1995年度のアカデミー賞®で作品賞を含む5部門にノミネートされ、作曲家ルイス・エンリケス・バカロフの心の襞に沁みるような哀愁に満ちた旋律が、オリジナル作曲賞を受賞した『イル・ポスティーノ』。名声に輝く偉大な詩人パブロ・ネルーダと、煌びやかな世界とは全く縁のなかった内気な郵便配達人との間に芽生えた心温まる友情を描き、日本でも1996年に上映されロングラン大ヒットを記録した。今も数多くの映画ファンが、生涯のベスト作品の1本としてその名を挙げる奇跡の名作が、製作30周年、パブロ・ネルーダ生誕120年を記念し、4Kデジタル映像によって繊細かつダイナミックに蘇る!
イタリア、ナポリ沖合いの緑あふれる小島。高名な詩人パブロ・ネルーダが、祖国チリを追われ亡命してやって来る。青年マリオは、ネルーダへの手紙を運ぶ郵便配達人となり、彼との交流を通じて、詩の魅力を知っていく。やがてマリオは、バーで働くベアトリーチェに一目惚れし、ネルーダに恋の相談をするが…。ネルーダが紡ぎ出す言葉の豊かな力は、マリオに広く自由な世界へと飛び立つ翼を与えた。だが、それは同時に危険と隣り合わせの世界でもあった。この世に生まれ、思いがけない人と出会い、そして別れることの素晴らしさと切なさが、観る者の魂に波のように寄せては返す忘れられない物語。
郵便配達人を演じたマッシモ・トロイージは、心臓病のためクランクアップ12時間後に41歳という若さでこの世を去った。ネルーダをモデルにした小説に感銘を受けたトロイージが自ら企画を立ち上げ、監督マイケル・ラドフォードと共に脚色チームにも参加。トロイージは、1日2時間しか演技ができなかったが、どこか儚い影を宿しながらも、天性のユーモアをたたえた愛すべきキャラクターを創り上げ、アカデミー賞®男優賞にノミネートされた。
ネルーダには、全世界が涙した不朽の名作『ニュー・シネマ・パラダイス』のフィリップ・ノワレ。マリオに心を許しメンター的な存在となってゆくネルーダと、今にも倒れそうなトロイージを現場で励まし続けたというノワレと、虚実が重なり合って生まれた二人の愛に満ちたハーモニーが、スクリーンに鳴り響く。
南イタリア、ナポリの沖合いに浮かぶ小さな緑溢れる島に、チリから亡命してきた高名な詩人パブロ・ネルーダ(フィリップ・ノワレ)が滞在することになる。貧しい漁師の父親と二人暮らしのマリオ(マッシモ・トロイージ)は、世界中から送られてくる手紙をネルーダへ届けるだけの郵便配達人に採用される。初めは緊張していたマリオだが、サイン欲しさに買ったネルーダの詩集を読むうちに言葉のパワーに目を開かれ、自らの生き方や社会についても考えるようになる。ネルーダもまたマリオの無垢な感性に刺激され、二人の間に友情が育ってゆく。
そんな中、港のバーで働くベアトリーチェ(マリア・グラツィア・クチノッタ)に一目で恋したマリオは、ネルーダの応援を得て新たな人生へと踏み出す。だが、突然、ネルーダの追放令が解除され、祖国へ帰る日がやって来る──。
郵便配達人マリオ役・脚色
マッシモ・トロイージ
Massimo Troisi
1953年2月19日、イタリア、ナポリ郊外サン・ジョルジョ・ア・クレマノ生まれ。15歳の時から地元の劇団の舞台に立つ。72年に旧友2人とコメディ・グループを結成、77年頃にはTVで紹介され一躍スターに。81年、監督・主演・脚本をつとめた‶RICOMINCIODA TRE”で映画界に進出。大評判となり、国内の数々の映画賞を独占。ナンニ・モレッティ、ロベルト・ベニーニといった自ら主演し、脚本も手掛ける新しい世代の監督であり、イタリア映画界を代表する監督・俳優として活躍を始める。また、自作以外の映画作品にも出演を始め89年『BARに灯ともる頃』ではマストロヤンニと共にヴェネチア国際映画祭の男優賞を受賞した。
