大切な人を想う日 | 岩手日報

3月11日を、すべての人が
「大切な人を想う日」に。

2021年2月17日、
皆さんの署名が「東日本大震災津波を語り継ぐ日」
条例成立のきっかけとなりました。
たくさんの賛同を、ありがとうございました。

3月11日。それはすべての人が
明日が来ることは当たり前ではない、と知った日。

すべての人に関係する日にすることで風化をふせぎたい。
岩手日報は、3月11日を「大切な人を想う日」にできないか、と考えました。

あの日の悲しみと教訓を永遠に語り継ぎたい、と
2018年3月11日に始めたこの運動には、
2万3千人を超える皆さんからの署名が集まりました。

2020年10月9日には、岩手県内の各種団体有志により、
「3月11日を岩手県民の日『大切な人を想う日』にすることについての請願」が
岩手県議会へと提出されました。

この請願は10月27日に採択されました。

そして、震災10年となる3月11日を前に、
岩手県条例「東日本大震災津波を語り継ぐ日」
が県議会の全会一致で可決されました。

署名と声をお寄せくださった皆さん、
本当にありがとうございました。

岩手日報

賛同の署名数 23,669
2021年2月17日
「東日本大震災津波を語り継ぐ日」条例成立日
  • 瀬戸内寂聴
  • 藤井香子 ふじポン
  • 菊池雄星
  • 佐藤洋太
  • 熊谷由輔
  • 大澤桃子
  • さとう珠緒
  • 松本哲也
  • 中村憲剛
  • 小林悠
  • 桂枝太郎
  • 福田萌
  • のん
街の復興を音楽で残すプロジェクト
岩手 after 12 years

2024.3.11

3月11日を、大切な人と話す日に
ごめんね.
を言う日にできたなら。

自分が働いている間、
母は障がいのある私の娘を
育ててくれていた。

そんな中、母は一泊で東京へ行き、
帰ってきて私に
「(娘の世話が)大変だったでしょ?」
と声をかけてきた。

母に迷惑をかけたくない思いから、つい
「(お母さんが)いなくて(むしろ)よかった」
と言ってしまった。

母は
「そうか・・・いなくてよかったか」
これまでにいちばん悲しそうな顔をして
つぶやいた。


そしてそれが、最後になった。
些細な喧嘩をしたまま。
その後悔は、一生消えない。


母親と喧嘩をしたまま…。

イライラして祖母の顔も見ずに出ていったまま…。


被災地には、些細なことから喧嘩したまま
ご家族や友人と永遠に別れることになってしまった
人たちがたくさんいます。

「あのときはごめんね」を言いたい。
みな揃って口にするのは、
何年たっても消えることのない、
心からの後悔でした。

仲の良い家族や親友であっても、
もちろん喧嘩や言い合いはあります。

でも。
2011年3月11日。
私たちが知ったのは、
明日が来るのは当たり前ではない、ということ。

だから岩手日報は、
3月11日を、一年に一度の
『大切な人に「ごめんね」を言う日』にもできたら、
と思います。

あの日から消えることのない無数の後悔を
小さな行動に変えて日本中に広げていけたら、
「数万人が亡くなった大震災」ではなく
ひとりひとりの震災を未来に伝え続けていける。

どうか、今日、大切なあの人に
言えなかった「ごめんね」を伝えてください。

3月11日を、
一年に一度の「ごめんね」を言う日に。

岩手日報


亡くなった人への手紙を集める
漂流ポスト(陸前高田市)


漂流ポスト
東日本大震災で亡くなった人へ宛てた手紙を預かるポスト。
2014年に開設されて以来、全国から手紙が寄せられている。
特命や被災者以外の手紙も受け付ける。

〒029-2208
岩手県陸前高田市広田町赤坂角地159の2 「漂流ポスト3・11」
3月11日。
仕事へ急ぐ自分に、
母が心配して
「急がず、ゆっくり運転して」
といってくれた。

ついイラッとして

「・・・」

何も言わず、顔も見ず、
怒りのままドアを強く閉めて
出ていった。

そしてそれが、最後になった。


最後だと
わかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

ノーマ コーネット マレック・作  佐川 睦・訳 「最後だとわかっていたなら」 サンクチュアリ出版・刊 より


能登半島地震の犠牲になられた方々へ祈りを捧げるとともに、
被災された皆さまへお見舞いを申し上げます。

2023.3.11

持ち主の元へ帰れない拾得物は、まだ23万点以上ある。
13年目の廃棄処分を前に、これらの拾得物に心当たりのある方を探しています。
岩手日報か、大槌町までご連絡ください。

