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『岩波講座 世界歴史』(全24巻)
[編集委員]荒川正晴、大黒俊二、小川幸司、木畑洋一、冨谷 至、中野 聡、永原陽子、林 佳世子、弘末雅士、安村直己、吉澤誠一郎
このたび『岩波講座 世界歴史』全二四巻を刊行することになりました。
西暦二〇二一年を生きる私たちの眼前には、深刻さを増す気候変動、猛威を振るう感染症、拡散する核兵器と原子力の「平和利用」に伴う諸問題、世界各地で深刻化するファクト(事実)や歴史認識をめぐる政治対立、少子高齢化の急速な進展と福祉国家のゆきづまり、依然として存在するさまざまな不平等の現実……などの光景が広がっており、暗雲が垂れ込める中で「未来」への道筋がいっそう見えなくなっています。
今回の『岩波講座 世界歴史』は戦後三回目の刊行となります。第1期の全三一巻は、高度経済成長と冷戦の只中であり、ヨーロッパ近代の歴史がいまだ私たちにとってのモデルであると考えられた、一九六九年という年に発刊しました。巻構成は、世界の諸地域を古代・中世・近代・現代の時代区分によってマス目状に明瞭に整理しており、世界史を貫く基本法則が意識されていました。これに対して第2期の全二九巻は、二〇世紀の終わりの一九九七年に刊行が始まりました。冷戦が終結して国際平和が世界に実現するかに見える一方で、世界各地の地域紛争が激化し、日本を含むいわゆる「先進国」の経済のゆきづまりが顕著になるといった、世界史の転換点のなかで、改めて歴史を振り返ることが、意識されていました。巻構成においては、研究の進展にともなって世界共通の時代区分をせず、各地域をそれぞれの通時的な展開のありようによって区切るA系列の巻と、時代の特色を共時的・地域横断的にとらえるB系列の巻を設ける工夫をしました。
その後の四半世紀の歳月を経て、世界のありようは激変し、歴史をめぐる研究や教育は大きく変化してきました。歴史学について言えば、文字史料をはじめとする多様な史料から歴史像をいかに実証的に解釈するかという方法が、コンピュータ技術の応用とあいまって格段に深化してきました。世界の各地域の史料が読み解かれ、グローバル・ヒストリーという名称で呼ばれるような世界の各地域の構造的なつながりを描く歴史が、注目を集めるようになってきました。一方で、人種、民族、ジェンダー、宗教、文化、国民国家というような概念と実態について、それらが歴史の中で形成され、変容してきたものであるということが明らかにされてきました。こうした新しい史料読解、世界の構造的な把握、人々の世界理解や存在形態をめぐる再検討を組み合わせながら、世界諸地域の通時的な歴史叙述は、多様に深められています。
『岩波講座 世界歴史』第3期の全二四巻は、次のような編集方針をたてました。第一に、すべての人に大学の授業のような研究の最前線を届けるという「岩波講座」の原点を大切にし、平易で明晰な内容になることを心がけ、知りたいことを調べることが容易になるように各巻が対象とする地域と時代をマトリクスによって示せるようにしました。その際、地域というもの自体が歴史的に変遷してきたことを見つめるとともに、従来のシリーズで視野の外におかれがちであったアフリカやオセアニアの歴史についても目配りをしました。第二に、グローバル・ヒストリーなどの世界の構造的把握について、それぞれの巻の論文が重視するようにしました。各巻は単なる地域史ではなく、その地域から見た「世界史」になっています。そして現代史など特定の巻については、同時代を地域横断的に見る構成にしています。第三に、各巻は分析対象のスケールが異なる三種類の論文から構成されています。対象地域・時代の通史を描く「展望」論文、通史の中で特に問題となるテーマを掘り下げる「問題群」論文、さらに個別的なテーマで時代像を補完する「焦点」論文です。第四に、歴史像を深めていくと同時に歴史を描く主体のありようを問い直すために、ジェンダーや文化の視点、マイノリティヘのまなざし、そして日本列島史との統合的な把握を各巻で大切にするようにしました。第五に、高等学校をはじめとする歴史教育や市民の皆さんの歴史探究にも参考となるような編集を意識しました。各巻で歴史を分析する視点を明示したり、輻広い読者を意識したコラムを配置したりしています。
これからの私たちが「未来」への道すじを考えるとき、そもそも人類がどのようにこれまでの世界史を歩んできたのかについて振り返ることが、欠くことのできないいとなみになるでしょう。新しい『岩波講座 世界歴史』が、読者の皆さんにとって、人と人とが相互理解を重ねながら「未来」を模索していくことの大切さと可能性について、思索をめぐらせることのできるような叢書になることを願ってやみません。
