ユニット・結束バンドの存在だった。喜多郁代(Vo.G)、後藤ひとり(G)、山田リョウ(B)、伊地知虹夏(Dr)ら4名によるバンドの音楽はストーリー展開と共に劇中でも流れ続けていた訳だが、特に今年は現実における活動ペースが超加速。ミニアルバムやEPのリリース、果ては夏フェス出演と破竹の勢いだったことは言うまでもないだろう。

今回行われたツアーはタイトルの通り、今冬発売予定の新作EP『We will』を記念してのもの。アニメ効果もあってか、チケットは先行の時点でソールドアウト。それどころか、また惜しくも参戦出来なかったファンの救済措置として全国の映画館でのライブビューイングや生配信サービスも導入する異常事態となり、実際に会場に訪れたファンの何十倍もの人々が、様々な形でライブを鑑賞。今回はそんなライブの中日に位置する、Zepp Haneda公演について記載する次第だ。

野太い声が飛ぶパンパンの会場、開始前から既に沸いている感もある中で、ライブは定刻の17時半にスタート。akkin(G)、高慶“CO-K”卓史(G)、山崎英明(B)、比田井修(Dr)らサポートメンバー4名がセッションで熱を高めていく中、ステージ袖からひとりの女性が歩みを進める。そして印象的なギターストロークから放たれた歌声に、思わずハッとする。オープナーに選ばれたのは、劇場版主題歌でもある“月並みに輝け”。ある瞬間から一斉に明るくなった昭明の下で、キュートなボーカリスト喜多郁代役・長谷川育美が高らかな歌声を響かせて感動を誘っていく。

音の良さ、キャッチーなコード進行等に改めて感動した中でも驚いたのは、長谷川の歌声。『声優が歌を歌う』ということは今やよくある時代だが、そもそもキャラを演じる『声優』とメロディーに乗せて届ける『歌唱』は完全に別枠。だからこそ補正での誤魔化しの不可能なライブ会場では、ともすればガタガタな歌唱になってしまうことも多いのだが、長谷川の歌は正直感服するレベルで上手く、自信満々な表情も相まって「本業がシンガーなのでは?」と感じるほど。ファンもその歌声に呼応し、1曲目から飛んで叫んでの大盛り上がりだ。

続いて「こんばんは、結束バンドです!最後までよろしく!」と長谷川が放って始まったのは、アニメOPとしても知られる“青春コンプレックス”。前回のライブではアンコールラストに配置されていたこの楽曲が、2曲目でドロップされる衝撃たるや……。サビではもはやお馴染みとなった《掻き鳴らせ》部分を大合唱する一幕も見られ、早くも興奮はクライマックス的。結束バンドにおける新しい部分とかつての部分、両面を一気に見せて流れを作る流れはあまりにも若手バンドのそれであり、いちアニメから誕生したとは思えない存在感を携えていた。

先述の通り今回のライブは、新作EP『We will』にちなんだもの。一方でセットリストに関しては“ひとりぼっち東京”や“ラブソングが歌えない”といった初期の代表曲のいくつかが外されて新曲を中心に構成された、まさに『We will(私たちの今後)』を示したライブとなったのが印象的だった。ちなみにこのアルバムのコンセプトは『高校を卒業して大人になったメンバーが作った曲』であるそうで、初期曲と比べると落ち着いた雰囲気の、ある意味では予想外の楽曲が多い。先の“青春コンプレックス”が昨年のライブとは一変して2曲目に位置していたこともそうだが、『青春にコンプレックスを抱いていた少女が立ち上がる』という流れがこれまでの彼女たちであるとすれば、今回のライブは『立ち上がった少女がその後どう動いていくか』を表すような未来的な構成になっていたように思う。

以降は結束バンドのメンバーがそれぞれ合流し、時には離れながら新たな流れを作っていく。クールな天然ボケ山田リョウ役・水野朔による“カラカラ”と新曲“惑う星”はまさに一見すれば自由奔放、ただ胸にはバンドへの情熱を持った彼女らしい構成の楽曲で、《ダラダラ過ぎる日も愛して》との性格面や《青い夜に咲く》といった自身のイメージカラーにも触れた歌詞でグングンと引き込んでいく。冒頭はかなり緊張した様子で声が震える場面もあった彼女だが、次第に克服し楽曲を牽引していく様を見ていると、グッと来る気持ちにも。

再び長谷川、また後藤ひとり役・青山吉能にバトンが渡ったフェーズでは、高低差を持ったセットリストが光る。具体的には“僕と三原色”と“milky way”のミドルテンポな歌から、誰もが待ち望んだ“あのバンド”と“ドッペルゲンガー”のロックチューンへ繋げる流れである。ただ既存曲と比べてみても“僕と三原色”や“milky way”の2曲はやはり異質な曲調であり、アニメソングの側面からしても良い意味で攻めた印象を受ける。これはこれまで以上に多くの楽曲制作者に協力を依頼したためでもあるが、衝動的なファーストアルバムからセカンドへ行き、3枚目に行く頃には曲調が変化している……という数年かけて作られる『バンドあるある』を僅か1年で急速に描いた結束バンド。彼女たちはそんな愚直なバンド像を理想として掲げているのではないかと思ったり。また青山の歌唱については更にハイライト的な部分が後半に存在するので割愛するが、こちらも本当に素晴らしかった。

翻って、ここまで一切の姿を見せてこなかった最後のメンバー、伊地知虹夏役・鈴代紗弓の動向はライブ折り返し地点にてようやく明らかになる。彼女が歌唱したのは“なにが悪い”と新曲の“UNITE”。結束バンドの中でもポップとメロコアに振り切った独創的な2曲だ。鈴白はステージ上を縦横無尽に動き回りながら、時に振り付けあり、また時には拳を突き上げながら盛り上げるパワー特化のライブパフォーマンスでもって、会場を掌握。一気に後半戦の熱量へ変化させていく。特に新曲として披露された”UNITE“は、音源以上にライブで映える作りになっていたのが印象的。