91年にラドフォードとの待望の映画を制作するべく取り組むが、心臓病のため入院。94年に撮影を開始するが、6月3日ローマのチネチッタ・スタジオで撮影を終えた翌日、12時間後に心臓発作となり41歳で急死する。イタリア中が悲しみに沈んだ。翌年映画が公開されると、ダヴィッド・ディ・ドナッテロ賞の主演男優賞にノミネート、96年にはアカデミー賞®と英国アカデミー賞の主演男優賞と脚本賞にノミネートされ映画の評判と共に話題となった。
詩人パブロ・ネルーダ役
フィリップ・ノワレ
Philippe Noiret
1930年10月1日フランス北部のリール生まれ。西部ドラマセンターで演劇を学んだあと、50年ジェラール・フィリップと初共演し舞台デビュー。53年にTNP(国立民衆劇場)に入団し、7年間舞台俳優として活動する一方、寄席芸人としてキャバレーをまわって成功をおさめた。
56年アニエス・ヴァルダの長編デビュー作『ラ・ポワント・クールト』で映画初主演。『地下鉄のザジ』(60)の世界的成功で本格的に映画進出し、コミカルな作品で活躍。62年は、ジョルジュ・フランジュの名作‶THERESE DESQUEYROUX“でヴェネチア国際映画祭主演男優賞を受賞。69年にはヒッチコックの『トパーズ』にキャスティングされ、国際的にも活躍。『追想』(75)、『素顔の貴婦人』(89)でセザール賞主演男優賞を受賞。『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)ではヨーロッパ映画賞、ダヴィッド・ディ・ドナッテロ賞の主演男優賞、英国アカデミー賞など多数の映画賞を独占した。本作でもダヴィッド・ディ・ドナッテロ賞助演男優賞にノミネートされている。生涯に出演した作品数は140本を超え、フランス映画界を代表する俳優の一人となった。2006年11月23日、癌のため死去、76歳。
ベアトリーチェ役
マリア・グラツィア・クチノッタ
Maria Grazia Cucinotta
1971年、7月27日イタリア南部シチリア島と本島を結ぶ玄関口、メッシーナに生まれる。16歳の時、ミラノでモデルとして活動を始め、TVショーにも出演するようになり脚光を浴びる。‶COMMANDOS“(87)で映画デビュー。その後、コメディ映画に続々と出演しながらTVでも活動。94年、トロイージに抜擢され本作への出演。ベアトリーチェの眩しい美しさは世界中を魅了した。99年にはアメリカのテレビシリーズ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』や、『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』に出演。
2005年、映画プロデューサーとして活動を開始し、『それでも生きる子供たちへ』に参加。11年には短編映画‟Il maestro”で監督デビューを果たし、第68回ヴェネチア国際映画祭で最優秀監督デビュー賞を受賞した。
20世紀最高の詩人と言われているパブロ・ネルーダ。チリを代表する国民的な詩人であり、外交官、政治家。2024年はネルーダ生誕120周年にあたる。
『イル・ポスティーノ』完成時には、ネルーダの熱心なファンを名乗るジュリア・ロバーツ、スティング、グレン・クローズ、マドンナ、レイフ・ファインズ、イーサン・ホークらがアメリカ版のサウンドトラックへ詩の朗読に参加したことも話題となった。
ネルーダは、16歳でパブロ・ネルーダというペンネームで詩を書き始め、24年官能的な愛の詩集「二十の愛の詩とひとつの絶望の歌」を出版。
20代から外交官としてアジア各地を遍歴し、34年スペインに赴任、スペイン内戦を目の当たりにし共産主義に接近。45年にチリ共産党に入党するが、48年に議員資格をはく奪され、国外逃亡を余儀なくされる。このころのイタリア亡命時代を題材に『イル・ポスティーノ』が作られている。50年には詩集「大いなる歌」を刊行。
