─瓦ふき技術、4代目に承継─ 「中村瓦店」会長 中村雅博さん

【「古き良き巧みの技は残しつつ、若い感覚で新しい技術も取り入れていってほしい」と話す中村さん=鈴鹿市東玉垣町で】

鈴鹿市東玉垣町の「中村瓦店」は昭和4年、祖父の故喜一さんが創業。神社仏閣の瓦職人の修行をした父雅己さん(87)が同34年に2代目となり、平成13年に父から3代目を引き継いだ。同21年に法人化して「中村瓦店株式会社」とし、県内を中心に愛知、岐阜にもエリアを拡大して業績を伸ばしている。今年、創業95周年を迎えた。

戦後の復興期から伊勢湾台風の災害復旧、バブル景気による住宅建設ラッシュなど、時代の推移とともに需要が増えてきた。土壁やワラなどの自然素材を使った古い日本建築や城が好きで、古民家の再生にも取り組むようになった。

3世代が暮らす築65年ほどの農家から、雨漏りの修理依頼があった。瓦のふき替えだけでなく、下地の垂木の取り替え、しっくい壁修復、耐震工事など、大きな工事になった。住民にはそれまで通り生活してもらいながら、足場組みから解体、大工、瓦ふき、板金、左官、塗装など協力会社13社と日程を調整しながら作業を進めた。稲刈り後に着工し、施主の希望通り田起こしをする3月までに完工した。「立派になった。孫の代まで安心です」と感謝され、皆で喜びを分かち合った。

築100年ほどの蔵の雨漏り修理の相談があった。雨漏りの原因は瓦の傷みと、瓦を支える土の変質だったので、瓦と土、竹を下ろし、新たに竹を組んで壁土を塗り直して瓦をふき替えた。「見違えるほどきれいになった」と施主に喜ばれ、やりがいを感じた。

鈴鹿市で3人きょうだいの長男として生まれた。小学低学年の頃、以前に家族旅行で行った九州・桜島の泥風呂の気持ちよさを再現しようと、近所の子らと灰や砂、土を運んで共同風呂の湯おけに入れて、まきで沸かして大騒ぎになったことがある。3日間も風呂が使えなくなって地域の人たちに迷惑をかけ、父親から大目玉を食らった。たった1人、担任の先生だけが理由をたずね「今度から先生に相談してね」と言ってくれた優しさは今でも忘れられない。

小学校高学年ではものづくりに興味が湧き、近くの建具屋から端材をもらってきては、動く木の車や犬小屋、鶏小屋などを作っていた。中2の時、母が病気で亡くなり、家事や畑仕事の手伝い、妹の面倒も見なければならなくなり、部活の練習にも行けなくなった。

中学卒業後は家業を手伝う傍ら、夜間高校に通った。授業中に居眠りをして、背中に竹の棒を入れられ「背筋を伸ばせ」と何度も先生に注意された。学校の許可なく車で登校したことがあり停学処分になりかけたが、生徒指導の先生が一緒に謝ってくれた。その先生のおかげで4年間頑張ることができ、今でも親交が続いている。

卒業後、昼間は父や先輩職人らと瓦ふき替え工事に励み、夜は業者に頼んで、大工や左官、板金、解体など建設業全般の仕事を手当なしで手伝いながら覚えていった。6年ほどで、1級かわらぶき技能士資格に加え足場組立て、玉掛け、クレーン、フォークリフトの作業主任者などの資格を取得、大型特殊免許も得た。以来、総合建設業者として、住まいのことなら何でも引き受けられるようになった。

今年4月に長男雅喜さん(40)に経営を任せ、会長職に退いた。次男雄哉さん(35)は、3月に建築板金会社を起業した。今は、経理を担当する妻美樹さん(54)と愛犬みたらしと生活している。休日はみたらしを連れて妻とあちこち歩いたり、年に数回は母や孫と一緒に旅行を楽しんだりしている。夏場は、夫婦でマリンスポーツのサップにはまっているという。

「長年培ってきた技術と知識は全て新社長に伝えてきた。古き良き巧みの技は残しつつ、若い感覚で新しい技術も取り入れていってほしい。会長としてしばらくはとどまり、見守っていきたいと思っている」とエールを送った。

略歴:昭和38年生まれ。同57年県立神戸高校定時制卒業。同年「中村瓦店」入社。平成5年1級かわらぶき技能士免許取得。同13年職業訓練指導員免許取得。同年「中村瓦店」社長就任。同23年鈴鹿建設労働組合執行委員。令和2年県屋根工事業組合連合会鈴鹿支部長就任。

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