2023年3月21日から始まる廃棄処分を前に、大槌町の許可を得て震災拾得物を並べて撮影しました。
撮影後は、元の状態に戻して大切に保管されています。

企画・制作 岩手日報社 広告事業局 〒020−08622 岩手県盛岡市内丸3-7 TEL 019-653-4119
もう一度も取ってきてほしい
思い出の品はありますか。

「あの日流されてしまったものについて、
もはや考えたこともなかったです」

大槌町出身の阿部辰子さんは、
身一つで避難した盛岡で
穏やかな暮らしを続けている。
嫁いでから長年住んだ愛着のある家は、
写真一つ残さず津波に流されてしまった。

今年、大槌町の震災拾得物の廃棄が
3月21日から始まることを知った。
※写真は引き続き保管

災害公営住宅が縁でできた
友人2人と一緒に
「写真一枚でも見つかれば」と
すがる思いで故郷を訪ねた。

3人で探し始めて20分あまり。
約5万枚のデータベースの中から、
友人が声を発した。

「これ…」

20年ほど前の同窓会の写真。

「あ、これ、私だ…」。
写真の中で、若き日の自分が立っていた。

「涙が出る…」

阿部さんは、目を潤ませ、そうつぶやき、
職員から写真を受け取った。

岩手県内の東日本大震災拾得物は、
未だ23万5000点以上もある。

そんな中、10年以上経ったことで
拾得物の廃棄処分を決断する自治体も増えている。

アルバム。表彰状。母親への粘土細工のプレゼント。
ランドセル、寄せ書きのボール。卒業文集…。
拾得物はすべて、誰かの家に置いてあったもの。
「誰かに大切にされていたもの」であり
「家族や、仲間や、震災で亡くなった人との
思い出が詰まっているもの」でもある。

膨大な数のデータベースを探すのは簡単ではない。
見つからないかもしれない。

でも、あなたの思い出が処分されてしまう前に、
どうかいま一度、下記の保管場所へ探しに来てほしい。

思い出の品は今日も、
あなたとの再会を待ちつづけている。

ひとりひとりの震災に、寄り添いつづける。
岩手日報

野田村
野田村役場未来づくり推進課
TEL 0194-78-2963
野田村野田第20地割14
写真約1万3千枚保管

岩泉町
岩泉町役場小本支所
TEL 0194-28-2111
岩泉町小本字南中野239-1
写真約2800枚保管

宮古市
宮古市役所生活課被災者支援室
TEL 0193-68-9136
宮古市宮町1丁目1-30
写真約1万4千枚、物品約200点保管

大槌町
大槌町役場協働地域づくり推進課震災伝承推進班 思い出の品担当
TEL 019-42-8718
大槌町上町1-3
写真約5万枚、物品約300点保管
※令和5年3月21日を以て、写真以外の拾得物を順次廃棄します

釜石市
釜石市役所震災検証室
TEL 0193-27-8438
釜石市只越町3丁目9-13
写真約4万5千枚、物品約2千点保管

大船渡市
大船渡市社会福祉協議会
TEL 0192-27-0001
大船渡市立根町字下欠125−12
写真約3万6千枚、物品約20個保管

陸前高田市
一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
TEL 0192-47-4848
陸前高田市竹駒町字館44(旧市立図書館事務所)
写真・プリクラ約7万4千枚、物品約2,400点を保管・展示

協力:大槌町、もりおか復興支援センター
最後だと
わかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

ノーマ コーネット マレック・作 / 佐川 睦・訳
「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版・刊 より)


どうか今日、ひと言でも、電話ででも大切な人と話してください。

なぜなら今日、3月11日は、
明日が来るのは当たり前ではないと知った日だから。

3月11日を、大切な人と話す日に。

岩手日報

#PrayForTrukeyAndSyria
トルコ・シリアの皆さまとともに。

岩手県条例より3月11日は「東日本大震災津波を語り継ぐ日」に制定されています。総署名数23,669名

2022.3.11

震災から11年。
まだ家族の元へ帰れない遺体がある。
震災から11年。
まだ家族の元へ帰れない47の遺体。
いま、かすかな希望は、
他人であるあなたです。


岩手県の行方不明者はまだ1000人以上。
その中で、身元不明の遺体47体が、いまだにご家族のもとに帰れていません。

焼けてしまいDNAが採取できなかったり、
沿岸部の歯科医院が流され歯型の照合が難しいこともありますが、
着ていた服や遺品や顔の予想図も岩手県警のホームページに載っています。