この日最大のハイライトは間違いなく、抜群のタイミングで鳴らされた”忘れてやらない“→”星座になれたら“の、劇中でも大きな注目を浴びた2曲。まず前者の“忘れてやらない”では長谷川がロックテイスト全開のサウンドの下、ファンを煽り倒しながらボルテージを上げるバンド然とした雰囲気で盛り上げていく。そして「星が綺麗に見えるこの夜に、皆さんに届けたい曲があります」と長谷川が語って始まった“星座になれたら”では、空を見上げたり、腕を振ったりと千変万化の動きで魅了する長谷川にファンの視線もユラユラ動き、ライブならではの光景を作り出していく。気になる原作における喜多のギターバッキングとひとりのボトルネック奏法も、この日は完全再現。ファンの興奮を底上げする効果を果たしていたのも特筆しておきたい。

そして「伝えたいことはいろいろありますが、やっぱり『ありがとう』だなと思っていまして。原作やアニメ、音楽……。入り口は何でも良いと思うんですけど、たのしいことがたくさんある情報過多の世の中で『ぼっち・ざ・ろっく!』を好きになってくれて、ありがとうございます。私は原作者ではないんですけど、代表させて伝えさせてください」と思いを述べて“秒針少女”と“今、僕、アンダーグラウンドから”へ繋げると、袖からゆっくりとこの日2度目となる青山がエレキギターを肩から下げた状態で登場。ちなみにこの瞬間にはまだまだ「本編やるんだろうな」と思っていた我々だが、キッと正面を見据えた青山は「最後の曲です!」と一言。我々の悲痛な声が鳴らされたギターの音で掻き消される予想外の形で、本編はラストへ突入していく。

最後の楽曲は、映画のタイトルにも冠されていたASIAN KUNG-FU GENERATIONのカバー曲“Re:Re:”。この楽曲自体は2016年にリリースされたアルバム『ソルファ』に収録されたもので、ファンの間では作詞作曲を担当するフロントマンの後藤正文が、当時のインタビューにて「メールの返信にまた返信をする場面を描写した」と語っていることでも有名。本編ラストが結束バンドの曲ではないことについて疑問を抱いた部分もあるけれど、この楽曲がプレイされることで、新たな結束バンドの門出を祝う意味合いもあったのではと今なら思う。また青山が担当するギターパートは主にリード(イントロのテッテッテッテ部分)で、難易度的には低い部類に入るが、前を向きながらしっかりと演奏&歌唱を成し遂げていたのは素晴らしかったし、後半にかけての熱の入り方もまた、生のライブの醍醐味を感じさせる代物だった。

演奏が終わると、すぐさま暗転。手拍子に加えて「虹夏ー!」「喜多ちゃーん!」と各自の推しを絶叫する声も聞こえる中、姿を現したのは青山。彼女は再度ギターを持ってステージ中央へと進み出ると、会場含めライブビューイング、配信勢にまだまだ盛り上がるようアピール。しばらくすると穏やかに手に持ったギターをボロボロと鳴らしつつ「このギターもだんだん鳴らせるようになって。今回のライブも……。自分みたいな人間が夢なんて叶えられる訳が無いと思ってたんですけど、皆さんのおかげで自分の希望のようなものが見え始めました」と語り、拍手の海に包まれる会場である。

「私に勇気をくれたこの曲を歌いたいと思います」と語ってアンコール1曲目に披露されたのは、こちらもアジカンのカバー曲“転がる岩、君に朝が降る”。そもそも『ぼっち・ざ・ろっく!』はアジカンのメンバーと名前が一緒(後藤正文と後藤ひとり・喜多郁代と喜多建介etc)、各話のタイトルが曲名をもじっている(“君の街まで”が君の家まで・“長谷サンズ”が馳せサンズetc)など、大ファンである作者の意向により多くの部分でアジカンとの類似性が見られる。ゆえに先の“Re:Re:”と同じくカバーは必然ではあるが、この楽曲における様々な出来事に悩みながら《何を間違った? それさえも分からないんだ》《そんな僕に術はないよな》と綴られていたものが、最終的には《凍てつく世界を転がるように走り出した》と着地させる歌詞を見ていると、改めてアジカン楽曲との親和性にも気付かされたり。

ここからはメンバー全員が総出演で来年のアリーナライブの告知をしたり、新作アルバム“We will”の購買意欲促進活動をしたりしつつ、ライブはいよいよラストスパートへ。ラスト2曲は全てが長谷川ボーカル曲で、誰もが期待していたキラーチューン“ギターと孤独と蒼い惑星”はここでドロップ。どしゃめしゃなバンドサウンドを突き抜けるように響く長谷川のボーカルが、この日何度目かの熱狂を作り出していった点でも感動的だが、熱狂するファンとの双方向的な関係性が光るのも“ギターと孤独と蒼い惑星”の魅力。最初の勢いそのままに最後まで駆け抜けた長谷川とメンバーに、鳴り止まない拍手が送られる会場である。

ラストに披露されたのは“光の中へ”。比較的ミドルテンポな楽曲であり、これまでの活動の中では中盤に披露されることが多かったこの曲。それが活動開始から唯一最後に演奏されたという点でも、やはり配置やタイトルの意味も含め、未来へ繋げて行く意味が強く込められているように思った。そして待ち受けるラスサビでは青山・鈴代・水野らこれまで楽曲を彩ってきた3名のボーカリストも袖から現れ、《今を 明日を もっと きっと 何処までも》の歌詞を全員で熱唱。多くのライブ終了を惜しむような歓声を背中に浴びながら、ライブはその幕を閉じたのだった。

