1866年岩手県に生まれる。本名一(はじめ)。盛岡中学校在学中に新詩社の文学活動に影響され文学への関心をもつ。後、与謝野鉄幹の指導をうけ啄木の号を得て詩作に専念。生活の現実に根ざした作品は歌壇に新風を吹きこみその言葉と形式は、大正以後の歌壇に多大な影響をあたえた。1912年没。