しかし、ホームページへのアクセス数も
行方不明者を探す相談会への参加人数も年々減り、

まだご家族のもとへ帰れていないのです。


震災から11年が経ち、風化がどんどん進行しているいま、
かすかな希望は、行方不明者のご家族ではなく、
知り合いまたは顔見知りの可能性がある「あなた」です。

この人を見たことあるかも・・・
この遺品に見覚えがある・・・

岩手県警のホームページを見ていただき、たとえ勘違いであっても
情報をお寄せいただいたら、何かが判明するかもしれません。


ひとりでも多く、ご家族の元へ。
岩手県警ホームページのアクセス、
あるいはこの情報の拡散を、心からお願いいたします。


風化させてはいけない震災がある。

岩手日報
最後だと
わかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい


そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

ノーマ コーネット マレック・作 / 佐川 睦・訳
「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版・刊 より)


どうか今日、ひと言でも、電話ででも
大切な人と話してください。

なぜなら今日、3月11日は、
明日が来るのは当たり前ではないと知った日だから。

3月11日を、大切な人と話す日に。

岩手日報
これは2011年3月11日の岩手日報テレビ欄。
午後2時46分までは、普段どおりの日常でした。


11年前のあの日、わたしたちが知ったのは

人は今日、何が起こるか知ることはできない

ということ。


だから今日3月11日、大切な人と話してください。

「元気?」「ありがとう」
何気ないひと言でも、離れた家族に電話するのでもいい。

明日はきっとやってくるけれど、
明日が来ることが当たり前ではないと知った3月11日に、
どうか、大切な人と言葉をかわしてください。


震災も、後悔も、風化させない。
岩手日報

2021.3.11

大切な人と、今日、話そう。


大切な人と、今日、話そう。
「ごめん」を伝えられずに会えなくなったら、一生後悔することになるから。

大切な人と、今日、話そう。
「いってらっしゃい」を言わなかったことを、ずっと引きずってしまうから。

大切な人と、今日、話そう。
年月が経つと、声を出すことが難しくなってしまうから。

大切な人と、今日、話そう。
朝、出かける我が子と話すのが最後になると、わかる人はいないから。

些細なことでも、一言でも、電話でも、メールでもいい。
大切な人と、今日、話そう。
今日話さなくても明日はきっとくるだろう。
でも10年前の今日は、明日が来るのは当たり前ではないと知った日だから。

あの日起こった無数の後悔を、少しでもなくすために、3月11日を、大切な人と話す日に。

まだ10年。震災も、後悔も、風化させない。

岩手日報



震災の風化をふせぎ、あの日の悲しみと教訓を伝えるために3月11日を「大切な人を想う日」にしたい。
岩手日報の広告に寄せられた署名の数は2万を超えました。

そして、この署名がきっかけとなり、今年から3月11日が「東日本大震災津波を語り継ぐ日」となりました。
みなさまの署名とあたたかい応援に、深く感謝いたします。

岩手日報
街の復興を音楽で残すプロジェクト
岩手 after 10 years


震災10年のきょう、岩手日報は「変わりゆく被災地の街並みを音楽で残す」プロジェクトをはじめようと思います。
これは、震災前、震災直後、震災10年。それぞれの街の風景に音符を置いていくことで、街が奏でる「復興10年の曲」をつくるプロジェクト。
いまこの瞬間にしかできない、世界にひとつだけの曲には、復興の進み具合も、消えていく古い街並みも、譜面に記録されます。

そしてこの度、この年間プロジェクトへの参加を募集します。

①震災前の街並み写真
②震災直後の街並みの写真
③同じ場所・同じアングルで今年あなたが撮影した写真

①②③か、①③、②③があれば、ぜひ、メールまたは岩手日報Twitter、Facebookページまでお寄せください。

釜石の曲、陸前高田の曲、宮古の曲など、市町村ごとに曲ができたら、2021年の風景をもっと詳細に残すことができるはず。このプロジェクトにぜひ、ご参加ください。
最後だと
わかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい


そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

ノーマ コーネット マレック・作 / 佐川 睦・訳
「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版・刊 より)

2020.3.11

震災で亡くなった方々の、日常の言葉。

でも、最後の言葉。
最後だと
わかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい


そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

ノーマ コーネット マレック・作 / 佐川 睦・訳
「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版・刊 より)
大切な人と、今日、話そう。

