また一つ、岩手県民に大切な贈り物を届けた。米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(30)=花巻東高=が21日(日本時間22日)、3度目の満票でナショナル・リーグ最優秀選手(MVP)に輝いた。今季は指名打者(DH)として史上初の「50本塁打、50盗塁」を成し遂げ、球史を覆し続ける「岩手の至宝」。かつて手紙を受け取った恩師や、グラブを贈られた故郷・奥州市の子どもたちが歓喜に包まれ、夢を膨らませた。

 MVPの原点には、勝利への思いと、人に愛される魅力があった。奥州・姉体小4年時に担任を務めた千田有美(ゆみ)さん(54)=釜石・小佐野小校長=は、「自分のことのようにうれしい。小学生から変わらない素直さと、勝負にこだわる姿勢があったからだと思う」とかみしめた。

 千田さんの主なインタビュー内容は次の通り。

◇      ◇

 -担任を持ったときの印象は。

 「あんまり自分を出す子ではなかった。運動の時は自分らしくやるけれど、それ以外のところは挙手もしないし、何か役をやるとかっていうのもない。人を引きつける力はあると思ったので、班長や学級の役員をやってほしい子ではあった」

 -勉強への取り組み方は。

 「やることはやるが、それ以外はやらない。やることは一生懸命やるというめりはりがあった。出来は普通。できないわけじゃないけれど、自分が求めていないから頑張るタイプでもなかった」

 -大人っぽい感じだったか。

 「(きょうだいの)3番目だから自由だった気がする。ちょっと意地悪なことをすることもあったし、普通の子だったと(今の)子どもたちには言っている。でも自分が伸ばしたい、できるようになりたいという部分の努力はやっぱりすごかった。自分を見つめる力と素直さが彼の強みだと思う」

 -クラス内では明るい感じだったか。

 「うんとはしゃぐ感じではないが、今のチームメートにちょっかいをかけたり、いたずらしたりする感じで、あのまま。ちょっかいかけて、お互いに楽しむっていうか。度を越さないところが彼のいいところ」

 -天才だと思ったことは。

 「4年生の時のスポーツテストの結果が残っていて、50メートル走は7秒5、ソフトボール投げは64メートル。身体能力がたけていて、センスがある子だった」

 -運動会やマラソンでの活躍は。

 「短距離はダントツで、長距離はまあまあだった。体の線が細くて、とにかく背は高かった。後ろから2番目だったと思う」

 -宿題やテストへの取り組み方は。

 「出した宿題は確実にやる。やらないと多分、野球をやらせてもらえないから。テストもほぼ100点だったと思う」

 -特に印象に残っているエピソードは。

 「学校公開で算数の授業をやったとき。(子どもたちから)思っていたような回答が出なくて、もう無理だなって思った時に答えてくれたのが翔平君だった。普段、手を挙げたりしない人が、その時、私を助けてくれたと思っている」

 「あとは、日本で野球をやる最後の年。翔平君を生で見られる最後の年になりそうってことで、同級生、お母さんたちと楽天(戦)に一緒に見に行こうってなった。翔平君は指名打者(DH)で、同級生はラインで『今みんなで見に来てる』『振り向け』『手を振れ』といろいろ言って、『無理』と返ってきた。でも帰りのバスに乗っているとき『みんなに今日は応援ありがとうって伝えて』って送ってくれた。無視することもできたのに、ライン1本送るっていう気遣いがうれしかった」

 「成人式のときも奥州に帰ってきて、普通に同級生たちと式に出た。こんなに有名になったけれど、翔平君は何も変わってなくて、私たちは少年野球の頃の翔平君とあまり変わりなく見ている」

 -当時の野球に対する姿勢は。

 「奥州市で子ども会対抗の野球大会があり、硬式をやっていた翔平君は監督から出るなって言われていたが、仲の良い友達と一緒に試合がしたくて、6年生の時に許してもらって1回出た。準優勝だったと思うが、すごく楽しそうだった」

 -当時の性格、今の成功につながった部分は。

 「勝負にこだわるところ。チームの人をけなさない。素直に人の話を聞けることだと思う」

 -勝負にこだわるとは。

 「勝ちたい。スポーツならなんでも。キックベースとか、ポートボールとか、どうでもいい体育の戦いでもとにかく勝ちたい。だからチームプレーは確実に教えるし、確実にチームメートのいいところを褒める。できない人も、決してけなさない。『ドンマイ、ドンマイ。惜しいよ』『もうちょっとだった』と声がけもしていた」

 -得意だったのは。

 「バスケに、サッカーも上手。もう何をやらせてもそう。水泳は4種泳げていた」

 -校長になって、大谷選手の話をどう子どもたちにしているか。

 「普通の小学生だったよと話している。礼儀や、人とのつながりにはあいさつが大事という話、目標を持ってそれに向かえば夢はかなえられるという話をするときに翔平君の話をした。作文を見せて、『先生が担任をしたこの子はあいさつを大切にしていた』っていう話をして、『大谷翔平選手なんだけどね』っていう。その次の日はびっくりするくらい子どもたちがあいさつしてくれた。やっぱり影響力があると思った」

 -活躍を見て自身が影響を受けたところは。

 「ありきたりかもしれないが、努力すれば夢はかなうんだということを見せてくれた人だと思う。この地から、それくらいの人が出るっていうのはすごいこと。やっぱり彼の努力だと思うし、人との出会いは本当に大事だと思う」

 -もし今、直接会って声をかけるなら。

 「健康に気を付けて、長く野球をやれるといいねと話したい。とにかく体を大事に長く野球をやってね、と」

 -大谷選手に何かお願いできるなら。

 「思っている以上に影響力が大きいので、岩手の子どもたちのために何かできることがあるんじゃないかなと。『夢はかなうからみんな頑張れ』くらいでいいから、伝えてもらえたらいい」