名実ともに『今一番チケットが取れないバンド』となった彼女たち。確かにその人気の背景には『ぼっち・ざ・ろっく!』が覇権アニメとなった流れもあるし、遡れば『けいおん!』や『BanG Dream!』他、二次元バンドブームの行き着いた先という見方もあるだろう。ただ驚きなのは、少なくともバンドとしての彼女たちの歩みは一貫して下積み的な点。楽曲をリリースして、ライブをして、少しずつ技術も上がっていく……。ロックバンドのリアルを愚直に見せ続けていることは、評価すべき大切なストーリーだと思う。

では渦中の彼女たちはこの過去最大規模のライブツアーでもって、何を示したのか。それはズバリ『成長し続ける等身大の姿』なのではないかなと。……原作で結束バンドは大失敗したライブの後その映像がバズってレーベルとの契約に至るが、現実に降り立った彼女たち結束バンドもまた、同じく華々しい道へ進んでいくはずだ。来年に放送されるであろうアニメ2期と合わせて、歩みを今後もじっくり観測していきたい。そう強く思わせる運命的なライブだった。

【結束バンド@Zepp HANEDA セットリスト】
月並みに輝け
青春コンプレックス
カラカラ
惑う星(新曲)
僕と三原色
milky way(新曲)
Distortion!!
夢を束ねて(新曲)
あのバンド
ドッペルゲンガー
なにが悪い
UNITE(新曲)
忘れてやらない
星座になれたら
秒針少女
今、僕、アンダーグラウンドから
Re:Re: (ASIAN KUNG-FU GENERATIONカバー)

[アンコール]
転がる岩、君に朝が降る (ASIAN KUNG-FU GENERATIONカバー)
ギターと孤独と蒼い惑星
光の中へ

【ライブレポート】サカナクション『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』@大阪城ホール

2年ぶり。指折り数えて2年ぶりである。山口一郎(Vo.G)の鬱病発症に伴い、実質的な活動休止状態となっていたサカナクションによる全国ツアー『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』。それはこれからのサカナクションを語る上で、決して外せないトピックになったのは間違いないだろう。

再起を掛けた運命的なコンセプトライブ『懐かしい月は新しい月 "蜃気楼"』を終え、遂に復活の狼煙を上げた彼ら。もちろんチケットは先行販売の時点でほぼ売り切れとなり、一般発売に切り替わる頃には秒でソールドアウト!今回はそんなツアーの大阪城ホール2daysのうち、後半29日公演のライブレポートを記載する。

滑り込みで会場に入ると、そこには大勢の人、人、人。調べてみたところこの会場のキャパは1万6000人とのことなので、予想がつかないこともない。ただアリーナ席からスタンド席までぐるりと見渡すと、改めてその規模感に驚くばかりである。この会場に集まった全員がサカナクションファン、しかもこの2年間を空白のライブ期間として過ごしてきた人たちだというのだから、これから始まる光景に期待が高まるというもの。なおこの時点でステージには全体を覆い尽くす紗幕(右部分に謎の切れ込みアリ)が張られており、その後ろの様子は一切伺い知れない。

定刻を10分過ぎて「大変お待たせいたしました。まもなく開場いたします」とのアナウンスが流れるとひとり、またひとりと拍手が伝播して大きな塊を作り出す。そして暗転後、紗幕を固唾をのんで見守る我々の耳に最初に鳴り響いたのは、叩き付けるような大雨の音だった。大雨はやがて耳をつんざく雷になり、次に紗幕にデカデカと表示されたのは『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』のビジュアルロゴ!以降は青と白を基調とした色彩でサカナクションの新アーティスト写真や『サカナクション完全復活』といった情報がシュバババ!と流れ、低音EDM風のリズムに合わせて手拍子で応戦する我々である。そしていつしかリズムの中に、聞き覚えのあるひとつのフレーズが聞こえ始める。《アメ フルヨル》。……そう。それは随分と久々に聴く“Ame (B)”のイントロだった。

Ame (B) - YouTube

紗幕の切れ目が次第にパックリ大きく割れ始め、その後ろにある全貌が明らかになる。定位置で演奏するのは岩寺基晴(G)、草刈愛美(B)、岡崎英美(Key)、江島啓一(Dr)、そしてフロントマン・山口一郎の5人であり、確かにこの5人が存在することに感動しつつ、楽曲はどんどん先へと進んでいく。元々シンセサイザー色の強かった“Ame (B)”はこの日は原曲を大胆にダンス寄りにしたサウンドで再構築されており、雰囲気としてはほぼ新曲。またこの時点で青いレーザー光線も異様な数飛んできていて、規模感の違いに改めて驚くばかりだ。

今回のサカナクションのライブで多くの魚民(サカナクションファンの俗称)が驚いたこと、それはセットリストの大改革だろう。というのも基本的にサカナクションは『前半はゆったり・中盤ミドルテンポ・後半にキラーチューン連発』のスタイルを取っていて、事実ここ数年のライブでもオープナーは“朝の歌”や“multiple exposure”といったBPM遅めの楽曲が主だった。そんな中で「初手で“Ame (B)”は凄すぎる!」などと思っていたのだが、真の爆発はその先にあったのだから面白い。