「まぁ、よかったな」「うん、おいしい」「おう」「いってらっしゃい」「また、来週ね」

これらは、震災で亡くなった方々の、日常の言葉。
そして、最後の言葉。

わたしたちは、明日何が起こるかを知ることはできない。

だから、今日3月11日、大切な人と話してください。
「ありがとう」や「ごめんね」を伝えてください。
あの日、あなたが知ったように、明日が来るのは、当たり前ではないから。

あの日の後悔と悲しみを繰り返さないために、3月11日を、大切な人を想い、大切な人と話す日に。

岩手日報

2019.3.11

明日何が起こるのか、
わたしたちは
知ることはできない。

「 最後に食べたのは、わたしのお弁当だった。
  もし最後だとわかっていたなら・・・ 抱きしめた・・・かな 」
    
そう言って、お母さんは手で顔を覆った。

「 華ちゃんは、本当にかわいい子でした 」
ボランティアで震災の遺体を修復し、
家族と対面させつづけた「おもかげ復元師」笹原留似子さん。

彼女が遺体と対面したとき、
華さんの髪の中にはたくさんの砂が入り込んでいた。

村上華さん17歳。誰からも慕われた高田高校水泳部の高校生。
部活中に地震に遭遇し、避難先に津波がやってきた。

「水泳部の友達と手をつないで最後までがんばったそうです。
 年ごろのかわいい女の子だから、美しい姿にしてあげたかった」

復元師は、お父さんが井戸から汲んでくる水をかけつづけ、
リンス、シャンプー、リンスをして、
砂をすべて落とし髪の毛を美しくさらさらにした。

「笑顔がかわいいから、少しだけ口を開けた寝顔にしたほうがいい、
 と笹原さんが言ってくれたんです。
 寝ているかのように娘を戻してくれて、本当に、感謝しています 」
華さんのお母さんは、絞り出すようにつぶやいた。



少女は、祖母が成人式に渡すつもりだった着物を着て、
家族に別れを告げた。


あの日さえなければ、華さんは今年、25歳になる。


あの日、明日が来るのが当たり前ではないとすべての人が知った。
3月11日を、いまそばにいる「大切な人を想う日」に。
今日3月11日を、
いまそばにいる
大切は人を想う日に。

ボランティアで震災の遺体を復元し、
家族と対面させつづけた
「おもかげ復元師」笹原留似子さん。
修復しながら遺体と交わした会話を
イラストと文章で綴りました。

あの日が、大切な人との最後の日になる、
とわかっていた人は、どこにもいない。
それでも。

最後だと、わかっていたなら。

数えきれない悲しみと後悔と教訓を
風化させないために、
3月11日を、いま、そばにいることが当たり前の
「大切な人を想う日」にしたい。

この運動を拡散してくれるだけでも、
大きな力になります。
いつの日か、3月11日を町や県や国の
 「大切な人を想う日」にするまで
わたしたちの小さな運動はつづきます。
最後だと
わかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい


そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

ノーマ コーネット マレック・作 / 佐川 睦・訳
「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版・刊 より)



3月11日を、すべての人が
「大切な人を想う日」に。
あなたの署名を
わたしたちにください。

3月11日。それはすべての人が
明日が来ることは当たり前ではない、
と知った日。

すべての人に関係する日にすることで
風化をふせぎたい。岩手日報は、
3月11日を「大切な人を想う日」に
できないか、と考えました。

あの日の悲しみと教訓を永遠に語り
継ぐために、この小さな運動に、
あなたの声をください。

岩手日報

警察は毎月、必死に手がかりを捜索しています。
でも、岩手県の行方不明者はまだ1000名以上います。

岩手県では、まだ1000人以上の行方不明者がいます。

1日でも早く、家族のもとへ。

どんな小さな手がかりでも、探す技術や知恵がありましたら、ぜひお寄せください。

> メールはこちら

2018.3.11

もしもし?
おかあさん?

しばらく


あれから7年経つね
何やってる?