52年、逮捕令が解けてチリに帰国。70年には共産党から大統領候補に推されるが辞退し、チリは世界で初めて民主的な選挙によって社会主義政権が誕生。駐仏大使中の71年にノーベル文学賞を受賞するが、病気のため大使を辞任し72年にチリに帰国。
しかし翌73年9月11日、ピノチェト将軍率いる国軍クーデターが起こり、兵士らに家を破壊される。その12日後、危篤状態に陥り死亡。
死因は長い間病死とされてきたが、軍部による毒殺だったという疑惑があり、2013 年チリ司法当局は死因確認のため、遺体を掘り起こし調査したが、遺体から毒物は検出されなかったと発表した。
1950年11月14日インドのニュー・デリー生まれ。父は英国人、母はオーストラリア人。オックスフォード大学卒業後、教師として働きながら俳優の仕事も始める。しかし、数年後に国立映画学校に入学し、76年から82年までBBCでドキュメンタリーを制作。
80年にスコットランドで“THE WHITE BIRD PASSES”でドラマ映画の監督デビュー。83年、ラドフォードは「アナザー・タイム、アナザー・プレイス」(未公開)で、マッシモ・トロイージを起用したいと思っていたが、トロイージのスケジュールの都合で実現せず。その無念が、『イル・ポスティーノ』へと繋がっていく。
84年、ジョージ・オーウェル原作『1984』を映画化。94年は『白い炎の女』が評判となりアメリカでも大ヒットを記録。春にはトロイージと『イル・ポスティーノ』の撮影をスタートしたが、撮影終了とともにトロイージが他界。悲しみを乗り越え、見事に映画を完成させ、アカデミー賞®と英国アカデミー賞の監督賞、脚本賞など複数の賞にノミネートされた。
その他の作品に、『ヴェニスの商人』(04)、『情熱のピアニズム』(11)、『トレヴィの泉で二度目の恋を』(14)、『アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール』(17)など。
1933年8月30日 アルゼンチン、サン・マルタン生まれ。父はウクライナ系、母はポーランド系ユダヤ人。クラシックピアノを学んだあと、コロンビア、スペインで演奏活動を敢行。その後、パリに出て本格的に技術を学びながら、ナイトクラブなどに出演。
59年より、イタリア映画界で活動を始める。64年パゾリーニの『奇跡の丘』を手掛けて世界的に知られるようになり、アカデミー賞®の編曲賞にノミネート。『続・荒野の用心棒』などのヒット作を手掛けて人気を集めた。 80年はフェリーニに抜擢され『女の都』で再評価された。そして本作で、アカデミー賞®、英国アカデミー賞の作曲賞を受賞。ラドフォード作品では『Bモンキー』(98)、『トレヴィの泉で二度目の恋を』(2014)の音楽を担当。17年11月15日ローマで死去、享年84歳。
1932年9月18日イタリア、ラツィオ州リエーティ県アマトリーチェ生まれ。撮影助手としてトニーノ・デッリ・コッリらにつき、70年に撮影監督に昇格。83年タヴィアーニ兄弟『サン★ロレンツォの夜』で絶賛され、ダヴィット・ディ・ドナッテロ撮影賞を受賞。ナンニ・モレッティ、マルコ・ベロッキオ、ベルナルド・ベルトルッチ、ニキータ・ミハルコフら、著名な映画監督たちの撮影を手掛けた。2000年に、そのキャリアに対してフライアーノ賞を受賞。晩年は、チネチッタのACTマルチメディアアカデミーで映画撮影の教授を務めた。16年4月30日死去。
その他代表作に、『4匹の蠅』(71)、『暗殺のオペラ』(72)、『監督ミケーレの黄金の夢』(81)、『黒い瞳』(86)、『アフタヌーン・ティーはベッドで』(92)、『復活』(01)など。