映画「曇天に笑う」曇天ダンス~D.D~ サカナクション/陽炎 - YouTube

……ということで、続く楽曲も驚きの連続。2曲目に披露されたのは何とライブ終盤に演奏されることが定番になっている“陽炎”!イントロが流れた瞬間にまさかの花びら特攻がバアンと発射(ちなみにまだ2曲目です)され、『△』の形に切り取られたモニターには「サカナクション復活」の文字と、着物姿の女性含む大勢の人物が復活を祝うニコニコ顔が映し出される。これ以上ない祝祭空間で、山口はハンドマイクで「ただいまー!」と叫んでステージを闊歩。時には振り付けありで会場を盛り上げていく。後半では《いつになく煽る紅》を《くれない……ない……ないない……》と二重エコーをかけて笑い出したり、花びらを取ろうとジャンプするファンに目を向けたりと本当に楽しそうで、山口にとってライブという場が特別な存在なのだと実感する。

サカナクション / アイデンティティ -Music Video- - YouTube

ロケットスタート状態はまだまだ続き、山口による「みんなアイデンティティ歌える?」とのお馴染みの口上で始まった“アイデンティティ”は、早くも今回のライブのハイライト的盛り上がりを記録。誰もが待ち望んでいたサビでは全員が大熱唱し、モニターには今の我々と同じく熱唱する人々が映し出される合わせ技で、この時点で既に汗だくだ。にも関わらずこのアッパーさはまだまだ失われず、以降はシームレスに緑の照明に感動させられる“ルーキー”、深い青がステージを満たした“Aoi”、ライブ協賛会社である『サンテFX』と深い関わりのある“プラトー”と続いていく。山口は無敵の喉で熱唱、メンバーも全力で弾きまくり叩きまくり。……一体この性急さは何なのだろうと思ったが、これこそがサカナクション復活をテーマにしたライブとして、まず初めにやるべきことだったのだろうなと。

今回のライブで特筆すべき点のひとつがセットリストだとすれば、ふたつ目は『サウンド面の分厚さ』だ。宙に浮いたステージ両方の巨大スピーカー、更には客席に向いた大量の小型スピーカーが象徴するように、今回のライブはスピーカーを増やして音響的な死角を減らすオリジナルシステム『SPEAKER+』を採用。ステージに近ければ近ければ音が良く、後ろに行くに従って悪くなっていく……というのがライブの通例だが、この『SPEAKER+』を導入することで、後ろにいても前方と遜色ない音で楽しむことが出来るというものだ。もちろんそのような大規模なサウンドを提供するのは世界広しと言えどサカナクションだけで、採算度外視でもファンに最高の音楽体験をしてもらいたいとの思いからである。

サカナクション / ナイロンの糸 -Music Video- - YouTube

ここからは一旦アクションを緩め、歌詞世界とサウンドの美しさに浸るミドルテンポゾーンへ。穏やかな“ユリイカ”と“流線”でゆったり揺れたかと思えば、《今更寂しくなっても/ただ 今は思い出すだけ》とする“ナイロンの糸”、《潜り込んだ布団の砂でほら 明日を見ないようにしていた》と語る“ネプトゥーヌス”で、この2年間鬱に苦しんでいた山口の心情にも迫る我々だ。これらの楽曲がリリースされたのは数年前なので、もちろんその頃は山口の精神は顕在だった。けれども数年後にはコロナ禍も含めて予測不能なことが実際に起こった訳で、改めて未来のことは誰も分からないのだなあと。

ボイル - YouTube

特に感動したのは、大阪公演1日目では披露されなかった“ボイル”。《遠くに 遠くに》と高らかに歌い上げる山口のバックで流れるのは、真っ白な画面に黒い文字で書かれた言葉の数々。それらは『悲』や『ライズ』、『日日日日日』、『々々々々々』といった歌詞の断片で、言わばRADWIMPSの“DAMA”、コーネリアスにおけるテレビ番組『デザインあ』を思わせる形。ただ例えば歌詞の《テーブルに並ぶメニュー》だけを考えても、《テーブル/に/並ぶ/メニュー》の言葉はたったひとつも完成されることはなく、画面には『テ』や『並』、『ー』のそれだけでは意味不明な言葉が羅列されていたことに、思わずハッとさせられた。……そう。山口は歌詞を数ヶ月単位で作り込む人(かつて“エンドレス”の歌詞の冒頭のみを2ヶ月悩み続けていたこともある)であることはよく知られているが、これは山口が悩み続けてきた言葉そのものなのだ。だからこそサビ前の《正直 正直 諦めきれないんだ 言葉を》との歌詞にはこれまで以上に胸に迫るものがあったし、言葉を諦めず戦ってくれた彼への感謝の気持ちも、ファン全員が共有していたように思う。

サカナクション / 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』 -Music Video- - YouTube

手を上下に動かすお茶目な“ホーリーダンス”を終えると、会場が突如として暗闇に包まれる。すると紗幕の中央を徐々に切り裂く形でサカナクションメンバーが登場(一体どんな作りになっているかは不明だが、とにかく凄かった)し、ここからはお待ちかね、メンバー全員がサングラス姿+横並びで電子機器プレイで魅せる時間の到来だ。このスタイルはライブの定番ではあるが、開幕を飾ったのはこのスタイルとしては非常に珍しい『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』で、メンバーはMDMI機でシンセ音をツマミで調節しながら、デジタルなサウンドをほぼアドリブで繋げていく。これまでMacを使っての演奏が主だったところを手元のMDMIのみを使用する形に変化させていたのも驚きだが、何よりも『楽曲が凶悪な低音ダンスミュージックに変貌していたこと』が驚きとしてあった。

“バッハ〜”におけるサビ部分以降にシンセサイザーがギャンギャンに鳴り、何重ものドラムの音が心臓を打つそれは原曲とはかなり違った魅力で、思わず体が揺れる。「ライブでしか聴けない“SAKANATRIBE”の打ち込みver、そんなイメージが一番合っているかもしれないな」などと考えていると、そこから“ネイティブダンサー”が同様のアレンジで鳴らされ、手拍子も相まって更に興奮を底上げ。