こっちはまだ、仮設にいるじゃ


2年前の2月14日、
あんた、帰ってきたもんなあ
ほんとに、
めんこい顔だった
めんこくて、めんこくてなあ


ほんとは
死んでないんじゃないかって
ほっぺさキスしたよな

あん時は
生きてたと思ったのになあ

あの感覚
死んだのは嘘だー
生きてた、
って思ったのになあ


でも、朝、
目が覚めた
全部 夢だった・・・

あんたがいないの、
やっぱり現実だったんだよな



夢でしか、
会えない妻へ。


岩手県大槌町に置かれた、電話線がつながっていない電話ボックス。
風にのせて、もう二度と話せない人へ声を届ける「風の電話」に、
今日も人々が訪れている。

もし、最後だとわかっていたなら。



3月11日。
それは、明日が来ることが当たり前ではない、とすべての人が知った日でもある。

大切な人ほど、当たり前の存在になってしまうから。
あの日の悲しみと後悔を風化させないために、
3月11日を、すべての人が大切な人を想う日に。

岩手日報
最後だと
わかっていたなら


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい


そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

ノーマ コーネット マレック・作 / 佐川 睦・訳
「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版・刊 より)



3月11日を、すべての人が
「大切な人を想う日」に。
あなたの署名を
わたしたちにください。

3月11日。それはすべての人が
明日が来ることは当たり前ではない、
と知った日。

すべての人に関係する日にすることで
風化をふせぎたい。岩手日報は、
3月11日を「大切な人を想う日」に
できないか、と考えました。

あの日の悲しみと教訓を永遠に語り
継ぐために、この小さな運動に、
あなたの声をください。


岩手日報

2017.3.11

最後だと
わかっていたなら

あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

あなたがドアを出ていくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう


たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを


明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと


だから 今日
あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していることを
いつでも いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


明日が来るのは、当たり前ではない。
3月11日を、すべての人が大切な人を想う日に。
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岩手日報
  • 写真:(C) SEATTLE MARINERS
    署名:シアトル・マリナーズ 菊池雄星
    岩手、東北への想いはずっと忘れる事なくプレーしてきました。
    そしてその想いは日々強くなっています。
    震災以降、毎年必ず野球教室や普及活動等を故郷岩手県中心に行ってきました。
    野球を教えにいく立場ではあるのですが、ひたむきで純粋な子供達、そして前に向かって進み続けている地域の方々の姿に、自分が教わること、励まされることばかりです。
    これからも野球ができる喜びと感謝の気持ちを忘れずに、世界の舞台で躍動する姿を岩手、東北の皆様にご報告出来るよう精進致します。
  • 写真:瀬戸内寂聴
    署名:瀬戸内寂聴
    まだつづく被災者達の苦労を忘れてはなりません。
    (2021年11月9日死去されました)
  • 写真:藤井香子 ふじポン
    署名:タレント 藤井香子 ふじポン
    私にとっての3月11日は、人のあたたかさを想い、いつも笑顔でいることを誓う日です。この活動に心から賛同します。
  • 写真:佐藤洋太
    署名:元プロボクシング WBC世界スパーフライ級王者 佐藤洋太
    震災は風化させてはいけない!励ましをもらった沿岸の皆さまには全力で協力します。
  • 写真:熊谷由輔
    署名:アンダーエイジ(岩手に住みます芸人) 熊谷由輔
    被災地での仕事させて頂いたときは、沿岸の方々から多くの笑顔をもらいました。恩返しするためにもっと頑張ります。
  • 写真:大澤桃子
    署名:歌手 大澤桃子
    ふるさとは心の原動力です。復興への一助となれるよう
    私も励んで参ります。
  • 写真:さとう珠緒
    署名:タレント さとう珠緒
    私達みんなが忘れない事が一番大切だと思います。皆様の笑顔の日々がたくさん訪れますように。
  • 写真:松本哲也
    署名:歌手 松本哲也
    いつも心を寄せています
    悲しみを悲しみで終わらせないためにあの日をずっと忘れず未来のために共に歩いていきましょう
  • 写真:中村憲剛
    署名:サッカー選手 川崎フロンターレ所属 中村憲剛
    復興への道のりは未だ続いています。
    一人ひとりができることを考えて、これからも続けていきましょう。
  • 写真:小林悠
    署名:サッカー選手 川崎フロンターレ所属 小林悠
    みんなができることをやれば、
    小さなことでも大きな力となるはずです。
    あの日を忘れないためにも、続けていきましょう。
  • 写真:桂枝太郎
    署名:落語家 桂枝太郎
    笑う門には福来る。
    復興とかけて、ケチなお店ととく。まけない気持ちが大事です。
  • 写真:福田萌
    署名:タレント 福田萌
    私をつなぐすべての人が笑顔で暮らせますように。
  • 写真:のん
    署名:女優 のん
    3月11日を、「大切な人を思う日」にしていく復興はとても暖かいなあ、と心に沁みました。賛同致します。
たくさんのご署名を
ありがとうございました。