「おおかみこどもの雨と雪」に、親の業はあったのか - いつかたどり着く

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「おおかみこどもの雨と雪」に、親の業はあったのか

親とは呪いである

こんな記事を少し前に読んだ。
子供は親の言うことは聞かないが、親の前だけは恐ろしく上手という文章に、なるほどなと思った。


自分はまだ大学生で、親の立場というものを理解はしていない。
しかし記事中に出てくる「親の業」という単語を目にしたとき、最近見た子育てや親子と言ったものをテーマにした「おおかみこどもの雨と雪」にそれはあったのか。
そんな疑問が浮かんだので、少し考えてみたい。


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そもそも親の業とは何か?上記リンク先の記事から抜粋させて頂く。


親とは一種の呪いなり。遺伝情報のコピーは、遺伝子のみならず、獲得形質を子どもに渡す。それは、思考や習慣、癖といった名前で呼ばれ、人生や社会や異性に対する姿勢なども相似(あるいは反面教師)の形で伝染(うつ)される。


まず遺伝情報のコピーという点で、物語に登場する雨と雪は大きな親の業を背負っている。
もちろん人間と狼のこども、おおかみこどもという部分だ。

単純にして、もっとも大きな親の業を雨と雪は背負っている。
おおかみか、それとも人間か。
自己のアイデンティティーを確立する上で、幼い二人をこのことが大いに苦しめた。

当初は狼であることを誇りにしていた雪は、同年代の人間の子供たちと交流する内に人間でいたいと思うようになった。
反対に狼であることを引け目に感じていた雨は、一匹のオオカミそして師匠と仰ぐ狐と出会ったことにより、人間であることよりも狼となることを選んだ。

このように、自分は人間なのかそれとも狼なのかということに雨と雪は大きく悩んだ。
二人の葛藤は、やはり親の業によるものなのだ。


また、親の業の1つとして、「嘘」があげられている。同じく、上記リンク先から抜粋させていただく。


親が子どもに嘘をつくのは、現実がとんでもなく歪んでいるから。狂った世界に染めさせないため、大きなものから小さなものまで、親は子どもに嘘をつく。「夜ふかしするとお化けが出るよ」から、「努力すれば合格できる」まで、大なり小なり親が積み上げてきたものは、やがて子ども自身が乗り越える壁となる。


花が、雨と雪についた嘘とはなんだろうか。
これは映画を見ている時から思っていたことだが、花は子供たちに基本的に嘘をついていない。

印象的だったのは、雨が絵本を読み終わった後だ。
狼は嫌われ者なのか、と悲しそうに花に尋ねた。
花はそれを否定しなかった。
でもお母さんは、狼が好きだよ。

そう言ってあげることで、雨の不安を和らげてあげようとした。
狼が嫌われ者であることを、花は否定しなかった。少なくとも、物語においてはそうであることが事実ではあったし、現実でも希少ではあるもののありがたがられるほどの存在ではない。

まったく嘘をつかないわけではない。
例えば、雪に狼にならないように教えた呪文は根拠もない嘘だ。
事実、効果はなく雪は感情の高ぶりで狼の姿をわずかとはいえ見せてしまった。

それでも花はこどもたちを侮ったりはせず、なるべく嘘をつかず対等に接していたように私は感じた。それは、花が子供たちを過度に甘やかす姿を見せなかったからだろう。
狼と人間の子供であり他よりも多くの困難を迎えるであろう彼らを、愛情を注ぎながらも強く育てようと思っていたのかもしれない。


「おおかみこどもの雨と雪」にも、親の業は存在した。
むしろ、親の業を親と共にどう向き合っていくかを描いた作品と言えるだろう。
今はまだこどもとしての立場でしか見ることができないが、親の立場になった時にはまた違った視線でこの作品を見れるのかもしれない。

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