サカナクション / ショック! -Music Live Video- - YouTube

“ミュージック”のラスサビ前でバンドスタイルに戻ったサカナクション。ここからはクライマックスに至るライブアンセム大投下だ。その全てがハイライト的盛り上がりを記録したのは言うまでもないが、個人的にウルッと来たのは“ショック!”の一幕。「ああ踊りたい……踊りたぁーい!」と山口がブルブル震えて始まった“ショック!”が何故ここまで感動したのかというと、コロナ禍での彼らのライブを知っていたのも理由のひとつだ。思えば“ショック!”が新曲としてライブで披露されていた当初は全員がマスク着用だったけれど、この日は全員の顔が見える。だからこそお父さんと一緒にショックダンスをする子どもも、周囲のファンの様子を見ながら「ちょっとこれ……やっちゃう?」といった困惑アリのニコニコ顔でニョッキを恥ずかしがりながら踊るカップルも、その楽しさが純度100%で伝わってきた。山口は何度も「周りを気にせず、好きなように踊ってほしい」といったことを話していたが、CD音源では絶対に伝わらない現場感がこのフロアを満たしていた。

サカナクション / 新宝島 -Music Video- - YouTube

そしてこの日イチの爆発が起こったのは、もちろん“新宝島”。『△』に区切られたオレンジのVJをバックに、あのイントロが完全バンドサウンドで流れた時点で号泣モノだが、今回はPV同様ダンサーも勢揃いのパフォーマンスに。ここまでほぼノンストップで歌い続けていた山口が、天井知らずの声量で《このまま君を連れて行くと/丁寧 丁寧 丁寧に描くと》から始まるサビを歌った瞬間、思わず涙が出た。ここ数年の悩みや憂鬱、その他諸々の出来事がこの日のためにあったのだと、言わば全肯定してくれるような高揚……。この楽曲には絶大な力が宿っていると改めて感じたし、その感動とは逆のエンタメ性として、ダンサーのポンポンによってヘアスタイルが乱れまくる岩寺のギターソロも茶目っ気たっぷりで最高。

サカナクション / 忘れられないの -Music Video- - YouTube

そして、いつしかライブは最後の楽曲に。山口が「本日はどうもありがとうございました。この日が忘れられない夜でありますように」と語って始まったのは、近年のラストソングの定番“忘れられないの”。南国とおぼしき映像と共に、山口はステージ上で正拳突きや中腰の決めポーズなど様々なアクションを取りながら進行し、最初のサビでは金色の紙吹雪が宙に舞う粋な計らいも。VJが夜のネオン街に変化した後半ではカメラワークがメンバーへと切り替わり、字幕付きでメンバー紹介をする特殊な仕掛けもありつつ、全編通してまさに『忘れられない』夜を構築したサカナクションである。

一旦舞台は暗転し、ここからはアンコールへと突入。『turn』仕様のお揃いのツアーTシャツで再登場したメンバーたちは、MCなしの本編を取り戻すかのようにしばし談笑。最も盛り上がったのは盟友・江島とのトークで、この前日のライブ終了後に江島がタコタコキングのたこ焼きを食べた話をすると、山口が「俺思うんだけど、カリカリのたこ焼きって違うと思うんだよね……。特に大阪は」といろいろ物議を醸しそうな持論を展開し爆笑を誘っていく。ちなみに山口は神座(カムクラ)の野菜ラーメンを食べていたく気に入ったそうで、その話を聞いたファンがライブ後に押し寄せたとか何とか……。

サカナクション / 夜の踊り子 -Music Video- - YouTube

アンコール1曲目は、山口が「みんなまだまだ踊れる?」と呼び掛けての“夜の踊り子”。画面に踊り子の姿が映し出されるのみならず、実際の舞妓さんが2名山口の横で踊る演出にも驚く。「これは相当な金がかかっている……!」と思ったのも束の間、「サカナクションは今年結成17年目を迎えました。なので次は17年前に作った曲をやりたいと思います」と“白波トップウォーター”をドロップする彼ら。その中心で歌うのは変わらず山口だが《通り過ぎていく人が 立ち止まってる僕を見て/何も知らないくせに笑うんだ》との歌詞を聞いていると山口の鬱にも触れたような、また「17年前の曲とはいえ全く違った響きを持つものもあるんだ」などと再認識する。

サカナクション / 白波トップウォーター -Music Video- - YouTube

そんな様々な思いが混在した楽曲をじっくり聴かせると、山口が今回のライブの音響設備の増強について説明する時間に。まず山口はステージ上部にある巨大なスピーカーと、ブロックで分けられた客席に向いた小型スピーカーによる『SPEAKER+』に触れ「僕が始めてライブハウスに行ったとき、その音に圧倒されて凄く感動しました。元々音楽が好きだったからCDでは何度も聴いていたけど、ギターやベース、ドラムが耳に迫る感覚というか……。あの体験があったからこそ僕はミュージシャンをやれていると思います。だから僕らのライブに来てくれる人にはたとえ大赤字でもしっかりとした音を届けて、あの時の僕のような感動を持って帰って欲しいと思ってます」と、音に対する思いを語ってくれた。

そして「今日は少し実験をしたいなと。今から“新宝島”を通常のスピーカーの状態で演奏します。そこからある場面でSPEAKER+をONにしますので、皆さんにはその違いを感じてもらいたい」とし、ここからはこの日2度目の“新宝島”へ!正直なところ第一音を聴いた印象としては悪くはない……というか「確かにホールの音響ってこんな感じ」といった感覚だ。しかしサビでSPEAKER+がONになると、一気にグワッと胸に迫るササウンドに変化。個人的には「いつONになるんだ……?」という緊張感であまり集中できていなかったのだが、特に後ろの席で観ている人にはかなりの驚きがあったようで、称賛の声をX(旧Twitter)上で多く見た。山口も「みんなこの音が当たり前だと思わないでね!我々が異常なことをしてるだけなので」と満足げだ。