荒川正晴(あらかわ・まさはる)
1955年生。大阪大学名誉教授。中央アジア史・唐帝国史。『オアシス国家とキャラヴァン交易』『ユーラシアの交通・交易と唐帝国』
大黒俊二(おおぐろ・しゅんじ)
1953年生。大阪市立大学名誉教授。イタリア中世史。『嘘と貪欲――西欧中世の商業・商人観』『声と文字〈ヨーロッパの中世〉』
小川幸司(おがわ・こうじ)
1966年生。長野県蘇南高等学校校長。世界史教育。『世界史との対話――70時間の歴史批評』(全3巻)
木畑洋一(きばた・よういち)
1946年生。東京大学・成城大学名誉教授。イギリス近現代史・国際関係史。『帝国航路(エンパイアルート)を往く――イギリス植民地と近代日本』『二〇世紀の歴史』
冨谷 至(とみや・いたる)
1952年生。京都大学名誉教授、龍谷大学教授。古代中国史・法制史。『木箇・竹簡の語る中国古代――書記の文化史』『中華帝国のジレンマ――礼的思想と法的秩序』
中野 聡(なかの・さとし)
1959年生。一橋大学学長。アメリカ現代史・米比関係史。『東南アジア占領と日本人――帝国・日本の解体』『歴史経験としてのアメリカ帝国――米比関係史の群像』
永原陽子(ながはら・ようこ)
1955年生。京都大学名誉教授。南部アフリカ史。『新しいアフリカ史像を求めて――女性・ジェンダー・フェミニズム』『「植民地責任」論――脱植民地化の比較史』
林 佳世子(はやし・かよこ)
1958年生。東京外国語大学学長。西アジア社会史・オスマン朝史。『オスマン帝国500年の平和〈興亡の世界史〉』『イスラーム 書物の歴史』(共編)
弘末雅士(ひろすえ・まさし)
1952年生。立教大学名誉教授。東南アジア史・海域アジア史。『海と陸の織りなす世界史――港市と内陸社会』『東南アジアの港市世界――地域社会の形成と世界秩序』
安村直己(やすむら・なおき)
1963年生。青山学院大学教授。ラテンアメリカ史。『コルテスとピサロ――遍歴と定住のはざまで生きた征服者』『エゴ・ドキュメントの「厚い」読解』(長谷川貴彦編『エゴ・ドキュメントの歴史学』)
吉澤誠一郎(よしざわ・せいいちろう)
1968年生。東京大学教授。中国近代史。『愛国主義の創成――ナショナリズムから近代中国をみる』『清朝と近代世界 19世紀〈シリーズ中国近現代史①〉』
◎世界を網羅、世界史を俯瞰 林 佳世子
今回の講座の特徴の―つは世界諸地域をすべて網羅していることにある。研究の蓄積から濃淡は致し方ないが、世界の歴史を欠けることなく提示することを目指した。そしてもうひとつ、欧米中心の見方からの脱却を構成の上で明確にしたいと考えた。欧米中心の慣れ親しんだストーリーを脇におき、ヨーロッパも多くの地域の一つとして見ていきたい。その結果、前近代のヨーロッパは、4巻にわたり環地中海世界の一部として、西アジア・北アフリカとともに扱われることになった。いつもの世界史のストーリーから少し自由になって世界の歴史を辿っていただきたい。
◎世界史と日本 木畑洋一
この講座の編集にあたっては、グローバル・ヒストリーやジェンダー史など世界史への新たな視角に十分留意するとともに、アフリカや太平洋地域、アメリカ大陸全域に各一巻をあてるという新たな試みを行った。さらに力点を置いたのが世界のなかでの日本の位置づけである。たとえば、日本と他の世界が切り離されて論じられがちな時代をめぐる、日本とメキシコの関係や、ヨーロッパにおける日本イメージについての論考なども含まれている。世界史と日本史の架橋は、これまでの岩波講座世界歴史でも試みられてきたことであるが、それをより強く意識した構成となっているのである。
◎これからの歴史教育のために 小川幸司
二〇二二年度から始まる新しい高等学校学習指導要領では、これまでの日本史と世界史を統合した「歴史総合」を全員が学び、歴史について「問い」をたてて探究することになる。歴史教育の大きな転換点に私たちは立っている。なぜそのように歴史を解釈できるのか。他のどのような歴史と関係しているのか。比較して浮かび上がってくることは何か。このように歴史を見ていること自体に問題点はないか。こうした「問い」を自覚的に持つために、本シリーズは大いに活用できるであろう。歴史を問うことは、問うている自分自身のありかたを問うことにもつながる。私自身も、本シリーズとともに、幾重にも重なり合い、連鎖していく問いを考えていきたい。