ひとしきりサウンドの魅力を語ったところで、最後のMCが山口から語られる。「正直2年間休んだときには『もう活動できないんじゃないか』、『一度活動を止めたら離れていってしまうんじゃないか』と思っていました。……でもこうしてソールドアウトするくらい皆さんに集まっていただいて。本当に嬉しいし、応援していただいている皆さんのお陰だと改めて思います」と心情を吐露した山口。そして「実はレコーディングも始まってます。もうすぐ新しい曲をお届けできると思いますし、もっとワクワクドキドキするような曲や体験を、皆さんと共有したいです」と語る。

シャンディガフ - YouTube

そして「最後は2年前にリリースしたアルバムから、またサカナクションが活動を再開したら一番にやりたかった曲を披露して終わりたいと思います」と鳴らされた最後の楽曲は“シャンディガフ”。この楽曲で歌われるのはアルコールへの渇望ではあれど、山口は下戸であるため酒はほとんど飲めないことでも知られている。では何故この楽曲にアルコールの要素を入れたのかと考えると、一種の逃避欲求のようにも感じる。岡崎によるピアノの旋律と共に歌われる《ビールを飲んでみようかな/ストーンズジンジャーを入れて飲んでみようかな》の歌詞にうっとり酔いしれていると、いつしかモニターにはエンドロールが流れ始める。ファン全員がメンバーや関係者、スタッフの名前が出てくるたびに拍手をする光景は映画のラストのようにも思えて本当に感動した。

大々的なライブとしては2年ぶりのサカナクション。始まる前こそ山口の体調を気遣う人も多かったことと推察するが、結果としてはこれまで観たどのライブより熱く、エネルギッシュな4人を観ることができた2時間半だった。

「鬱は完治することはない病気」だとよく言われる。だからこそ根を詰める山口の制作スタイルからしても、また同じことが起こる可能性もあるだろう。ただ少なくとも、彼は1万6000人の前でサカナクション完全復活をこれ以上ない魅力で証明したのだ。……先の見えない深海から、再び我々の元に“turn”したサカナクション。次の楽曲がどのようなものになるかは分からないが、彼らの選んだ次なる選択を、今は座して待ちたいと思う。

【サカナクション@大阪城ホール セットリスト】
Ame (B)
陽炎
アイデンティティ
ルーキー
Aoi
プラトー
ユリイカ
流線
ナイロンの糸
ネプトゥーヌス
ボイル
ホーリーダンス
『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』(Remix ver.)
ネイティブダンサー(Remix ver.)
ミュージック
ショック!
モス
新宝島
忘れられないの

[アンコール]
夜の踊り子
白波トップウォーター
新宝島(Speaker+ ONとOFF比較ver.)
シャンディガフ

【ライブレポート】マカロニえんぴつ『マカロックツアーvol.18 〜わたし、しばらく家を出ます!don’t call マザー☆鈍行27本ツアー〜』@島根県民会館

去る5月26日、今や若手ロックバンドの中心部とも言えるマカロニえんぴつによる島根公演が開催された。『マカロックツアーvol.18』とのタイトルに冠されている通り、このツアーは今回で18回目を数える毎年恒例の全国行脚の一環ではある。ただ今回のツアーがこれまでとは大きく異なる点としては、規模感が圧倒的に増したこと。これまでは小バコのライブハウスが主だったものが、今回は全ホールで構成。更にはひとつの例外もなく、チケットが一般発売と同時に即完する怒涛の売れ行きを見せ、結果当日は超満員であることはもちろん、あまりの人気により急遽席に収まらなかったファンが一番後ろでスタンディングで鑑賞するチケットも販売される……という異様な状況で行われることとなった。

会場に入ると、まずステージ上に置かれているギターやベース、キーボード、ドラムといった楽器の他、中央にそびえる鉄のアーチが目を引く。元々マカえんはライブハウスで力を磨いてきたバンドのため、この光景だけを見れば「シンプルなライブになるのかな」などと思ったりもしたが、実はそうでもなかったりして。詳細は後述するが、多くの演出を盛り込んだ特別セットだったのは特筆しておきたいところ。

パンパンの客入りとなったライブは、定刻の17時にスタート。ザ・ビートルズの“Hey Bulldog”のSEに乗せて姿を見せたのは高野賢也(B)、田辺由明(G)、長谷川大喜(Key)、サポートメンバーの高浦“suzzy”充孝(Dr)の4人で、彼らに遅れるようにしてフロントマン・はっとり(Vo.G)が登場。まだ音を鳴らす前にも関わらずオフマイクで談笑したり、準備運動をする様は余裕綽々といった様子で、彼らなりにこの日のライブを楽しもうとしているのが伝わってくる。

スタンド・バイ・ミー - YouTube

気になる1曲目は、ファンからの隠れた名曲との呼び声高い“スタンド・バイ・ミー”。爆音で始まった演奏を合図に、一気に全員が立ち上がる客席である。歌われる内容はマカえんにしては珍しく支離滅裂、そしてサウンドの随所にはザ・ビートルズの“I Want To Hold Your Hand”やUNICORN“おかしな二人”といったポップロックを思わせる箇所もあり、彼らが様々な音楽を吸収しているという事実をも示していた。また何よりも驚いたのはステージの演出で、これまで全く何も見えなかったステージ後方には海外のサグラダ・ファミリアのような装飾と赤・黄色・青の明るい色彩がシュバババと変遷する映像が投影されたり、青いレーザーが縦横無尽に動き回ったりとやりたい放題。早くもファンの心を掴んだマカえんのライブは、そんな満面の笑顔でのスタートとなった。

今回のセットリストは全てのアルバムから抽出しつつ、ライブ定番曲を網羅した現時点でのベスト!29日に発売予定の新作EP『ぼくらの涙なら空に埋めよう』を含め、ライブで必ず演奏される定番曲、またファン人気の高いいわゆるB面曲に至るまで、2時間ジャストに詰め込んだ盤石さが光る。また先述のライブ描写の通り多くの演出効果が凝らされていたのも特徴的で、具体的には中央にそびえる鉄のアーチにはLEDライトがいくつも仕込まれていたり、ステージ背後には映像が投影されたり、上下にはレーザー光線の照明装置。後半では、スモークやミラーボールも追加されるという……。とにかくとてつもない労力を割いたものだったことも特筆しておきたいところ。ちなみにこのツアーの模様は録画・録音されていたそうなので、今後発売されるCD特典にもなりそうな予感。

マカロニえんぴつ「たましいの居場所」MV - YouTube

リズムに合わせて長方形のキラキラカラーが炸裂した“遠心”と“恋のマジカルミステリー”、はっとりが「歌える?」とファンを誘導した“たましいの居場所”と続くと、この日初のMCへ。開幕の話題はここ島根県についてで、実は今回のライブが6年ぶり、2度目での島根ライブであることを公表。当時のキャパシティは250人で、ソールドアウトもしていなかったように記憶しているが、今回の島根県民会館はキャパ1700人で即日ソールドアウト。彼らがこの数年でどれだけの実力をつけてきたのかを証明する結果だ。更には「今日は若い人も、お父さんも子供も来てくれていて……。2024年、マカロニえんぴつは国民的バンドになったんじゃないかなと思います」とはっとり。それが決してビッグマウスではないことを実感するのが今だった。

マカロニえんぴつ「恋人ごっこ」MV - YouTube

ここからはミドルテンポな楽曲で、彼らの歌詞世界に浸るモード。おそらくマカロニえんぴつと言えば漠然と『恋愛』のテーマをイメージする人が多いことと推察するが、楽曲を紐解いていくとシンプルな終幕を迎える物語はほぼなく、失恋も純愛も……。場合によっては「僕らは出会うべきだったのか?」という根本的な疑問も含めて、人生への問いに帰結する流れを強く感じた。中でも印象的だったのはイントロが流れた瞬間に沸いた“恋人ごっこ”。《「ねえ もう一度だけ」 を何回もやろう/そういう運命をしよう》とする冒頭こそ、順風満帆の恋愛生活にも思える。ただ次第に物語は《「ねえ もう一度だけ」 もう無しにしよう?/そういう運命を取ろう》とふたりの距離が離れていることを示唆し、結末は《ただいま さよなら/たった今 さよなら》と別れに繋がっていく。生を感じる究極的なものは恋愛だとよく言われるけれど、それを得るためには多くのものを失う経験値も必要なのだと、彼らはグッと迫るボーカルとサウンドで伝え続けていく。

また彼らのライブを観て感動したのが、既存の音楽への多大なリスペクトがあったこと。はっとりのアーティスト名が奥田民生の“服部”という楽曲に由来していることは広く知られているが、何度も「島根ー!」と叫ぶ様は奥田民生のそれを彷彿とさせる。更には歌い方に関してはMr.Childrenの桜井や小田和正、特にセトリの前半部の曲はoasisのノエル・ギャラガー、ザ・ビートルズのジョン・レノンと、様々なアーティストの楽曲と歌い方を取り入れながらマカえんオリジナルに落とし込んでいる点は本当に素晴らしいと思った次第だ。少し話は逸れるが、昨年Vaundyがリリースしたアルバムに『Replica(複製品)』がある。このアルバムは「音楽とは絶対的に誰かのパクリであり、オマージュである」との思いを具現化したものだそうだが、マカえんも同様に様々な音楽性を吸収して独自に放つことが結果、多くのファンに届いていることを感じさせてくれた。

マカロニえんぴつ「春の嵐」 from マカロックONLINEワンマン~豊洲から愛を込めて~ - YouTube

ここまで全員がスタンディング、ほぼノンストップで楽曲を投下し続けてきた会場だが、ここで一旦のブレイク。”春の嵐“の後は20分以上にも及ぶこの日最長となるMCタイムで、マカロニえんぴつの柔らかな人間性を楽しむ場面に突入していく。どうやら彼らは今回の島根ライブの前日に到着してプライベートを満喫していたらしく、今回のトークテーマはズバリ「前乗りして島根で何をしてた?」。

まず口火を切ったのはギターの田辺。運動好きとしても知られる彼はホテルから国宝・松江城までの距離をランニング(約30分コース)、その後は松江城をじっくり楽しんだ様子。ただ思った以上に松江城内部の階段は急だったらしく「俺が城に住んでたら、多分酒飲んで転がり落ちると思う」と語った田辺に、はっとりは「そんな人が城を守れる訳ないじゃん」とピシャリ。更には松江城の中で『マカロニえんぴつ』と書かれたグッズを着用していたファンとすれ違ったというが、気付かれなかったようで……。それを聞いたはっとりは「君はプライベートもファンに気付かれたいの?放っておいてほしいの?」との問いで揺さぶったり、「有名人といえば俺、モグライダーのともしげさんを古本屋で見たことある。全然潜ってなかった。ちゃんと地上にいたわ」とボケたりとやりたい放題。

ベースの高野は、島根県が海産物で有名なこともあり『海の幸』が食べられる場所を探訪。かなりの距離を歩き回った彼だったが、出てくるのは居酒屋ばかり、結局は海の幸とは全く関係のない全国チェーン『串焼き屋山ちゃん』で酒を飲んだのだという。ただここでもはっとりのイジりは止まらず、串焼きに掛けて「でもここから気分は上がっていく(揚がっていく)んじゃないの?」と全力ツッコミ。しかしながらあまり盛り上がっていないフロア(この場面で大勢が座っていたのもある)を見つつ「皆さんお疲れですか……?」と困惑するはっとりに、またも爆笑が広がっていく。

マカロニえんぴつ「忘レナ唄」MV - YouTube

続いてのキーボードの長谷川によるサウナ談義に花を咲かせ、はっとりの恒例シャトルランが挟まれたところで、ライブは後半戦へ。ここからは知る人ぞ知るミドルテンポ・打ち込み満載の楽曲で臨み、ファンの思いに応えていく。チルな曲、グルーヴ感を持った曲、全員で合唱する曲……。間髪入れず慣らされる楽曲には様々な魅力があった中で、明確に爆発したのは新曲の”忘レナ唄“。無骨なロックサウンドが鼓膜を揺らす、その中心を射抜くはっとりが歌うのは辛かった思い出や、夢を追うことで失ったもの。ただそれらを取って《けどどうだっていいのさ》と未来へ繋げていく歌詞には、心底心を揺さぶられた。この楽曲を”忘レナ唄(忘れない歌)”と題したのも、彼ららしい。

マカロニえんぴつ「洗濯機と君とラヂオ」 MV - YouTube

人生を諦めた人間が地球から逃避する“月へ行こう”、現実から遠く離れた場所に行くことを目指す“悲しみはバスに乗って”と続いて鳴らすと、はっとりは「ここからラストスパートですが、今回のツアーのアンコールはありません!最後まで全力で燃え尽きたいと思うんですが、島根の皆さん行けますかー!」とブチ上げ、ここからはロック色強めのライブアンセムを連続投下!その幕開けとして鳴らされたのは“洗濯機と君とラヂオ”。ボリュームがどんどん上がっていく映像をバックに、フライングVをギャンギャンに掻き鳴らす田辺が先導する様は圧巻だったし、サビでははっとりがマイクから離れ、ファン全員で大合唱する場面もあり美しい。

マカロニえんぴつ「ヤングアダルト」MV - YouTube

彼らの歌詞の妙に唸ったのは、ラスト前の”ヤングアダルト“。リストカットを《手首からもう涙が流れないように》と言い換え、酒への依存を《僕らに足りないのはいつだって/アルコールじゃなくて愛情なんだけどな》と真理を突くこれらの歌詞を指して、はっとりは「これこそが前を向くということ」であると信じて疑わない。……そんな『ヤング(若者)』が『アダルト(大人)』になることで起こる精神性の変化を、会場に集まった若いファンが熱唱している光景。それを希望と呼ばずに何と言おうか。

”ヤングアダルト“が終わり、はっとりによる最後のMCへ。照明が限界まで落とされたステージで彼は「基本、人は孤独です。基本、ひとりで頑張ってください。でも僕は孤独を悪いことだとは思ってなくて。なぜならひとりの時間を大切に出来ない人は、隣に大切な人が本当はいるのに、それを気付かず蔑ろにしてしまうからです」と思いを吐露していく。……先述の通り、彼らの楽曲におけるテーマは恋愛だ。しかしながら恋愛は最も幸福度の高いものであると同時に、何かの選択を誤った瞬間に孤独になるものでもある。この日歌われた楽曲すべてに『恋愛』と『孤独』があったのだと、瞬時に思い返す我々である。

マカロニえんぴつ 「なんでもないよ、」 OKKAKE ver. MV - YouTube

そして「このライブが終われば僕らマカロニえんぴつも、また孤独に戻ります。今日出会ってくれた孤独なあなたと僕たち全員で、マカロニえんぴつでした」と語ると、最後の楽曲は”なんでもないよ、“。満天の星空の映像をバックにはっとりが歌うのは本心を言いたい、でも面と向かっては言えない弱い男の心情だ。会いたい、傍に居たい。守りたい……。それ以上に大きい《僕より先に死なないでほしい》という思いさえも言葉にできず、最終的に放った言葉は“なんでもないよ、”。『、』の部分に含まれた意図も含めてハッとするこの曲を、ファンは大熱唱で応えていく。一度サビ部分ではっとりがピタッと歌唱を止めてファンに任せる場面があったけれど、驚いたのはその一瞬の間に聞こえたファンの歌声。……そう。『バトンを渡されたから歌う』のではなく、ファンが『元々歌っていたところにバトンが渡された』のだ。それほど彼らの楽曲が心を掴み、浸透している証左なのだろうなと。

アンコールなし、本編ジャスト2時間で構成された今回のライブは、端的に言えば『マカロニえんぴつが売れている理由』を突きつける代物だった。ライブを観る前はそれこそ歌詞の魅力や歌声ばかりに注目していた身だが、ライブという場でドカン!と直接受け止めるうち、CD音源以上の迫力が伴ってくる……。結果それがライブのリピーターを増やすことにも繋がっているのだろうと思った次第だ。「売れるアーティストには理由がある」とよく言われるけれど、マカロニえんぴつに関してはライブの求心力も影響しているのだとハッとさせられた一夜だった。素晴らしかったです。

【マカロニえんぴつ@島根県民会館 セットリスト】
スタンド・バイ・ミー
遠心
恋のマジカルミステリー
たましいの居場所
愛のレンタル
リンジュー・ラヴ
恋人ごっこ
たしかなことは
二人ぼっちの夜
春の嵐
クールな女
TREND
ノンシュガー
ネクタリン
レモンパイ
忘レナ唄
月へ行こう
悲しみはバスに乗って
洗濯機と君とラヂオ
ワンドリンク別
ハートロッカー
ヤングアダルト
なんでもないよ、